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『平字旧城跡(三階櫓)』(令和4年11月9日市公式SNS投稿)

登録日:2022年11月9日

いわきの『今むがし』Vol.156

 磐城平城における三階櫓の位置 建物の真下に堀がめぐらされているのがわかる。〔延宝8(1680)年 「磐城国平城(内)修理下絵図」から引用〕

磐城平城における三階櫓の位置 建物の真下に堀がめぐらされているのがわかる。〔延宝8(1680)年 「磐城国平城(内)修理下絵図」から引用〕 以前、この連載で「平字旧城跡」に所在した磐城平城の変遷を紹介しましたが、今回は磐城平城の三階櫓(やぐら)が立っていた場所について紹介します。
 一般的に磐城平城周辺に関する現在の土地の名称と建物の関係性をみていくとき、漠然と高台の最南端に位置する三階櫓が立っていたのが「字旧城跡」、その眼下に広がっていた内堀が「字田町」と思い描きます。
 
今回、磐城平城の調査に際し、登記簿や土地台帳などで現在に至るまでの系譜を調べました。落城から約150年。明治政府によって、すべての地に字名、番地が付されて以降現代に至るまで、土地利用の用途目的に応じて土地は売買の対象となって、有為転変(ういてんぺん)を繰り返しました。加えて土地も合筆、分筆、地番変更が行われました。しかも、周辺は国土調査が行われていないこともあって、この過程をつぶさに解明するのは、至難の業(わざ)となっています。 
 ともあれ、おぼろげながらこれら土地の変遷を、登記簿や土地台帳で確認することができます。 現在のいわき駅および線路部分である字田町は、一様に日本鉄道(株)が明治26(1893)年に個人から買い上げし、明治40(1907)年に国有化に伴って逓信省の所有に移りました。その多くが元「開墾地」であり、現況は「畑」や「田」などでした。後年に、いくかの書物に記述されていた“堀を埋めて、鉄道や駅を設置した”が誤りであることがわかります。 
 問題は、「旧城跡」です。「田町」に接する部分
(本丸の南域)では、田町と同時期に日本鉄道(株)の所有となっていました。土地購入対象地番の一部には物見ケ岡稲荷神社や安藤信守(安藤家の末裔)の名が見えます。
 
日本鉄道(株)は字田町の旧武家屋敷や内堀だけでなく、丘陵地の字旧城跡南域を取得していたのです。つまり、三階櫓が建てられていたあたりは日本鉄道(株)の所有になったものと考えられます。ただし、日本鉄道(株)が取得した旧城跡の土地をどの程度鉄道用地として転用したかは推定するしかありません。
 旧城跡の南域では、物見ケ岡稲荷神社(現在地と異なる)が鎮護の神として建てられたとされています。戊辰戦争で焼失後、明治11(1878)5月に、有志によって再建(昭和141939)〕年4月に列車の飛び火から焼失、昭和271952〕年12月にふたたび再建)されていますが、日本鉄道(株)が物見ケ岡稲荷神社の敷地をどの程度取得したのか分かりません。

  平駅構内から見た磐城平城跡 〔大正時代 郵便絵はがき 清光堂書店発行)

平駅構内から見た磐城平城跡 〔大正時代 郵便絵はがき 清光堂書店〕  昭和31(1956)1115
日付『福島民報』では、旧城跡南側の崖崩れが多発したことから、平市はこの崖中腹に通じていた市道(大正時代に開設)を含めた崖の補修をしようとしましたが、国鉄の所有地であり、折り合いがつかないことが報じられています。(その後、崖の崩落を防ぐため、市は何度か法面工事を実施)
 このなかで土地所有について、「城跡の一部南側約千二、三百坪は大正末期、平駅拡張の際、国鉄側に払い下げられた」とあります。この表現は明らかに誤りで、日本鉄道(株)が土地を取得したのは(昭和50年代、一部は不動産会社に売却)、明治26(1893)年のことで、払い下げでなく、民間人から買い上げたものです。このことからも、鉄道、いわき市の関係性を読み取ることができます。
 崖崩落の問題や大正時代には平町が当時の鉄道省から土地を借りて町道を開設するなど、さまざまな確執があったことが推察されます。
 その後、平成7(1995)年、国鉄を引き継いだJR東日本は丘陵地下に通じる市道および、丘陵地南域部分をいわき市に寄付しています。平成6(1994)年には平駅からいわき駅へ駅名改称が成っており、JR東日本といわき市の関係性が変化したことがうかがえます。
 総じてみると、鉄道側が取得した土地は平地の「字田町」にとどまらず、高台の「字旧城跡」の南域に及んでいましたが、取得した土地すべてを鉄道用地として活用したわけではないものの、少なくとも南域では改変が行われたものと考えられます。
 令和3(2021)年にいわき駅南口付近の発掘調査が行われ、内堀の南淵であったことが判明しました。内堀の幅を古地図から推してみると、北淵は現在の丘陵地のもっと南方でなければならないことがわかります。
 駅開設や平町における道路開削、そして度重なる崖崩落の補強工事と相まって、高台最南端に位置していた三階櫓の底地は削り取られたとみるのが妥当ではないでしょうか。


(いわき地域學学會 小宅幸一)

  その他の写真

三階櫓下の内堀は、民間に払い下げられて田畑に転用 〔明治16(1883)年 『地図からいわきの歴史を読む』(鈴木貞夫氏著)から引用〕

三階櫓下の内堀は、民間に払い下げられて田畑に転用 〔明治16(1883)年 『地図からいわきの歴史を読む』(鈴木貞夫氏著)から引用〕

 磐城平城が位置していた丘陵地南の低地は、鉄道開通後急速に市街化 1:50,000地形図 平(明治41年測図) 国土地理院発行〕

磐城平城が位置していた丘陵地南の低地は、鉄道開通後急速に市街化 〔1:50,000地形図 平(明治41年測図) 国土地理院発行〕

 何度か城再建が試みられたが、実現せず 〔昭和46(1971)10月 いわき市撮影〕

 何度か城再建が試みられたが、実現せず 〔昭和46(1971)10月 いわき市撮影〕

字旧城跡の範囲と三階櫓、平駅の位置関係平市街図(概念図) 三階櫓の底地は平駅開設の際に、削り取られたものと考えられる。

字旧城跡の範囲と三階櫓、平駅の位置関係平市街図(概念図) 三階櫓の底地は平駅開設の際に、削り取られたものと考えられる。

公園化とともに本丸中央部の御殿発掘調査で史跡をめざす 1.25,000地形図 平(平成19年更新) 国土地理院発行〕

公園化とともに本丸中央部の御殿発掘調査で史跡をめざす 〔1.25,000地形図 平(平成19年更新) 国土地理院発行〕

 公園化をめざし、磐城平城一夜城プロジェクト&プロジェクションマッピング 〔平成28(2016)10月 いわき市撮影〕

公園化をめざし、磐城平城一夜城プロジェクト&プロジェクションマッピング 〔平成28(2016)年10月 いわき市撮影〕

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