『小名川(橋)』(平成31年4月24日市公式Facebook投稿)
登録日:2019年4月24日
いわきの『今むがし』Vol.117
上 古湊側から見る小名川橋―道路上に磐城海岸軌道が見える―〔大正時代、郵便絵はがき 樋口商店発行〕
下 小名川橋の現在〔平成31(2019)年3月、いわき市撮影〕
【“運河”と称して開削された小名川河口】
昭和2(1927)年に重要港湾に指定された小名浜港の築港は、昭和4(1929)年度から開始されました。海岸線を埋め立てて、新たに3,000t岸壁を建設する工事を中心に、小名川についても、河口を埋め立て延長することが計画されました。
昭和8(1933)年の計画では、河口改修により延長100m、幅員28mとする概要でしたが、まず手始めに昭和10(1935)年から下明神町付近から下流側を順次拡幅施工。さらに昭和15(1940)年度以降、海岸から港橋まで幅員30m、港橋から小名川橋まで幅員20mにするとともに、両岸に道路を設け、さらに既設の河底を浚渫(しゅんせつ)する計画で進められました。
~小名川河口に架けられた橋~
観音橋
観音橋は小名浜市街と上神白を結ぶ道路に架かる橋です。昭和31(1956)年に木橋から鉄筋コンクリート造り橋(延長11m、幅5m)に架け替えられました。
橋本橋
橋本橋は小名川マーケットと小名浜字橋本を結ぶ木橋(延長11m、幅員2m)で昭和29(1954)年に完成しました。マーケットとの人の往来に便宜を図るために架橋されたものでしたが、マーケットの利用が少なくなって撤去されました。
小名川橋
小名川橋は、泉や中之作、江名、豊間などを結ぶ重要な道路に架かる橋です。鉄筋コンクリート造りで幅、延長ともに5間(約9m)の橋として、昭和9(1934)年2月に竣工しました。
港橋
港橋は、埋め立ての過程で漁港区と商港区を分ける小名川に架かる橋(幅9m、延長30mの鉄筋コンクリート造り)として、昭和13(1938)年5月に、商港竣工式と同時に開通式を行いました。(昭和35年に架け替え)
小名浜臨港鉄道魚市場線小名川橋
小名川の河口付近の架かる鉄橋(延長25m)は、小名浜臨港鉄道の小名浜駅から分岐した小名浜魚市場までの引込線で、昭和18(1943)年5月に開通しました。
本来は鮮魚を運ぶために敷設されたものでしたが、運ばれたのは戦争中はもっぱら武器、弾薬、特殊潜水艦などでした。戦後は本来の鮮魚が運ばれましたが、弾薬を海に投棄するなど、戦争処理にも利用されました。
世情が落ち着いた昭和28(1953)年1月に魚市場前引込線終端に栄町停留所が設置されて江名鉄道が開通したことから、引込線も小名浜臨海鉄道の本線に昇格しました。ところが思いもよらず、この頃から魚市場と小名浜海水浴場を最短で結ぶ通路として、歩行者が渡るようになり、危険視されるようになりました。
上 小名浜臨港鉄道小名川橋梁と気動車―小名浜魚市場方向を見る―〔昭和41(1966)年2月、高井薫平氏撮影〕
下 磐城新橋の現在〔平成31(2019)年3月、いわき市撮影〕
【小名浜臨港鉄道小名川橋 ⇒ 磐城新橋】
昭和31(1956)年、小名浜臨港鉄道の鉄橋を渡ろうとした漁師が走ってきた気動車に気づかずはねられて死亡する事故が起き、鉄橋の両側に「歩行禁止」の立札が掲げられました。
一方、関係者からは、この間「小名川河口に道路橋を新設してほしい」という要望書が出されました。
このため、市は小名川河口域を横断する道路開削と橋の建設を行い、延長約27m、幅員8mのコンクリート造りの橋「新磐城橋」が、昭和38(1963)年3月に完成しました。
これで、鉄道橋と道路橋が並ぶことになりましたが、江名鉄道が昭和41(1966)年に廃止となると、接続駅として機能していた栄町停留所は小名浜臨港鉄道にとって不用な存在となって、小名浜-栄町が廃止となりました。
このことにより、鉄道跡は道路として転用することが可能となりました。
この間、既設の道路は鮮魚を運ぶトラックだけでなく、小名浜港1号埠頭の拡充などで交通量が増え、港湾道路として充実を図る必要があったことから、鉄道跡を利用して片側2車線に拡充する際、昭和50(1975)年3月に、下流側に同じ規模の橋が建設され、二つを合わせて「磐城新橋(いわきしんばし)」と名づけられました。
橋を含む臨港道路2号線は、現在は物流を担う自動車や観光バスなど多くの自動車が行き交う小名浜市街の外周道路として、機能しています。
【小名浜臨港鉄道小名川橋 ⇒ 磐城新橋】
昭和31(1956)年、小名浜臨港鉄道の鉄橋を渡ろうとした漁師が走ってきた気動車に気づかずはねられて死亡する事故が起き、鉄橋の両側に「歩行禁止」の立札が掲げられました。
一方、関係者からは、この間「小名川河口に道路橋を新設してほしい」という要望書が出されました。
このため、市は小名川河口域を横断する道路開削と橋の建設を行い、延長約27m、幅員8mのコンクリート造りの橋「新磐城橋」が、昭和38(1963)年3月に完成しました。
これで、鉄道橋と道路橋が並ぶことになりましたが、江名鉄道が昭和41(1966)年に廃止となると、接続駅として機能していた栄町停留所は小名浜臨港鉄道にとって不用な存在となって、小名浜-栄町が廃止となりました。
このことにより、鉄道跡は道路として転用することが可能となりました。
この間、既設の道路は鮮魚を運ぶトラックだけでなく、小名浜港1号埠頭の拡充などで交通量が増え、港湾道路として充実を図る必要があったことから、鉄道跡を利用して片側2車線に拡充する際、昭和50(1975)年3月に、下流側に同じ規模の橋が建設され、二つを合わせて「磐城新橋(いわきしんばし)」と名づけられました。
橋を含む臨港道路2号線は、現在は物流を担う自動車や観光バスなど多くの自動車が行き交う小名浜市街の外周道路として、機能しています。
(いわき地域学會 小宅幸一)
その他の写真
小名浜臨港鉄道小名川橋梁・通行禁止の横を通る人々(昭和30年代、長谷川達雄氏撮影)
小名浜臨港鉄道小名川橋梁と渡る人、釣り人(昭和30年代、長谷川達雄氏撮影)
小名浜臨港鉄道小名川橋梁と川網を張る少年(昭和30年代、長谷川達雄氏撮影)
小名浜諏訪神社のみこし渡御・小名川べり(昭和32年、ふるさとの想い出)
高潮が迫る小名浜臨港鉄道小名川橋梁(昭和36年秋、二片英治氏提供)
小名浜臨港鉄道小名浜-栄町の小名川鉄橋を走るキハ102(昭和41年2月6日、高井薫平氏提供)
小名川の泥さらい(昭和52年8月、いわき民報社撮影)
小名川橋を上流側の小名浜橋本から見る(平成7年5月、高萩純一氏撮影)
小名浜下明神町「明神橋」を南側から見る(平成7年5月、高萩純一氏撮影)
地図1 小名浜港平面図 〔昭和10年8月実測〕
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