『小名浜臨海工業団地』(平成31年1月23日市公式Facebook投稿)
登録日:2019年1月23日
いわきの『今むがし』Vol.111
(左上)小名浜臨海工業団地・北西方向〔昭和47(1972)年10月、いわき市撮影〕
(右上)小名浜臨海工業団地・北東方向〔昭和47(1972)年10月、いわき市撮影〕
(左下)小名浜臨海工業団地・県道泉-岩間-植田線から〔昭和47(1972)年10月、いわき市撮影〕
(右下)小名浜臨海工業団地・公園入口の道路から〔昭和47(1972)年10月、いわき市撮影〕
以前、「泉町下川字大剣」の変容を紹介しましたが、今回は視点を臨海工業団地に置いて紹介しましょう。
下川海岸から海岸線を遥か東へ、三崎に続く漁港区の隣に位置づけられた商港・小名浜港には長い間、昭和13(1938)年に完成した3,000t岸壁(1号埠頭)(後に1万t岸壁に増強)の存在だけでした。
昭和30年代以降、高度経済成長により海外との貿易が盛んになるにつれて、港湾の充実が最重要課題として認識されるようになると、埠頭の増強が必要となり、福島県により昭和40年代以降、2号埠頭、3号埠頭、4号埠頭が相次いで建設され、海岸は東から西に向かって埋め立てられていきました。
さらに7号埠頭、藤原川を越えて藤原埠頭(木材専用)と建設されていきます。その一方、日本全体が安価な石油を原料した製品を主体としていくなかで、小名浜では港湾整備や石油コンビナート構想の実現が急務となっていました。それまでは3号埠頭付近に石油備蓄タンクなどが配置されていたのですが、工場再配置をするために、新たな専用備蓄地も必要となっていました。
昭和43(1968)年、臨海工業団地の造成を前に、富士興産(株)の進出予定が発表され、石油コンビナート建設の全容が明らかになっていきます。計画では埋立造成地に石油を精製する製油所を建設し、関連会社にナフサを供給することとしており、これに特化した大剣埠頭の建設とこれに接した臨海工業団地の建設が急がれました。
工業団地建設は、海側を第一期工事、山側を第二期工事に分けて行われました。第一期分の220haについては、昭和43(1968)年から用地買収が始まりました。
ところが、常磐炭礦(株)が製油所の建設計画にストップをかけたのです。製油所が建設する場所の地下には、すでに常磐炭礦(株)の鉱業権が設定され、昭和28(1953)年に通産省石炭局から採掘権登録認可を取得。常磐炭礦は海岸深部に向かって炭層に沿って坑道を延ばしており、すでに地下採炭が準備されていました。地上開発か地下開発か、選択あるいは調整は難航しました。これは通産省の調停によって、常磐炭礦(株)が製油所を避けて採掘することで解決されましたが、常磐炭礦(株)そのものが昭和46(1971)年4月に閉山となって子会社・西部礦採炭計画が変更され、課題は解消されました。
(左下)小名浜臨海工業団地・北西方向〔平成30(2018)年12月、いわき市撮影〕
(右上)小名浜臨海工業団地・北東方向〔平成30(2018)年12月、いわき市撮影〕
(左下)小名浜臨海工業団地・県道泉-岩間-植田線から〔平成30(2018)年12月、いわき市撮影〕
(右下)小名浜臨海工業団地・公園入口の道路から〔平成30(2018)年12月、いわき市撮影〕
小名浜臨海工業団地建設の第一期造成工事(海側)は、昭和49(1974)年に完了しました。
この際に大きな出来事が生じました。一つはあらかじめ計画されていたのですが、国道6号沿道の居住環境などの改善と交通量の緩和、さらには新産業都市建設構想を支援し、将来の交通需要に見合った道路網体系を確立するため、国道6号常磐バイパス佐糠町碇田(いかりだ)-泉町下川が、昭和52(1977)年12月に完成したことです。
工業団地の海側と山側を分けるように南北に貫通し、佐糠町碇田-泉町は昭和47(1972)年度からは工事に着手されていました。
もう一つは想定外の出来事でした。完成した第一期造成地内では、製油所建設の前提として昭和48(1973)年から油槽タンクの建設を進め、製油所建設の建設を待つばかりとなっていましが、昭和48年秋に勃発した中東戦争という思わぬアクシデントに“足を掬(すく)われた”のです。
すなわち中東情勢の不安が石油産油国からの安定供給に影を落とし、これに由来する「第一次石油危機」が石油の高騰を呼びこみました。日本全体として、もはや石油に全面的に依存することは不可能となり、これまでの石油精製計画は大きく転換を余儀なくされることになりました。以後、石油コンビナートが成ることはなく、石油備蓄基地となる石油タンク群が並ぶだけになりました。
二度にわたる石油危機で最初の構想が崩れ、造成計画も遅れましたが、昭和58 (1983)年3月に第二期造成工事が完成。以後、常磐自動車道の開通を控え、工場進出が相次ぎ、従来の構想とは異なりますが交通の利便性もあって、現在、約70社が立地しています。
ところで東日本大震災時、小名浜臨海工業団地石油備蓄基地からの石油供給が大きな課題となりました。被災地はガソリン不足が大きな問題となったのですが、いわき市の場合は石油が近くにありながらこれを入手することができなかったのです。
それは法律的(昭和50年に公布された「石油の備蓄の確保等に関する法律」)な縛りがあったからでした。その基は、皮肉にも昭和48年に起こった石油危機に由来します。このとき、日本は石油と石油を原料とする製品の不足に見舞われ、日本中がパニックを起こしました。このため、石油の輸入障害が起こったときに備えて、一定期間、石油分量を備える法律を設けたのです。つまり日本国内の需要という理由では、確保した分量を放出できなかったのです。
政府の指示によって石油備蓄基地から石油が供給されたのは、震災から10日後の3月20日のことでした。
(いわき地域学會 小宅幸一)
その他の写真
大剣岬からみた大剣埋立(昭和46年6月、いわき市撮影)
大剣団地造成起工式(昭和46年6月、いわき市撮影)
大剣海岸とタンク(昭和49年2月、いわき市撮影)
小名浜臨海工業地帯、小名浜臨海工業団地造成を大畑公園から見る(昭和49年5月、いわき市撮影)
小名浜臨海工業団地のタンク設置(昭和50年、いわき市撮影)
小名浜臨海工業団地のタンク建設を大畑公園から見る(昭和53年10月、いわき市撮影)
小名浜臨海工業地帯(昭和50年4月、いわき市撮影)
小名浜臨海工業団地造成事業完成記念碑除幕式(昭和56年11月、いわき市撮影)
小名浜臨海工業団地内の常磐バイパス・小浜方面(昭和60年3月、いわき市撮影)
小名浜臨海工業団地内の常磐バイパス・泉方面(昭和60年3月、いわき市撮影)
常磐炭鉱の地下採炭概要図
温泉水の噴出・泉七丁目(平成23年6月、いわき市撮影)
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