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『平並木通り』(平成31年2月13日市公式Facebook投稿)

登録日:2019年2月13日

いわきの『今むがし』Vol.112

プラタナスが植栽された並木通り、平駅方向を見る〔昭和13(1938)年頃、関内正雄氏撮影〕

写真1

 JRいわき駅前から西へ向かう道路は、江戸時代から明治時代へ、大きく変化を遂げた場所でした。
 江戸時代当初、城下造成の際には、田町は湿地や沼地でしたが、元和8(1622)年に磐城平藩に入部した内藤家によって侍屋敷に配置換えされたため、1軒あたりの屋敷を広く取った侍屋敷18軒ほどが配置され、その北側には東西に延びる道路が設けられました。
  明治時代に入り、武家屋敷が撤去され、一帯は田畑と化しましたが、通りに小学校や裁判所、郡役所が進出し、官庁街として変容しました。
 ところが、明治30(1897)年2月に日本鉄道磐城線(現JR常磐線)平(現いわき)駅が開設されると、駅前には商店や事業所が進出し、官庁街としての機能は薄れていきます。
 大正時代末期、この通りに街路樹を植える計画が立てられます。
大正13(1924)年4月18日付『常磐毎日新聞』には、「平町では今回、同町小林区(しょうりんく)営林署から街路樹銀杏100本を寄贈されたので、(中略)土木委員会を開き、之(こ)れが植付けを協議、(中略)80円を予算し、平停車場から掻槌小路(さいづちこうじ)に至る両側の風致を造ることに決定した」と報じられています。平町では初めての街路樹でしたが、顛末は明らかではありません。
 昭和12(1937)年12月には、平駅前の田町から掻槌小路までが舗装されたのを機に歩道部分との境に植栽計画を立てたところ、これに応じて田町関係者がプラタナス40本を寄付。これに町が用意した30本を加え、70本が植栽されました。
 街路樹を含めた道路整備については明治時代以来の法律がまとめられ、大正8(1919)年4月に「道路法」が公布され、さらに同12月に「道路構造令」が公布されました。しかし、歩道の規定はなく、明治時代にあった並木の規定は姿を消してしまい、その後、街路の植栽についての法的規定の具体化は、昭和45(1970)年に定められた「道路構造令」まで待たなければなりませんでした。
 この通りが、通称「並木通り」と名付けられたのは、この頃と考えられます。銀座通り、紅小路なども同時期に命名されています。
 さらに、人が歩ける通路の確保と街路の美観のため、両側にあった側溝を暗渠(きょ)化する工事が行われ、昭和16(1941)年8月に西村横丁(現レンガ通り)付近までが完成しました。
 

再開発事業が待たれる並木通り〔平成30(2018)年11月、いわき市撮影〕


写真2 昭和10年代、戦時色が濃くなると、日本は劣勢に立たされることになり、アメリカの爆撃機が頻繁に日本本土に来襲するようになります。
 政府は、昭和18(1943)年9月に閣議決定された「現情勢下ニ於(お)ケル国政運営要綱」のなかで正式に「疎開」を位置づけました。実際は避難、撤退ですが、マイナスイメージとなることから、言葉を疎開と置き換えたのです。これを踏まえ同年12月に「防空法」を改正し、昭和19(1944)年1月に「都市疎開実施要綱」を決定、対象を「人員」、「施設」、「建築物」の3種類とすることを示しました。
 平市にも、これが適用され、並木通りの北側、常磐線との間にある建物がすべて強制的に撤去されたのです。
 このことによって、戦後、平市街の復興を図る際に、北側には歩道を設けることが容易になりました。
 次いで、南側の歩道は昭和29(1954)年に完成しました。
高度経済成長とともに道路整備が進み、昭和45(1970)年の「道路構造令」で具体的な歩道設置基準などの規定が確保されると、歩道も整備されるようになり、植栽が一般化していきます。
 駅前通りや国道の植栽や並木通りの植栽再整備は、昭和40年代末から昭和50年初めにかけて行われました。
ところで、平市時代には市道であった並木通りは、その後格上げされていきます。それまで本町通りから掻槌小路経由だった県道が、昭和41(1966)年に平跨線橋が完成したことにより、県道平-小野線が並木通り経由となり、さらに昭和46(1971)年8月には主要地方道いわき-古道線へ、そして、昭和56(1981)年4月には国道399号へ格上げされて重要路線となっていきます。
市は地域住民や地権者と、並木通り北側の再開発事業について協議を進め、平成30(2018)年1月、「いわき駅並木通り地区第一種市街地再開発事業」を発表しました。古くからの通りであり、さまざまな歴史変遷を経てきた街路の並木通り。今後、また新しい歴史を刻んでいきます。
(いわき地域学會 小宅幸一) 

 

その他の写真

平字田町(現ラトブ前)、並木通りを西方向を見る(昭和40年代、木下仁一氏撮影)

写真3 平字田町(現ラトブ前)、並木通りを西方向を見る(昭和40年代、木下仁一氏撮影)

 

平並木通り(平成6年12月、いわき市撮影)

写真4 平並木通り(平成6年12月、いわき市撮影)

 

並木通り・駅付近から松ケ岡公園方面を見る(平成8年、いわき市撮影)

写真5 並木通り・駅付近から松ケ岡公園方面を見る(平成8年、いわき市撮影)

 

平並木通りの樹木(平成12年1月、いわき民報社撮影)

写真6 平並木通りの樹木(平成12年1月、いわき民報社撮影)

 平並木通り(平成24年5月、いわきジャーナル撮影)

写真7 平並木通り(平成24年5月、いわきジャーナル撮影)

 平並木通り、いわき駅西市営駐車場を西方に向かって見る(平成30年1月、いわきジャーナル撮影)

写真8 平並木通り、いわき駅西市営駐車場を西方に向かって見る(平成30年1月、いわきジャーナル撮影)

 並木通りとラトブの交差点を西方に向かって見る(平成30年1月、いわきジャーナル撮影)

写真9 平並木通りとラトブの交差点を西方に向かって見る(平成30年1月、いわきジャーナル撮影)

 平並木通りを西方に向かって見る(平成30年1月、いわきジャーナル撮影)

写真10 平並木通りを西方に向かって見る(平成30年1月、いわきジャーナル撮影)

 平市街(北目村)の地籍図・土地利用図(明治18年、『福島の歴史地理研究』から引用)

地図1 平市街(北目村)の地籍図・土地利用図(明治18年、『福島の歴史地理研究』から引用)

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