『松ヶ岡公園(遊具施設)』(平成29年4月12日市公式Facebook投稿)
更新日:2017年4月12日
いわきの『今むがし』Vol.68
上:松ヶ岡公園の像のメリーゴーランド〔昭和29(1954)年4月、大沢光夫氏撮影〕
下:松ヶ岡公園の電気機関車〔昭和28(1953)年4月、大沢光夫氏撮影〕
松ヶ岡公園の児童遊園地化は遠く昭和10年代までさかのぼります。それまでツツジやウメの名所として遠くからの誘客を呼び込んでいましたが、新たに子どもたちの遊び場をつくろうと、昭和14(1939)年4月、ウメ林を整理して砂場やブランコを設けたのが始まりでした。
昭和22(1947)年に「児童福祉法」が公布され、子どもたちが健やかに育つよう、さまざまな施策が練られるようになると、平市は市街地内に本格的な児童遊園地を設置するため、敷地の確保をめざしました。平市の場合は、戦争の被災地であったことから復興土地区画事業区域内の佃町(つくだまち)地内に児童遊園地を予定し、一般寄付、県補助金を得て、昭和28年(1953)年度から工事着工に入る予定でした。
その一方で、昭和28年3月開会の平市議会では、別討論として「松ヶ岡公園復旧についてであるが、当公園は過去において、名公園と謳われたのであるが、現在見るも無惨な状態にある。当局は、これが復旧について、5ヶ年位の継続事業としての計画があるがどうか?」と議員から質疑が出されました。
これに対しては、当局は「松ヶ岡公園の件はもっともな御意見であり、当局としても観光の上からも、県下に紹介したいのである。五ヶ年計画をもって復旧の完璧を期すとの意見は敬服するものであって、調査研究いたしたい」と答弁しました。
ともかくも、この時点では、松ヶ岡公園整備と児童遊園地整備は別な課題として取り上げられていましたが、両課題の進展には、なお問題がありました。
児童遊園地の予定地であった佃町の地は高圧線の移転予定地だったのです。(昭和28年7月に高圧線移転は白紙へ)
さらに、市議会議員からは佃町だけでなく、市内に広げるべきという提案がありました。
松ヶ岡公園の再整備にしても、具体策があったわけではなかったので、ここで、観光的側面が強調された松ヶ岡公園の再整備と児童の福祉的側面や都市計画的側面が強調された児童遊園地設置、という二つのまったく別な計画が急速に歩み寄ることになりました。
平市は急ごしらえで遊戯施設の設置位置を松ヶ岡公園内に変更し、豆電車(遊覧鉄道)、飛行塔、木製二人乗り象メリーゴーランドの三つを建設し、昭和28年4月にオープンさせました。
しかし、急ごしらえであったため安全性を欠くことが指摘され、当初の電車は国鉄ED1900型電気機関車、6人乗り回転ボート(昭和48年に回転コーヒーカップに変更)に変えられ、昭和28年9月に再オープンしました。
昭和29(1954)年の一年間で遊戯施設を利用した人数は15万3,400人と人気を呼び、松ヶ岡公園の目玉の一つとして位置づけられるようになり、春季を中心に、市内外から多く人を集客する施設へ成長していきました。
ちなみに昭和34(1959)年度の遊戯施設利用者数は31万5,800人で、このうち、4月の利用は10万2,100人と全体の3分の1を占めるほどでした。
その後も遊戯施設利用者数は年間30万人前後で推移し、子どもたちの“夢舞台”としてあり続けました。
上:松ヶ岡公園の馬のメリーゴーランド〔平成2(1990)年4月、いわき市所蔵〕
下:松ヶ岡公園の豆電気機関車〔平成2(1990)年4月、いわき市撮影〕
こうして遊戯施設を持つ松ヶ岡公園は花と緑の公園としてだけでなく、子どもから大人まで、各々に楽しむことのできる場所として次第に定着していきました。
遊戯施設も時代とともに変化します。昭和29(1954)年にはローラースケート場が設置されましたが、忠魂碑の前に位置していたため、「英霊を祀(まつ)る忠魂碑の前にあるのは、その神聖を汚すもの」との意見が大きくなり、昭和35(1960)年に撤去されてしまいました。
