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『内郷御厩町下能』(平成30年11月14日市公式Facebook投稿)

更新日:2018年11月14日

いわきの『今むがし』Vol.106

一級国道6号線(現一般国道6号)の新設-下能付近。右側の道路が旧道。平方面を見る-(昭和15(1940)年頃、磐城国道事務所提供)

01 綴(現内郷)駅と平(現いわき)駅の中間、やや平寄りに内郷御厩町が位置しています。今では住宅が密集した地域ですが、かつては、国道6号線(後の国道6号、平成30年4月からは主要地方道いわき-上三坂-小野線)に沿って、上宿(かみじゅく)、下宿(しもじゅく)にまとまった集落があるきりでした。
 御厩は宿場であった湯本と平に宿泊収容できない場合に、綴とともに臨時の宿場として当てられた「間(あい)の宿」の一つでした。上宿、下宿の地名が現在も残っています。
街道の往来は明治時代を迎え、増えていきます。特に明治30(1897)年2月に日本鉄道磐城線(現常磐線)が開通すると、内郷や湯本の炭鉱開発が盛んになり、消費地である平との往来が頻繁になりました。
 国道と併用して大正3(1914)年7月、新川端の内郷村大字小島(おじま)字新町(しんまち)と湯本市街地の入口となる湯本村大字湯本字三函(さはこ)の区間で馬車軌道会社・磐城軌道が開通しました。次いで、大正12(1923)年1月には、日本鉄道事業(株)がこれを買収してガソリン動車を走らせました。
 しかし、大正時代末期に乗合バスが登場すると、ガソリン動車が駆逐(昭和4年に運行休止)され、その間、乗合バス会社5社が乗り入れ、客の奪い合いをして警察署の斡旋を仰ぐという状態となりました。
 もはや、道路整備は必至の状況となっていきます。街道から転じた第6号国道(現一般国道6号。以下、「国道6号」)の本格的な改良工事については、夏井川に架かる平神(へいしん)橋が昭和11(1936)年に開通したのが始まりでした。
 昭和14(1939)年に鮫川橋が完成した後、植田-湯本の区間については拡幅による工事を施工する場合は鉄道と交差しなければならないなどの課題があることから新道建設を検討することとし、これを後回しにして、先に湯本-平の改良工事に着手し、内郷地区の国道も昭和15(1940)年頃、未舗装ではあったものの完成しました。
 この工事は既成の道路を拡幅舗装することを原則としましたが、唯一集落が密集していた御厩町上宿、下宿の個所を通ることを避けて一直線の道路が敷設されました。
 一方、国道の西側、新川との間には、水田が広がっており、大正13(1924)年4月に組織された「内郷村御厩組合」の耕地整理事業によって整備されました。施行認可は59町歩余(約58ha)に及び、大正15(1926)年10月までに換地処分が行われ、この区画は、後の土地区画整理事業に受け継がれることになります。

(上) 内郷御厩町の国道6号〔昭和43(1968)年10月、いわき市撮影〕
(中) 内郷御厩町の国道6号〔平成8(1996)年、いわき市撮影〕
(下) 内郷御厩町の国道6号(平成30年4月から主要地方道いわき-上三坂-小野線)〔平成30(2018)年11月、いわき市撮影〕

