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『松ヶ岡公園(都市公園とツツジ)』(平成29年5月10日市公式Facebook投稿)

更新日:2017年5月10日

いわきの『今むがし』Vol.70

松ヶ岡公園のツツジ(大正時代 郵便絵はがき 佐々木商店発行)

20170510-1 明治政府は、幕末から戊辰戦争を経て、西洋の力をまざまざと見せつけられ、それまでの遅れを取り戻すように、西洋文化を積極的に取り入れることに努力しました。
 都市公園もその一つで、公園化は大都市から、やがて地方都市へも波及していきました。明治10(1877)年までに、開設公園は全国で67か所を数えました。
 いわき地方の中心・平町においても公園建設の機運が高まりました。平町の場合、公園として目された土地は、市街の西部に位置する丘陵地でした。
 丘陵地は中世、岩城氏の本拠地であった大館から西方に突き出た形状で、西部から北部にかけて平市街を囲むように延び、公園と目された一角は岩城氏の外城的存在でした。しかし、江戸時代に入り、半ば放棄された状態と化し、明治時代に入っても、土地利用は同様でした。一部は茶畑や麦畑となっていたものの大半は竹藪(やぶ)に覆われていました。
 平町の公園化は、由緒ある地の復活をめざしたものといえました。
 平町は、明治39(1906)年12月開会の町議会において「平町字薬王寺台并(ならびに)附近一帯ノ地ヲ公園トシ、之(こ)レガ設備ヲ為(な)ス」件を提出しました。提出理由のなかには、発展著しい平町の状況を説明した後に「衛生上、娯楽上公園ノ必要ヲ感ズ」と結んでいます。
 議案は可決され、明治40(1907)年3月町議会においては、買収の状況や金額、町民の寄付状況などが報告され、建設が可決されました。公園面積は1万2,542坪(約3万7,119㎡)。平町は東京園芸(株)に公園設計を委託し、基本的に丘陵地の地形をそのまま活かしました。
 台地上には樹木やサクラやツツジ、ウメ、フジ、マツを植栽しました。ツツジは埼玉県安行(あんぎょう)の園芸所から約200本が調達されました。
 費用としては町費1万1,500円が投じられたほか、115人から寄付金1,631円が集まりました。造成は明治40年から大正2(1913)年まで7か年をかけて進められ、いわき地方初の公園として完成、大正2年5月に竣工式を行いました。
 公園完成後も、整備は続けられました。東京・大塚の旧磐城平藩邸内に植栽されていたツツジが移植され、園内の充実が図られ、ツツジの種類は数百種、その本数は2,000本とも3,000本とも言われました。
 充実していく松ヶ岡公園にとって、大きな魅力となるサクラとツツジ。大正時代から昭和時代にかけて、春のサクラに続くツツジの季節には、近隣から大勢の人が訪れました。同時期、売店「春木亭」の庭にはフジの花も園内の美しさを一層盛り上げました。

松ヶ岡公園のツツジ(平成29(2017)年5月 いわき市撮影)

20170510-2 昭和20(1945)年8月、長く続いた戦争が終わりました。戦後復興のなかでは、衣食住が先行しなければならず、荒れたままの公園整備まで容易に手が回りませんでした。
 それでも、戦後の混乱が収まるようになる昭和20年代後半から、全国的に文化施策にも目が向くようになります。その一方で、大都市を中心に公園が無秩序な開発にさらされる状況がみられるようになり、公園の整備方針を明確化する必要性が高まりました。「都市公園法」公布までには、定義や規制などについて、さまざまな解釈や論議が尽くされ、その後法案の検討を経て、「都市公園法」が公布されたのは、昭和31(1956)年でした。このなかで、都市公園とは「園路、広場、花壇、砂場、植物園、動物園、野外ステージ、プール、陳列館、売店、駐車場など」を備えた敷地、と規定されています。
 また同法関係規則などには、公園規模、施設に関する技術的基準、公園施設に一定の制限、建ぺい率の設定などが盛り込まれており、「都市公園法」は公園の維持、管理について定めた、行政上極めて画期的な法律となりました。
 松ヶ岡公園については、戦後、予算措置も思うようでないなか、関係者は荒れた公園の復活に努力し、次第にかつての花の公園がよみがえっていきました。
 当時の松ヶ岡公園を、都市公園法に照らし合わせてみると、園路、広場、花壇、売店、駐車場を兼ね備えた都市公園としてかなっていることがみてとれます。これらの施設機能が最大限に活かされたのが、花見シーズンでした。
 サクラが散り、一段落するとツツジの季節が訪れます。園内のツツジが色鮮やかに咲き乱れ、多くの人々を魅了しました。
 高度経済成長期、都市の無秩序な開発を阻止し、他の都市基盤施設と比べ遅れている都市公園の整備を計画的に行うため、昭和47(1972)年には「都市公園等整備緊急措置法」が公布され、「都市公園等整備五箇年計画」を皮切りに、定期的に整備計画が策定されていきました。
 昭和61(1986)年に策定された第4次都市公園等整備5か年計画では、目標の一項目として「ふれあい公園の整備」が挙げられました。この方針に基づいて、松ヶ岡公園は、昭和63(1988)年度から平成4(1992)年度にかけて大改造されました。
 現在でも、桜まつりほどではありませんが、ツヅジの花見シーズンには、オオムラサキやキリシマなどの赤、紫、白の大きな花びらを付けたツツジ約450本が優雅に咲き誇って、人々を出迎えてくれます。
 平成15(2003)年に地方自治法が改正され、民間の能力を活用しつつ、かつ効果的で効率的な公の施設管理が定められましたが、いわき市ではいち早く、平成6(1994)年度から「市公園緑地協会」へ管理運営を委託、さらに平成15年度からは「市公園緑地観光公社」に引き継がれています。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

松ヶ岡公園のつつじ広報ポスター・平市(昭和30年代 松井延之氏提供)

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松ヶ岡公園のツツジ、遠方に磐越東線が見える(昭和50年代 いわき市撮影)

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松ヶ岡公園のツツジ(昭和50年代 いわき市撮影)

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松ヶ岡公園の遊戯施設とツヅジ(平成15年5月 いわき市撮影)

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