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『小名浜愛宕上』(令和4年9月29日市公式SNS投稿)

登録日:2022年9月29日

いわきの『今むがし』Vol.154

磐城市民会館屋上から北西の磐城市大字大原を望む(昭和30年代、比佐不二夫氏提供)

磐城市民会館屋上から北西の磐城市大字大原を望む 昭和30年代、比佐不二夫氏提供 昭和10(1935)年4月、小名浜市街は都市計画法の適用を受け、小名浜、滝尻、南富岡、大原、岡小名、下神白の区域が都市計画決定されましたが、都市改造が行われたのは戦後のことでした。すなわち、小名浜、岡小名、大原を含んだ区域が土地区画整理事業を対象として、磐城市合併直前の昭和28(1953)年12月、後に小名浜第一と小名浜第二の土地区画整理事業が行われる区域を1区域として計画が認可されました。
 この計画は広域であったことから、事業計画を二つに分け、主要地方道小名浜-平線の東側を先行して施行。「小名浜第一土地区画整理事業」として昭和32(1957)年11月に事業は完了しました。           
 この事業の遂行により、市役所、警察署、保健所などの公共施設が再配置されました。
 しかし、昭和20年代後半あたりから、工業化が活発化し、見渡す限り水田であった小名浜、小名浜岡小名、小名浜大原の区域に、虫食いのように住宅が点在し、増えつつありました。ことから、将来の工業化に伴う人口増加に対応した新市街地整備を目的として、都市計画決定された区域のうち、残る主要地方道小名浜-平線の西側区域において、昭和35(1960)年10月「小名浜第二土地区画整理事業」として事業認可を受け、工事が着手されました。
 この区域には、「君ケ塚」に関して、大原には北君ケ塚、南君ケ塚、岡小名には君ケ塚、君ケ塚前、西君ケ塚と同じような地名が並んでいるうえに、飛び番地があって、整理には多くの期間を要しました。土地区画整理事業に伴う字名改称では、基本的に大半が大原や岡小名から、それぞれ小名浜に集約されて、西君ケ塚町、南君ケ塚町、君ケ塚町へ改称されました。
 この一角、まだ土地区画整理事業が途に就いたばかりの区域となる小名浜第二小学校の北方、字大原境に磐城市民会館が建設されたのは、昭和35(1960)年7月のことでした。
 第二土地区画整理事業区域の整備に先立ち、産業・文化の殿堂となる施設として昭和32(1957)年に公表されたもので、工業都市として発展してきた磐城市にとって文化機能の充実は大きな課題として捉えられ、いわき地方では最初の市民会館となりました。
 次いで隣接して、昭和41(1966)年3月には、幼児・児童用のプールが建設。さらに小ホール、会議室、大人用のプールを備えた磐城総合体育センターが昭和42(1967)年7月に建設されました。
 その後、昭和53(1978)年4月には、体育センターを用途変更し、小名浜公民館が字蛭川新川間から移転しました。
 こうして一帯には、公共施設が集積するようになりました。 

