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『好間工業団地』(令和5年1月18日市公式SNS投稿)

登録日:2023年1月17日

いわきの『今むがし』Vol.160

好間町と平赤井にまたがる丘陵地に計画された工業団地建設 〔昭和51年(1976)5月  『いわき好間中核工業団地』から引用〕

好間町と平赤井

  昭和30年代、日本は高度経済成長に入りましたが、豊かさは地方の隅々までは届いていないとみられ、国土の均等開発を図る手段として地方に工業の拠点地を設けようと、昭和37(1962)年に「新産業都市建設促進法」が公布されました。いわき地方は全国15か所の一つとして地域指定。以後、工業化が積極的に進められました。
 さらに、大都市における工業集積度は一層高まった一方で、公害や過疎・過密の格差などが歪(ひず)みとしてあらわれ、これを是正する施策が求められました。昭和47(1972)6月に公布された「工業再配置促進法」は、これを具現化させたものであり、いわき市も「誘導地域」に指定されました。 いわき市の場合、新産業都市に指定され、臨海部を中心とした工業化は進み、製造品出荷額等は増加しました。しかし、中心の化学工業は装置型工業であり、多くの従業員を必要とせず、就労機会は限られた状態であったため、人口減少や若者の流出が続いていました。
 いわき市はこの状況を打開するため、労働集約型の内陸型工業団地について建設構想に着手し、昭和48(1973)8月施行の「工業再配置促進法」に基づき発足した工業再配置・産炭地域振興公団(昭和4710月に旧産炭地域振興事業団から改組)に工業団地の建設を要望しました。大都市圏からの工場分散・移転の受け皿としての役割期待やそれまでの臨海部に偏(かたよ)った工業集積を内陸部へ展開させ、市の均衡ある発展を図るという方向性に促されたことが、すなわち人口減少や若者流出の解消策として考えられたからです。
 事業主体としては、昭和51(1976)4月に開設された地域振興整備公団常磐支部(現独立行政法人都市再生機構、昭和498月に旧工業再配置・産炭地域振興公団から改組)が受け皿となりました。 工場適地について調査・検討した結果、好間町小谷作(おやさく)、同愛谷、同今新田(いまにいだ)、同北好間、平赤井と、合わせた五つの大字33の字)にまたがり、山林で覆(おお)われ、一部で谷が細長く入り込んだ丘陵地が選ばれました。地権者は共有林を別にして約380人に達しました。このような土地が選ばれた最大の理由は、交通体系の整備でした。昭和48(1973)10月には、高速自動車道「常磐自動車道」の日立市-いわき市区間に施行命令が出されて、その終点(後に「いわき中央インタチェンジ」と命名)が丘陵地の近くに設置されることになりました。終点は、国道49号と交差するという交通要所にも当たります。時に、輸送主体は鉄道から自動車へ移行し、高速自動車道を中心とした交通体系の構築が主流になっていきました。
 
工業団地予定地として当てられた区域は、製品・原料が高速道路を通じで全国へ輸送できる要(かなめ)の地として期待をもって迎えられたのです。こうして炭鉱閉山で地域疲弊が目立っていた地域がにわかに活性化していくことになりました。
 昭和51(1976)3月には、地域振興整備公団の工業再配置事業として採択されました。昭和5355(1978-80)年にかけて設計・検討が行われ、昭和556月に承認を受けました。
 
工業団地には昭和55(1980)12月に造成着手され、昭和60(1985)1月に第一期造成工事が完了、同時に「いわき好間中核工業団地」として分譲区画の公募が開始されました。売り行きが順調であったことから、昭和63(1988)年から第二期造成工事に入り、平成5(1993)年に完了しました。 

上 完成した「いわき好間中核工業団地」には工場が進出 〔平成時代初期 いわき市撮影〕
下 分譲が完成し、相次ぐ工場進出で埋まる工業団地 〔平成8年(1996) いわき市撮影〕

