コンテンツにジャンプ

『平窪』(令和元年10月9日市公式Facebook投稿)

更新日:2023年9月6日

いわきの『今むがし』Vol.128

上 平市大字下平窪字鍛治内のくさのや商店付近の火の見やぐらから南方を見る〔昭和41(1966)年4月、松本正平氏撮影・松本正夫氏提供〕
下 平市大字下平窪字鍛治内から北方を見る〔令和元年9月、いわき市撮影〕


写真1 江戸時代、平窪村は磐城平藩に属していました。夏井川の洪水にさらされる地域でしたが、小川江筋という水路が通じ、城付農村として米蔵の機能を担う豊かな地域でした。このほか、西平窪村には、城下で火事のような非常時の際、火消しとして駆け付けるなどの重要な役目が課せられていました。
 明治時代以降、夏井川の河川改修時に、地元の平窪では農作業のため人手不足になったことから、平町が就労者を募集して送り込んだこともあるほど、両者は深いつながりをもってきました。
 このため、昭和時代の初め、市制施行をめざした平町は周辺の平窪村、飯野村、神谷村、赤井村、内郷村、好間村に合併を呼びかけましたが、いずれも拒絶するなかで、最終的に平窪村だけが応じたのは、他の村に比べ関係が深い歴史をもっていたからでした。両者は合併して、昭和12(1937)年6月に市制施行を果たしました。
 平窪村内の中央を南北に通じていたのが、磐城街道です。田村郡-川前-上小川-平窪-平-飯野-鹿島-小名浜を通り、浜通りと中通りを結ぶ重要な幹線道路であったことから、大正9(1920)年に施行された「道路法」により、県道に位置づけられました。この道路が、後に平窪の発展と大きな関わりを持つことになります。
 昭和時代に入り、街道沿いでは昔からの農家のほか、商店が進出しましたが、県道背後の農家を相手にした店が点在するだけでした。
 県道といいながらも道路は未舗装で、自動車が通るたび、雨の日は水たまり、晴れの日にはほこりだらけ、と住民を悩ませました。
 長い間、純農村だった平窪が大きく変化したきっかけとなったのが、昭和30年代の高度経済成長期です。生活が豊かになり住宅建設が進んだことから、住宅の取得しやすい郊外が求められたためでした。
 昭和31(1956)年、農村地域の水田のなか、中平窪字細田、横枕に市営住宅20戸、県営住宅6戸が建設されたのを皮切りに、中平窪、下平窪に相次いで公営住宅が整備されるようになります。
 また、昭和38(1963)年12月には、下平窪の地主約50人が「下平窪住宅団地誘致同盟会」を結成し、平市に対して、所有地12万㎡を住宅団地として貸与提供することを申し入れしました。

上 平市大字下平窪字鍛治内のくさのや商店付近の火の見やぐらから北方を見る〔昭和41(1966)年4月、松本正平氏撮影・松本正夫氏提供〕
下 平市大字下平窪字鍛治内から北方を見る〔令和元(2019)年9月、いわき市撮影〕

写真2

 平市は、下平窪住民が住宅地として変容することに強い意向を示していることに応え、県道西側17.2haの水田を中心とした区域を土地区画整理事業として整備する計画を進め、昭和40(1965)年10月に都市計画が決定しました。
 これとあわせて、県道幅を4.5mから7.5mへ拡幅、さらに舗装も施工されました。しかし中平窪字杉内では旧家があり、拡幅が難航しましたため、中平窪から上平窪に至るルートでは新設道路が開削されました。
 「平下平窪土地区画整理事業」は昭和41(1966)年12月に着手、昭和46(1971)年12月に完成しました。
 この住宅化は、周辺に影響を及ぼし、住民が自ら組合を結成して、土地区画整理事業に取り組んでいきます。そのエリアは北進して、平下平窪、同中平窪では、主要地方道いわき-古道線(県道平-小野線)を軸に市街地が形成されていきます。
 最初に都市計画がされた区域のうち、東側に当たる県道東側では分離して、「平下平窪第二土地区画整理事業」(10.8ha)として昭和48(1973)3月に着手、昭和51(1976)年3月に完成しました。
 さらには県道東西側には「中平窪」(昭和53(1978)年8月)、続いて県道西側には「平下平窪第三」(昭和63(1988)年9月)、さらに県道西側には「中平窪第二」(昭和62(1987)年11月)が、それぞれ施工されました。
 この間、昭和42(1967)年に平窪地内の主要地方道が全線舗装され、さらに主要地方道は国道399号に昇格し、沿線には昭和50年代にスーパーマーケットが2店開設、さらに金融機関の支店やさまざまな業種の商店が相次いで進出するようになって、一大市街地を形成するまでに至りました。
 市街地の規模を示す人口集中地区(DID)は、平成2(1990)年の国勢調査時から平窪地区に設定されました。その時の人口は5,259人でしたが、平成27(2015)年には6,751人を数え、増加傾向が続いています。
 一般的に、市街化は土地区画整理事業を通じて行われることが多く、平市街地に接する平窪も例外はないのですが、平窪の場合、元々は既成市街地がなく、しかも市街化のほとんどが5つの土地区画整理事業を主体としたことは特筆すべきこととして捉えることができます。
 また、平市街から国道399号を北上し、中平窪を過ぎると、これまでとはまったく異なった田園風景が広がっており、市街化調整区域となっている上平窪や国道から離れた区域は、都市化とは無縁の土地利用となっていることも、平窪地区の特徴としてみることができます。
(いわき地域学會 小宅幸一)
 

その他の写真

上 平市大字中平窪字杉内〔昭和17(1942)年2月、松本正平氏撮影・松本正夫氏提供〕

下 平市大字中平窪字杉内〔令和元(2019)年9月、いわき市撮影〕

写真3

 

平市大字中平窪の杉内川沿いに東方を見る―遠方に見えるのは、白鳥の雪酒造―〔昭和29(1954)年9月、松本正平氏撮影・松本正夫氏提供〕

4 平市大字中平窪の杉内川沿いに東方を見る―遠方に見えるのは、白鳥の雪酒造―〔昭和29(1954)年9月、松本正平氏撮影・松本正夫氏提供〕

 

平市大字中平窪字横枕を走るバス〔昭和22(1947)年、松本正平氏撮影・松本正夫氏提供〕

5

 

平市大字中平窪字横枕の杉内バス停付近を火の見やぐらから見る〔昭和27(1952)年7月、松本正平氏撮影・松本正夫氏提供〕

6 平市大字中平窪字横枕の杉内バス停付近を火の見やぐらから見る〔昭和27(1952)年7月、松本正平氏撮影・松本正夫氏提供〕

このページに関するお問い合わせ先

総合政策部 広報広聴課

電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

このページを見ている人はこんなページも見ています

    このページに関するアンケート

    このページの情報は役に立ちましたか?