小名浜市民会館屋上から北西を望む〔平成8(1996)年、いわき市撮影〕

小名浜市民会館屋上から北西を望む〔平成8(1996)年、いわき市撮影〕 一帯には、「磐城総合体育センター」、「磐城市民会館」と名称の異なった公共施設が並ぶことになりましたが、これは、体育センターや市民会館は旧磐城市の管轄区域を持ち、公民館は磐城市以前の旧小名浜町が管轄することの違いによるものでした。
 昭和29(1954)年に小名浜町、江名町、泉町など3町2村が合併する際に、小名浜町以外の町村が「小名浜市」となることに反対して、「磐城市」となったのですが、合併すると今度は、旧小名浜町民が市名改称を求めて、市議会で論議となりました。現状維持の「磐城市」と定まったのは、昭和32(1957)年6月開会の市議会において、18対15で決を採ったことによるものでした。
 いわき市の合併の際は、「磐城」が地区名として継続しましたが、今度は対外的に「いわき」と「磐城」が紛らわしく、市は昭和55(1980)年7月にすべての市施設を「小名浜」へ改称しました。
昭和52(1977)年頃からは、車社会となって駐車スペースが手狭となり、老朽化も進んでいることから、花畑町の市支所の移転改築について論議されるようになり、地区民アンケートでは9割の移転支持がありました。移転先を市民会館敷地内に求め、コミュニティー的庁舎の建設が有力視されました。昭和56(1981)年には小名浜地区振興協議会が市に要望を提出しましたが、他の文化施設との兼ね合い、現庁舎付近の商店街からの反対などにより、進展しませんでした。
 磐城体育センターが小名浜公民館に用途変更するに際しては、プール施設も磐城市民プールと改称され、多くの子どもたちが夏休みを中心に水泳教室や水泳大会などでにぎわいをみせてきました。しかし年月を経て、老朽化に加え、いわき市民プールの完成(平成6年7月)、民間プール施設の充実により、令和2(2020)年3月に廃止となりました。跡地は駐車場として活用することが検討されています。
 公共施設の郊外化は昭和時代中期から後期にかけて展開され、市街を誘導する意義付けもありました。現在は住宅に囲まれ、街中の環境に置かれるようになりました。今後はどのような方向付けがされるのでしょうか。

(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

小名浜市民プールの建設に伴い施工された、市道中町境-山神北線の側溝新設工事〔昭和41(1966)年、小名浜公民館提供〕

3 小名浜市民プールの建設に伴い施工された、市道中町境-山神北線の側溝新設工事〔昭和41(1966)年、小名浜公民館提供〕

 市道中町境-山神北線の側溝新設工事〔昭和41(1966)年、いわき市撮影〕

4 市道中町境-山神北線の側溝新設工事〔昭和41(1966)年、いわき市撮影〕

市道中町境-山神北線の側溝の完成〔昭和41(1966)年、いわき市撮影〕

5 市道中町境-山神北線の側溝の完成〔昭和41(1966)年、いわき市撮影〕

廃止となった小名浜市民プール前の市道〔令和2(2020)年11月、小宅幸一撮影〕

6 廃止となった小名浜市民プール前の市道〔令和2(2020)年11月、小宅幸一撮影〕

いわき産業祭・小名浜公民館(昭和51年11月、いわき市撮影)

7 いわき産業祭・小名浜公民館(昭和51年11月、いわき市撮影)

小名浜市民会館・小名浜朝市(昭和57年2月、いわき市撮影)

8 小名浜市民会館・小名浜朝市(昭和57年2月、いわき市撮影)

小名浜市民会館・小名浜朝市(平成11年8月、いわき市撮影)

9 小名浜市民会館・小名浜朝市(平成11年8月、いわき市撮影)

磐城市民会館を南側上空から見る(昭和38年、磐城市撮影)

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幼児・児童用プール脇の市道中町境-山神北線の側溝新設工事施行中・東方を見る(昭和41年、小名浜公民館提供)

11 幼児・児童用プール脇の市道中町境-山神北線の側溝新設工事施行中・東方を見る(昭和41年、小名浜公民館提供)

幼児・児童用プールを磐城総合体育センター屋上から見る・三代氏の市民葬(昭和42年11月、いわき市撮影)

12 幼児・児童用プールを磐城総合体育センター屋上から見る・三代氏の市民葬(昭和42年11月、いわき市撮影)

磐城総合体育センターの市民プール(昭和42年7月、いわき市撮影)

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磐城総合体育センターの市民プール(昭和56年8月、いわき市撮影)

14 磐城総合体育センターの市民プール(昭和56年8月、いわき市撮影)

磐城市民プール(昭和50年代、いわき市撮影)

15 磐城市民プール(昭和50年代、いわき市撮影)

小名浜市民会館から幼児・児童用プールを見る(平成8年、いわき市撮影)

16 小名浜市民会館から幼児・児童用プールを見る(平成8年、いわき市撮影)

小名浜市民会館から小名浜第二小学校が立つ南方を見る(平成8年、いわき市撮影)

17 小名浜市民会館から小名浜第二小学校が立つ南方を見る(平成8年、いわき市撮影)

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電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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