その後、遊戯施設は社会変化や老朽化に対応していくことになります。電気機関車は昭和36(1961)年には「こだま型」の電車に受け継がれました。昭和31(1956)年4月には観覧車が登場、さらに、昭和32(1957)年には飛行塔(昭和53年にロケット飛行塔に変更)を設置しました。次いで昭和56(1981)年には観覧車がサイクルモノレールに更新されました。
この間、大勢の子どもたちが訪れましたが、老朽化が進んでいきます。このため、昭和63(1988)年から日本宝くじ協会からの助成を受けて、公園の全面改修を施工し、このうち、遊戯施設については、平成元(1989)年にはメリーゴーランド、スカイサイクル、回転ボート、古典豆蒸気機関車に一新しました。
しかし、その後子どもの遊びが、テレビや家庭用ゲーム機などの普及により内向きに変化して、有料遊戯施設の利用者は減少していきます。加えて、松ヶ岡公園自体が施設を拡大させにくい地形であるとともに、変化のない遊戯施設では集客の拡大にも限りがありました。さらに、バブル経済の崩壊以降、地方財政の厳しさは公園施設のリニューアルを生み出す余裕を失っていきました。
このような状況のなか、平成23(2011)年3月に東日本大震災が発生。有料遊戯施設は大きな損傷を受け、更新や補修が難しいことから、市は翌年6月に撤去することに決めました。
平成24(2012)年11月には、長年公園で遊んできた地域住民に施設との最後の思い出をつくってもらおうと、撮影会やステージイベント、思い出写真展などの「さよならイベント」を開き、幅広い世代の市民でにぎわいをみせました。
撤去後は、芝生広場、園路などの整備を行うとともに、新たに複合遊具(ここでは、大掛かりな施設と区別して「遊具」と表現)2基、幼児用遊具3基が新設され、平成28(2016)年3月にリニューアルオープンしました。
なお、松ヶ岡公園・第二公園では、一足早く平成27(2015)年4月に、滑り台や橋などを備えた大型遊具を設置してリニューアルオープンしました。
多くの子どもたちの夢を育んできた松ヶ岡公園の遊戯施設。子どもの遊び方が変化するなかで遊戯施設の存在は次第に色あせていきましたが、一方で幼児教育や戸外における遊び方の重要性を見直す流れが生まれ、楽しさと安全を備えた遊具が求められるようになりました。
松ヶ岡公園の遊戯・遊具の変化と整備過程をみていくとき、日本の子どもたちの遊びをめぐる環境があぶり出されているような気がします。
(いわき地域学會 小宅幸一)
その他の写真
上:松ヶ岡公園のボート(昭和42年3月、いわき市撮影)
下:同地点から(平成29年3月、いわき市撮影)
上:松ヶ岡公園(昭和42年4月、いわき市撮影)
下:同地点から(平成29年3月、いわき市撮影)
上:松ヶ岡公園のボート(平成8年頃 いわき市撮影)
下:同地点から(平成29年3月、いわき市撮影)
上:松ヶ岡公園遊戯施設さよならイベント(平成24年11月、いわき市撮影)
下:同地点から(平成29年3月、いわき市撮影)
松ヶ岡公園の遊具と子ども(昭和30年頃、野木茂氏撮影)
松ヶ岡公園の回転塔(昭和30年代、篠原貞利氏撮影)
松ヶ岡公園の飛行塔(昭和32年、江尻和繁氏提供)
松ヶ岡公園の「こだま型」機関車(昭和30年代後期、木野内甲子男氏撮影)
松ヶ岡公園は子どもたちの天国(昭和30年代、木野内甲子男氏提供)
松ヶ岡公園の飛行塔(昭和36年3月27日、浅野和男氏撮影)
松ヶ岡公園のボート(昭和50年頃、宇田恒雄氏提供)
松ヶ岡公園の観覧車(昭和53年4月、いわき市所蔵)
サイクルモノレール(昭和56年3月、いわき市所蔵)
満員の松ヶ岡公園遊具(昭和52年4月、いわき市撮影)
松ヶ岡公園リニューアルオープン(平成28年3月、いわき市撮影
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