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『いわきニュータウン(4)(町名、人口)』(平成30年5月9日市公式Facebook投稿)

更新日:2018年5月9日

いわきの『今むがし』Vol.94

(上)いわきニュータウン予定地を南側から見る〔昭和50年代半ば、いわき市撮影〕
(下)いわき市合併当時における平大字上高久、同吉野谷、鹿島町などの字名および境界-後のいわきニュータウン付近-〔1/25,000いわき市都市計画図(昭和42年測量)〕

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  昭和57(1982)年9月にいわきニュータウンの宅地分譲が開始された後、都市基盤は順次整備されていきました。
 いわきニュータウンの造成完了を前に、いわき市では新都市形成にふさわしい新しい町名を設定しようと、公募方式によって市内外から広く意見を徴するため、昭和56 (1981)年7月開会の臨時市議会において、「いわきニュータウン新町名設定審査委員会条例案」が提出されました。
 「自由ケ丘」や「明治団地」の名称決定に際し、大きな社会問題になったことから、あらかじめ市民の意見を聴取し、これを円滑に進めようとしたもので、知識経験を有する者、地域振興整備公団、市議会議員など、21人で委員会を構成しました。
 名称案については、全国から1,705件の応募が寄せられました。これを、委員会が4回にわたり慎重に審議した結果、新町名を「中央台」、さらに字を「飯野」「鹿島」「高久」に分けることを、昭和56年12月開会の定例市議会に報告、昭和57年3月開会の定例市議会において承認を得ました。
 大字に当たる地名も中央台飯野が昭和57年3月に、中央台鹿島が昭和63 (1988)年12月に、中央台高久が平成7 (1995)年12月に、それぞれ設置されました。これに伴い、上高久、上・下山口、走熊などに含まれていた字名のいくつかは実質的に消えていきました。
 ところで、いわき市は合併後、市全体人口統計の下位統計として、いわき市合併以前の市町村単位に人口統計を発表しており、これによると、いわきニュータウンはすべて平地区人口として処理されています。しかし、実際は、いわきニュータウンの中の、常磐地区(上矢田町)や小名浜地区(鹿島町下矢田、鹿島町下蔵持、鹿島町走熊)、内郷地区(小島町)が字名改称を経て平地区に組み込まれ、平地区人口として統計処理されています。草木台の一部が平地区から常磐地区に組み入れられたものの、平成ニュータウンなども、平地区に組み入れられて統計処理されています。
 つまり、いわき市合併後、平地区は人口だけでなく、面積も増殖しているのです。

(上)いわきニュータウンを南側から見る〔平成27(2015)年12月 いわき市撮影〕
(下)現在の字名および境界-かつて小名浜地区にあった鹿島町の一部が中央台に組み入れられた-〔1:25,000地形図 平(昭和51年測量・平成18年更新)〕

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 いわきニュータウン内には、昭和62 (1987)年4月に「いわき明星大学」、平成3 (1991)年6月に「県立いわき公園」、平成6 (1994)年8月に「中央台市民サービスセンター」、平成10(1998)年4月に「中央台交番」、平成11(1999)年7月に「暮らしの伝承郷」、平成14(2002)年4月に「平消防署中央台分遣所」、平成16(2004)年4月に「中央台公民館」、同年4月に「県立いわき光洋高校」が、それぞれ発足・稼動し、さらに宅地化の拡大に伴って、「中央台北小学校」、「中央台北中学校」、「中央台南小学校」などがそれぞれ開校されるというように、多様な機能が付加されていきました。
 道路機能も整備されていきます。いわきニュータウンをほぼ一周する市道のいわきニュータウン環状線(常磐上矢田町の主要地方道小名浜-平線~5,180m~鹿島町下矢田町の主要地方道小名浜-平線)は、昭和52(1977)年に着工し、平成11(1999)年3月に完成しました。
 また、鹿島町からいわきニュータウン内を経由して平上高久の県道下高久-谷川瀬線に至る、県道高久-鹿島線4,039mが平成6(1994)年3月に完成しました。
 いわきニュータウンは平成8(1996)年12月には1万人を超え、都市としての機能が充実していきます。
 現在は、いわきニュータウンには人口1万5,000人超、5,000世帯超が居住していますが、家族構成の小規模化、流入人口の減少などにより目標には達していません。一時期停滞していた住宅進出は、平成23(2011)年3月に発生した東日本大震災を機に、双葉郡の被災・避難者のなかには新築、あるいは中古家屋を購入している人が増え、増加に転じています。また、一部公園予定地などは、一時、いわき市、広野町、楢葉町の避難者が仮住まいする約1,000戸の応急仮設住宅が建設されましたが、災害・復興公営住宅の整備などにより、減少しています。
 今、いわきニュータウンは東日本大震災に起因する人の移動やまちの形を象徴する区域として、新たな歩みを進めています。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

いわきニュータウン新町名審査委員会(昭和56年10月、いわき市撮影)

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いわきニュータウン・中央台飯野一丁目(昭和58年7月、いわき市撮影)

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  いわきニュータウンの中央台飯野一丁目の案内図(昭和58年8月、いわき市撮影)

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  空撮・いわきニュータウンを南東側から見る(平成9年10月、いわき市撮影)

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いわきニュータウン環状線開通式・アンパンマン(平成11年3月、いわき市撮影)

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 いわきニュータウン住宅新築ラッシュ・中央台高久(平成24年1月、いわきジャーナル撮影)
 

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 空撮・いわきニュータウン(中央台高久の応急仮設住宅を含む)を北側から見る(平成26年12月、いわき市撮影) 

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このページに関するお問い合わせ先

総合政策部 広報広聴課

電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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