『松ヶ岡公園(サクラとひょうたん池)』(平成29年3月29日市公式Facebook投稿)
更新日:2017年3月29日
いわきの『今むがし』Vol.67
着色されて、絵はがきとして発行された松ヶ岡公園のサクラ〔大正時代 郵便絵はがき〕
松ヶ岡公園が設置された薬王台(やくおうだい)は、大館から舌のように南方に延びる丘陵地で、西、南は新川とこれに沿う平地、東は平市街と、今で言うならば景観活用という点においても優れた眺望を持っています。
『平市史』などを紐解くと、岩城家はここを外城としたとあります。岩城家が当地を去った後、江戸時代には放置され一部の畑と竹薮(やぶ)に覆われていましたが、明治39(1906)年12月開催の平町議会において、公園設置を議決。翌40年に起工、ウメ、ソメイヨシノ、ツヅジ、フジ、マツなどを植樹しました。町民などからの寄付も相次ぎ、明治43(1910)年1月には竣工、大正2(1913)年5月に待望の竣工式が盛大に挙行されました。
公園の北側には、貯水池(弁天池・ひょうたん池の愛称。後に一部がテニスコート→駐車場)が設けられました。ここから街の西部域である紺屋町(こうやまち)、材木町(ざいもくちょう)などに水路が引かれ、東部域に引水された愛谷(あいや)江筋とともに防火に役立てられました。
以来、春のサクラ、初夏のツヅジなど四季折々の花を愛でるため、多くの人々が訪れました。昭和7(1932)年4月発行の『昭和新報社』は「桜花の候(こう)の人出数万織り成すが如(ごと)く、樹間(じゅかん)のボンボリ池水に映(えい)じて歓樂郷と化す。瓢箪池(ひょうたんいけ)には龍の噴水あり一段の光彩を添ふ(そう)。第一公園、聖(ひじり)が池(大正時代初期に造られた高台の池)には常に水禽(すいきん)遊泳し、典雅(てんが)又(また)云はん(いわん)方なし」と美文調で松ヶ岡公園の様子を伝えています。
芸妓(げいぎ)踊りが華やかしき頃のこと、満開の花の下、平芸妓屋組合では園内に設けられた舞台で優雅な踊りを披露しました。
池の中ほどには、大正12(1923)年に噴水が設置され、昭和2(1927)年、平町の豪商・釜屋の寄付によって龍の像が取り付けられました。
いわき地方だけでなく、双葉地方や田村地方、さらには茨城県の高萩や日立から大勢の人でにぎわったサクラの松ヶ岡公園。昭和10(1935)年前後には、池近くを通る常磐線に仮ホームが設置され、花見客の便宜を図るほどでした
この人気に便乗して、松ヶ岡公園に関する絵はがきが、各種シリーズのなかに組み入れられ、特に人気のサクラの写真は、その都度着色を変えて何種類も発行されました。
ひょうたん池とサクラ〔平成27(2015)4月 いわき市撮影〕
昭和10年代後期に入ると、戦時色が濃くなり、花見は自粛(じしゅく)され、池の真ん中に設置されていた龍の像も「金属回収令」(兵器などに転用するため、強制的に公共施設や家庭の金属類を徴収する法律)によって噴水装置とともに、昭和17(1942)年に撤去されてしまいました。
昭和20(1945)年、長かった戦争は日本が連合軍から示された無条件降伏を受け入れることによって、終結しました。
ひょうたん池の周辺も変化していきます。日本に駐留していた連合国軍総司令部(GHQ)の命によって全国に自治警察署が全国に設置されることになり、平市はそれまで平字田町にあった市営テニスコート場の敷地に建設することになり、その代わりテニスコートはひょうたん池の一部を埋め立てて移転したのです。昭和25(1950)年のことでした。
昭和30(1955)年9月には、市営テニスコート場西側に弓道場が完成します。また、この年、ひょうたん池には噴水も復元されました。
昭和30年代から始まるモータリゼーション(自動車が日常生活のなかに深く浸透していくこと)の波がレジャーの到来とともに広がり、松ヶ岡公園に自動車で訪れる人が多くなり、駐車場問題が提起されます。
一方で、市営テニスコート場の充実を求める声が高まっていたことから、市は施設を昭和41(1966)年5月に上荒川へ移転させた後、跡地に同年11月、京都から移設した歌人・天田愚庵のいおりが完成しました。さらに昭和45(1970)年4月、いおりと池の間に50台が収容できる駐車場といおり前の広場を完成させ、来訪者の利便を図りました。
それでも、行楽シーズンともなると駐車場不足が生じたため、平成4(1992)年度にひょうたん池をこれまでの北側へ移設したうえで、これまでの3分の1に縮小して、さらに80台の駐車場を確保し、翌年度には愚庵邸の庭園も整備しました。
社会の推移とともに、変化していく松ヶ岡公園の景観。けれど、サクラの美しさだけは変わることがありません。今年のサクラは、訪れる一人ひとりの心に何を映し出すのでしょうか。
その他の写真
松ヶ岡公園弁天島八ツ橋(明治時代末期、郵便絵はがき「磐城平」佐々木商店)
松ケ岡公園の弁天池とサクラ(大正時代、郵便絵はがき 佐々木商店)
松ケ岡公園の弁天池とサクラ、ボンボリ(大正時代、郵便絵はがき 佐々木商店)
松ケ岡公園弁天池(大正時代、郵便絵はがき 佐々木商店)
松ヶ岡公園弁天池(大正時代、郵便絵はがき「磐城平」佐々木商店)
松ヶ岡公園北口から弁天池北側を見る(昭和初期、郵便絵はがき)
松ヶ岡公園弁天池、噴水(昭和12年頃、郵便絵はがき「平市十六景」 佐々木商店)
松ヶ岡公園・池畔ノ春色(昭和10年代)
松ケ岡公園下の平市営テニスコート場 〔昭和27年(1952)頃 宮崎武夫氏撮影〕
松ケ岡公園ひょうたん池畔の芸妓(昭和30年代、飯沼晴男氏提供)
松ケ岡公園のサクラと舞台(昭和30年代、野木茂氏撮影)
松ヶ岡公園の市営テニスコート・建物は「ときわ亭」(昭和30年代、板津弥吉氏撮影)
松ケ岡公園・サクラと出店(昭和60年頃、いわき市撮影)
松ケ岡公園のサクラと瓢箪池(昭和50年頃、いわき市撮影)
松ケ岡公園の夜桜(平成5年3月、いわき市撮影)
松ケ岡公園・ひょうたん池とサクラ(平成6年3月、いわき市撮影)
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