3 いわき好間中核工業団地の団地総面積は324.1ha、うち工場敷地面積は157.7haに及び、いわき市では小名浜臨海工業団地に次ぐ広さを持つ工業団地です。団地総面積に占める工場敷地面積が多くないのは、6.7haに及ぶ好間中央公園(ナイター施設を備えた多目的広場や芝生広場など)の設置や工場周辺の緑地化に配慮したからにほかなりません。
 同工業団地への工場進出は、昭和63(1988)年の22件をピークに順調に進みました。工場進出が相次いだ背景には、常磐自動車道の開通(昭和63年)とバブル好景気の相乗効果、さらには京浜地区において工場が住環境に及ぼす悪影響が深刻化し、いわば工場疎開のような状況を呈したことにあるものと考えられました。また、いわき明星大学の開学や福島高専の充実を背景に、理工学系の人材確保が容易となったことも挙げられました。
 工業団地の造成に伴い、区域の字名はすべて「いわき市好間工業団地」へ改称されました。字名として工業団地名が名づけられたのは初めてで、この場合、「好間工業団地」が大字単位となりました。これによって、好間町北好間では9(あざ)、好間町小谷作では9字、好間町愛谷では4字、好間町今新田では4字、平字赤井では7字の、全部あるいは一部が組み込まれました。
 分譲開始以降、バブル景気の崩壊により、進出を断念した企業もありましたが、これに代わる企業進出があり、分譲は完売、立地企業は約7十余社に達しています。
 工業団地の建設と常磐自動車道のインター開設はこの後、国道49号パイバスの建設や平市街地の拡大に伴う好間町の都市化などを誘発、好間町のまちづくりや市のなかの位置づけを大きく変えることとなりました。 

(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

好間町小谷作(建設計画の東側)から見る団地予定地  丘陵地上に見えるのは、既設の工場。〔昭和50年代半ば いわき市撮影〕

■写真1-2 好間町小谷作(建設計画の東側)から見る団地予定地  丘陵地上に見えるのは、既設の工場。〔昭和50年代半ば いわき市撮影〕

工業団地建設予定地を北側の平赤井から遠望 〔昭和55年(1980)頃  いわき市撮影〕

■写真2-1 工業団地建設予定地を北側の平赤井から遠望 〔昭和55年(1980)頃  いわき市撮影〕

工業団地造成の完成状況を遠望 〔昭和60年(1985)頃 いわき市撮影〕

■写真2-2 工業団地造成の完成状況を遠望 〔昭和60年(1985)頃 いわき市撮影〕

工業団地建設予定地(写真左)と好間市街を西側から遠望 〔昭和50年代 稲葉廣巳氏提供〕

■写真3-1 工業団地建設予定地(写真左)と好間市街を西側から遠望 〔昭和50年代 稲葉廣巳氏提供〕
 

後の「いわき好間中核工業団地」となる平市大字赤井と好間村に横たわる丘陵地 〔1.50,000地形図 平(昭和27年応急修正)  国土地理院発行〕

■地図1  後の「いわき好間中核工業団地」となる平市大字赤井と好間村に横たわる丘陵地 〔1.50,000地形図 平(昭和27年応急修正)  国土地理院発行〕

「いわき好間中核工業団地」の西隣には、「あかいテクノパーク」の工業団地が造成され工場を誘導 〔平成27年(2015)12月 いわき市撮影〕

■写真1-5 「いわき好間中核工業団地」の西隣には、「あかいテクノパーク」の工業団地が造成され工場を誘導 〔平成27年(2015)12月 いわき市撮影〕.JPG

常磐自動車道いわき中央IC(写真手前)に接する「いわき好間中核工業団地」〔平成26年(2014)12月 いわき市撮影〕

■写真3-2 常磐自動車道いわき中央IC(写真手前)に接する「いわき好間中核工業団地」〔平成26年(2014)12月 いわき市撮影〕
 

「いわき好間中核工業団地」の工場配置状況 〔 1.50,000地形図 平(平成19年修正)  国土地理院発行〕 

■地図2 「いわき好間中核工業団地」の工場配置状況 〔 1.50,000地形図 平(平成19年修正)  国土地理院発行〕 

常磐自動車道いわき中央インター。遠くにいわき好間中核工業団地の一端が見える(平成元年2月、いわき市撮影)

常磐自動車道いわき中央インター。遠くにいわき好間中核工業団地の異端が見える(平成元年2月、いわき市撮影)

 

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