02 昭和20年代の後半、国道沿線の市街化は、綴(つづら・現内郷)駅付近と平市街の両方から道路沿いを中心に開発が進んでいきます。
 昭和30年代に入ると開発のテンポが速くなっていきます。消費地・平の外縁に当たる御厩地区は、平の郊外化を受け入れる条件を備え、高度経済成長と相まって「クルマ社会」の意識が、次第に日常生活に深く浸透するようになり、国道沿いに商店や自動車関係の販売店、ガソリンスタンドなどが進出しました。
 また、一部には内郷ヘルスセンターが昭和33(1958)年7月に立地(昭和56年3月廃止され、現在、磐城共立高等看護学院が建つ)し、その周辺を中心に、宅地化によって次第に虫食い状態の様相をみせていました。
 一方で、大雨ごとに新川堤防から流出した水で冠水している御厩地区の水害を解消する必要がありました。
 このため、平と内郷の間に広がる低地を対象に土地区画整理事業を計画しました。これは内郷市が主体となって策定され、昭和38(1963)年9月に、国道6号以南の低地、金谷(かなや)団地と呼ばれる「内郷東部第一土地区画整理事業」(10.0ha)ならびに、国道と新川に囲まれた広域な「内郷東部第二土地区画整理事業」(77.7ha)が都市計画として決定されました。
 「内郷東部第一土地区画整理事業」は昭和41(1966)年9月までに換地処分され、事業は完了しましたが、「内郷東部第二土地区画整理事業」は広域で、しかも地権者の同意を十分に得ないままスタートしたため調整に手間取り、昭和47(1972)年7月に、ようやく事業認可にこぎつけました。換地処分が行われ、事業が完了したのは昭和57(1982)年9月のことでした。
 こうして、国道沿線や土地区画整理事業区域では、家屋も街路も近代的なたたずまいを見せていますが、この雰囲気とは対照的に、内郷方面から入る旧浜街道(字名でいうと、下能から上宿、下宿と続くあたり)は、家屋こそ代替わりしているものの、道路の曲線や道路沿いの樹木など、昔の静かなたたずまいを残しています。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

内郷大字御厩字下能付近を東方に向かって見る(昭和10年代初め、磐城国道事務所提供)

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内郷大字御厩字下能の国道6号土留め完了(昭和15年、磐城国道事務所提供)

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内郷村大字御厩字下能から国道6号沿いに内郷駅に向かって見る(昭和16年、磐城国道事務所提供)

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内郷市大字御厩の小川と子ども(昭和20年代末、野木茂氏撮影)

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内郷市大字御厩字上宿の葬列を旧浜街道に沿って湯本方向を見る(昭和30年頃、野木茂氏撮影)

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内郷市大字御厩(現三丁目)の田園風景を南側の山上から見る・遠方に国道6号、常磐線の蒸気機関車(昭和30年頃、野木茂氏撮影)

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内郷市大字御厩字上宿における八坂神社祭礼時の神輿渡御(昭和30年代、野木茂氏撮影)

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内郷村大字御厩の馬車鉄道立場前・現在の国道49号平バイパスと国道6号の交わるあたり(大正12年3月、小野英子氏提供)

 

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内郷御厩町の国道6号を渡る生徒(昭和43年2月、いわき市撮影)

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内郷御厩町の国道6号・内郷駅に向かって見る(昭和44年2月、いわき市撮影)

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内郷御厩町の国道6号・湯本に向かって見る(昭和40年代、長谷川達雄氏撮影)

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空撮・内郷御厩町(昭和49年、いわき市撮影)

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内郷御厩町上宿の旧街道沿いに平方向を見る(昭和62年1月、高萩純一氏撮影)

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内郷御厩町上宿の旧浜街道に見える茅葺き屋根(昭和62年1月、高萩純一氏撮影)

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内郷御厩町の茅葺き屋根と高層アパート(平成7年1月、高萩純一氏撮影)

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内郷御厩町上宿「磐城一高」付近の大ケヤキと児童(平成7年1月、高萩純一氏撮影)

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内郷御厩町上宿、二丁目、三丁目を内郷御厩町上宿の高層建物から見る(平成18年9月、いわき市撮影)

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空撮・内郷御厩町、小島町、国道49号平バイパスを平市街西部から見る(平成26年12月、いわき市撮影)

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内郷村大字御厩 道路沿いに鉄道記号が見える〔1.50,000地形図 平(明治41年測図、大正14年鉄道補入)〕

地図1

内郷村大字御厩の地形図〔大正9年、いわき市所蔵〕

地図2

内郷町大字御厩〔1.50,000地形図 平(昭和26年応急修正)〕

地図3

内郷御厩町〔1.50,000地形図 平(平成19年修正)〕

地図4

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総合政策部 広報広聴課

電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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