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『薄磯海岸』(平成29年7月26日市公式Facebook投稿)

更新日:2017年7月26日

いわきの『今むがし』Vol.75

薄磯海水浴場〔昭和58(1983)年8月、いわき市撮影〕

20170726-1 江戸時代、薄磯村は北隣の沼ノ内村とともに磐城平藩に属し、南隣である豊間村は湯長谷藩に属していました。
 明治22(1889)年4月、薄磯村は豊間村、沼之内村とともに3か村で合併となり、村名は「豊間」、村役場は旧薄磯村に置かれました。(その後、紆余曲折を経て、出張所扱いの市民サービスセンターは旧豊間村内に配置)
 薄磯集落は周囲を丘陵地に囲まれているため、零細の農業と漁業を営んでおり、カツオ漁やギス漁の沿岸漁業による典型的な半農半漁の集落でした。近年に至っても、築港整備も隣の沼ノ内や豊間が中心で、薄磯には船溜りがあるだけで、漁師町として細々と、ウニ・アワビの磯漁を中心として生計を営んでいました。
 この集落形態と、富神岬と塩屋埼の岬に囲まれた遠浅の自然条件が、薄磯海水浴場を中心とした観光の中心地としての性格を強めていく後押しをするようになっていきます。最寄りの塩屋埼灯台の存在も、観光的要素として加わっていきます。
 昭和30年代の高度経済成長時、日本の所得水準が上昇し、レジャーを楽しむ余裕が生まれると、薄磯海岸は、周辺に塩屋埼灯台や沼ノ内弁財天などの名勝が点在していたことから、海水浴場として多くの人に受け入れられるようになりました。
 昭和30年代から40年代にかけて、車社会が到来し、増える観光客を受け入れるため、自動車が海岸部から塩屋埼灯台まで入れるよう、県道拡幅(昭和38~39、42年)を施工したほか、海岸付近には駐車場増設(昭和41年)やバンガロー(昭和40年)、国民宿舎(昭和42年)などの整備が進められて、海水浴入り込み客は増加していきます。薄磯海水浴場では、昭和40(1965)年の海水浴入り込み客数は28万8,900人と、前年同期の8万7,100人に比べ、3倍増となりました。
 また、昭和30年代後半には、高波などによる道路決壊や集落への危険を回避するため、集落と海の間に高さ5.2mの防潮堤が築かれました。

震災後7年ぶりに再開した薄磯海水浴場〔平成29(2017)年7月、いわき市撮影〕

20170726-2 昭和51(1976)年、薄磯海水浴場の入り込み客は、約51万2,000人を数え、最初のピークを迎えました。
 その後、冷夏と海水浴の入り込み客の減少が連動しており、増減を繰り返し、平成7(1995)年には2度目のピークとなる約53万人を数えました。
 この間、薄磯海岸はソフト・ハード面で、認知度を高めていきます。
 昭和53(1978)年5月には、「塩屋埼灯台と薄磯・豊間海岸」が「福島県三十景」に選ばれました。平成8(1996)年7月には、全国の海・湖沼を対象に、景観としての特色や海岸保全などが優れた渚を選ぶ事業で、薄磯海岸が「日本の渚・百選」に選ばれました。
 平成4(1992)年度からは薄磯海水浴場から塩屋埼灯台に至る県道豊間-四倉線420mについて、山側の崖を切り崩しての拡幅工事(5m前後から16mへ)のほか、散策園地、歩道整備に着手。平成10(1998)年度に完成しました。
 このように、薄磯海岸周辺の環境整備に力が入り、薄磯海水浴場は入り込み客数で、勿来海水浴場に迫るようになります。薄磯集落には民宿も増え、活況を呈していきます。
 しかし、平成10年ごろから、天候が良好であるにもかかわらず、かつての入り込み客に達しない状況が継続していきます。減少の原因としては、夏のアウトドア・レジャーの多様化、紫外線に対する過剰な警戒心、経済不況などの外的要因、それに旧態依然とした海の家経営、ごみの増大などの海水浴場周辺の環境悪化という内的要因など、さまざまな事が指摘されています。
 平成15(2003)年の冷夏(晴4日)では、入り込み客は約5万人まで減ってしまいました。2度目のピーク時には14軒の海の家が立ち並んでいましたが、後継者不足、入り込み客の減少で廃業が相次ぎ、この年のシーズン前には5軒の立地にとどまりました。
 それでも、晴れ日の多かった平成22(2010)年には、約26万3,000人の入り込み客を数え、勿来海水浴場を上回りました。
 ところが、平成23(2011)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に起因する大津波が、太平洋沿岸に来襲しました。薄磯の街を守るために設けられた防潮堤も一部が破壊され、津波は防潮堤を乗り越え、街の奥深くまで達し、住民や家屋に甚大な被災を及ぼしました。
  直後から、薄磯においてはさまざまな復旧・復興の施策が展開されていますが、海岸部では防潮堤のかさ上げ工事が行われたため、この期間中、海水浴場開設は見送られていました。待望の再開は、防潮堤工事が完了したのを待っての平成29(2017)年夏。薄磯海水浴場は、勿来、四倉に次いで市内で3番目に再開されました。
 土地区画整理事業の宅地造成が完了した薄磯地区。これまでの地区民が営々と築き上げた蓄積は、いよいよまちづくりのなかに活かされることになりますが、海水浴場にはどのように活かされていくのでしょうか。
(いわき地域学會 小宅 幸一)

その他の写真

薄磯海岸の馬(昭和39年4月、渡辺聖一氏提供)

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薄磯海岸で魚の天日干し(昭和63年頃、飯沼晴男氏提供)

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薄磯海岸堤防前で豊間中清掃(平成元年6月、いわき市撮影)

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 薄磯海岸・テレビ収録(平成10年10月、いわき市撮影)

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 薄磯海水浴場(平成12年7月、いわき市撮影)

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