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『常磐湯本町辰ノ口』(令和2年8月12日市公式SNS投稿)

登録日:2020年8月12日

いわきの『今むがし』Vol.139

上 入山採炭の職員住宅、常磐線、遠方は第4坑〔昭和10(1935)年頃、増山茂人氏提供〕
下 常磐炭礦の住宅跡地〔平成元(1989)年4月、いわき市撮影〕

1 大正時代まで、湯本駅から常磐線で北へ向かう鉄道の東側には、原野や畑、水田が広がっていました。
 入山採炭(株)は湯本町に第4坑を開いた後、湯本市街地下を避け、大正4(1915)年に常磐線東側の丘陵地を利用して北東および東方に第5坑口を開き、大正7(1918)年に石炭層に到達しました。
 大正6(1917)年、さらにその南側に第6坑口を開き、南東方向に坑道を掘削、中断を経て、昭和3(1928)年に再開し、昭和7(1932)年に石炭層に達しました。
 これらの石炭開発によって、一帯には選炭場、石炭積込場、火力発電所、専用鉄道などの施設が立ち並び、風景は一変しました。
 その後、昭和19(1944)年、戦時体制として近隣の磐城炭礦(株)との合併に踏み切り、常磐炭礦(株)になりました。
 以来、第5、6坑は湯本礦、東部礦、磐城礦、西部礦と、合理化と効率化に向けて坑口集約を図りながら、炭鉱の拠点地として閉山の昭和51(1976)年まで、いわき地方の経済を牽引してきました。
 炭鉱跡地は、湯本市街に近くまとまった土地であったため、跡地利用が注目されました。
 このうち、北側は炭鉱住宅がそのまま住宅地になりましたが、南側は、生産施設撤去後、石炭の歴史を後世に伝えるため、昭和59(1984)年10月に「いわき市石炭・化石館」、平成元(1989)年4月に「ウッドピアいわき」がオープンしました。
 一方、のちにこの区域を変えることになる藤原川水系の2級河川・湯本川は、炭鉱施設と湯本市街の間を蛇行して流れ、河川改修が繰り返されていました。常磐線が開通した明治30(1897)年以降は、その東側に沿うように流路が定まりました。

上 湯本川調節池工事(1)〔平成18 (2016)年1月、菅波晋氏撮影〕
下 湯本川調節池(1)〔令和2 (2020)年2月、おやけこういち氏撮影〕

2 湯本川(流域面積11.28㎡、流路延長約7.6km)は、湯本市街と炭鉱施設がひしめき合う谷間を流れていることから、川と縁のある生活が営まれ、住民からは「湯川」の通称で親しまれる一方、ひとたび洪水になると流域に大きな被害をもたらしました。
 上流では、磐城炭礦(株)小野田炭礦が明治16(1883)年から稼働を開始し、炭鉱周辺の山林伐採、炭滓(たんかす)の河川流入のため河床が上がり、被害が悪化しました。
 常磐炭礦(株)が閉山した翌年の昭和52(1977)年9月の台風では、死者を出す大きな被害になりました。昭和58(1983)年度から湯本川下流部で河川改修が行われましたが、湯本川背後の丘陵地が住宅開発で削られ、保水力が減少。流域沿線では床上・床下浸水が頻発し、抜本的な対策が求められるようになりました。
 平成5(1993)年11月の集中豪雨では、常磐地区で総雨量235ミリを記録し、市街地の585戸が床上・床下浸水に見舞われました。
 このため、住民や河川愛護団体は市と協議のうえ、県・国へ支援を要望。河川改修の見通しがつくと、平成14(2002)年、約4haの調節地(河川が増水したときに一時的に貯留する)をつくるため「湯本川を愛する市民ネットワーク」を立ち上げ、官民一体の活動を展開しました。
 炭鉱閉山後、区域の北側には炭鉱住宅跡地を利用した集合住宅がありましたが、居住者の多くが移転したため、この区域も調節池になりました。
 この結果、平成14年度から5か年の「湯本川床上浸水対策特別緊急事業」として、調節池(面積3.7ha、貯留容量8万1,200㎥)の建設を含む、下流側2.55km(常磐湯本町傾城~常磐関船町宿内)の河川改修を施工。50年に1度の大雨に対応できる河川として、平成20(2008)年度末に完成しました。
 「湯本川調節池」は、愛称「さはこの水辺」と名づけられ、平成21(2009)年3月に記念植樹を含む竣工式が行われました。


(いわき地域学會 小宅幸一)

 

その他の写真

上 湯本川調節池工事(2)(平成18年1月、菅波晋氏撮影)
下 湯本川調節池(2)〔令和2 (2020)年2月、おやけこういち氏撮影〕

3

 

日渡地区炭鉱住宅と常磐線、湯本川を望む(明治42年1月、『入山採炭営業案内』より引用)

4 日渡地区炭鉱住宅と常磐線、湯本川を望む(明治42年1月、『入山採炭営業案内』)

 

入山採炭五坑の坑口周辺(大正時代、絵はがき)

5 入山採炭五坑の坑口周辺(大正時代、絵はがき)

 

入山採炭第5、6坑の石炭積み込み作業(昭和15年頃、若松幹雄氏提供)

6 入山採炭第5、6坑の石炭積み込み作業(昭和15年頃、若松幹雄氏提供)

 

常磐炭礦磐城鉱業所・右湯本川(昭和30年代、常磐興産所蔵)

7 常磐炭礦磐城鉱業所・右湯本川(昭和30年代、常磐興産所蔵)

 

空撮・常磐炭鉱磐城鉱業所(昭和37年頃、いわき市撮影)

8 空撮・常磐炭鉱磐城鉱業所(昭和37年頃、常磐市撮影)

 

常磐炭礦西部礦専用鉄道向田線(昭和51年7月、須永秀夫氏撮影)

9 常磐炭礦西部礦専用鉄道向田線(昭和51年7月、須永秀夫氏撮影)

 

湯本川における河川流路の変遷(『21世紀の新しい風を感じる 湯本川 その自然と歴史』から引用)

10 湯本川における河川流路の変遷『21世紀の新しい風を感じる 湯本川 その自然と歴史』から引用

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