『三和町合戸』(令和5年5月10日市公式SNS投稿)
登録日:2023年5月10日
【いわきの『今むがし』 Vol.168】
三坂街道に沿う合戸の街村 〔1.50,000地形図 平(明治41年測図) 国土地理院発行〕
阿武隈高地を横断し、浜通りと中通りを結ぶ、いわゆる山越えの道路は尾根越えや谷越えなどいくつかありましたが、平の通称・浜街道で分岐し、搔槌小路、久保町、好間、合戸(ごうど)を通り、さらに渡戸(わたど)-中寺-下・上市萱(いちがや)-下三坂を結ぶ通称・三坂街道もその一つでした。(江戸時代、五街道以外に正式な名称が付されていなかったため、街道はその土地ごとの名称が付されていた)
三坂街道は明治時代以降、人馬の往来が多くなり、道路整備は沿線住民にとって長年の悲願となりました。
沿線住民の運動が実って、大正12(1923)年には待望の県道に昇格。「三坂街道県道編入祝賀会」では、関係者が“将来の整備に向けた大きな一歩であり、沿線で産出する林産物を中心とした輸送に大きな役割を果たす”と、期待のあいさつをしました。
平から三坂街道に沿い、北好間を通り大利(おおり)の難所を越えたところに位置していのが、合戸です。
合戸には「駅」という字名があります。駅とは鉄道駅のことではなく、江戸時代までは荷物を運ぶ際の中継地は一般的に駅と呼ばれていました。合戸も問屋(2軒)や宿屋などの商家が並んでいたことから駅の字名が付けられたものと考えられます。宿場機能も備えていたことから、地元では字駅と字内畑を総称して通称・宿と呼称しています。集落の家々は「中屋」「石川屋」「草野屋」「叶屋」「清水屋」などの屋号で呼ばれていました。
合戸はまた水石山の入口であり、永井や赤井に抜ける道路も分岐しています。
集落の外れには、かつて明治8(1875)年に下市萱(しもいちがや)小学校合戸分校(明治13〔1880〕に小学校へ格上げ)として開校した小学校がありました。昭和11 (1936)年に建て替えられた校舎は、ヨーロッパ建築様式の影響を受け、正面玄関上のマンサード(腰折れ屋根)などに特徴を持っていましたが、昭和45(1970)年4月に渡戸(わたど)小学校と統廃合(永戸〔ながと〕小学校へ)され、廃校となりました。
廃校跡を都市部の子どもたちに自然を満喫してもらおうと、市は宿泊、研修室、会議室、食事兼娯楽室などを備えた、施設「少年の家(→水石山少年の家→水石山少年自然の家)」として昭和45年7月に開設しました。
自然環境が良いうえに、使用料が安価で食事の内容も良いと人気を呼び、特に夏休みを中心に、小学生や中学生、子ども会の合宿訓練・研修などに利用されました。
磐越自動車道の「いわき三和インター」の開設、屈曲を解消した国道49号水石トンネルが開削 〔1.25,000地形図 水石山(平成18年更新) 国土地理院発行〕
「水石山少年自然の家」は平成時代に入ると老朽化が目立つようになり、利用者は年を追うごとに減少、加えて平成8(1996)年、久之浜町に「県立いわき海浜自然の家」にオープンしたことから、平成10(1998)年3月、類似施設である「水石山少年の家」の廃止を発表しました。背景には、バブル景気で肥大化した行財政が景気後退の影響を受け見直す必要があり、「行財政改革大綱」の行動計画として盛り込まれたものでした。
しかし、校舎解体は容易に進みませんでした。平成10年5月、地元代表による「旧合戸小学校の校舎を保存する会」が結成され、市に保存するよう陳情して、問題が表面化。さらに同年6月、芸術家、建築家などによる「歴史建築活用委員会」が設立され、保存が要望されました。
一方で、地元住民からは、地域振興を図るため解体した後の跡地利用について要望書が提出されました。こうして論争が激化するかにみえましたが、地元の意見が真二つに割れるのを危惧して、「旧合戸小学校の校舎を保存する会」が“静観”する方向に舵を切り、これを機に平成10年10月、建物は解体されました。
この一件を契機に、行政も地域も専門家も、歴史的建造物に加え一般の公共施設についても、事前に広く意見を交換させる場を設定するなど、慎重な取り扱いをしていくことになりました。
現在、合戸小学校跡地は空地となっています。野に立つ校門だけが往時を偲(しの)ばせてくれます。
三坂街道は、県道に昇格した後、平-新潟を結ぶ道路として昭和28(1953)年に二級国道に、さらに昭和37(1962)年5月に一級国道に、それぞれ格上げされて整備が進みました。
平成7(1995)年には集落の西側には、磐越自動車道の「いわき三和インター」が開設され、合戸は今も交通の要所であることに変わりませんが、「クルマ社会」の現在では、自動車は通過するばかりです。
(いわき地域學学會 小宅幸一)
その他の写真
「駅」「少年の家」という表示が見える 〔1.250,000地形図 水石山(昭和51年測量) 国土地理院発行〕
まだ茅葺き屋根が見える合戸の集落 水石山に通じる道路から見る。 〔昭和47(1972)年11月 いわき市撮影〕
合戸小学校跡を活用した「水石山少年自然の家」でコンサート 〔昭和47(1972)年8月 いわき市撮影〕
昭和50年代から平成時代初期にかけて、夏期を中心ににぎわう施設 〔昭和55(1980)年6月 いわき市撮影〕
高速道路が開通(遠方に合戸橋のアーチが見える)したが、国道としての重要な役割は今も継続 〔令和4(2022)年10月 小宅幸一撮影〕
老朽化と他類似施設の開設で閉鎖へ 〔平成10(1998)年6月 いわき市撮影〕
今も旧合戸小学校の校門が立つ 〔令和4年10月 小宅幸一撮影〕
旧合戸小学校の玄関(平成10年5月 いわき民報社撮影)
水石山少年自然の家(昭和45年6月、いわき市撮影)
水石山少年自然の家全景(昭和47年8月、いわき市撮影)
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