『平・銀座通り』(平成29年2月1日市公式Facebook投稿)
登録日:2017年2月1日
いわきの『今むがし』Vol.63
(上左) ネオンアーチが設置される前の銀座通り(本町通り側から見る) (昭和30年、飯沼晴男氏撮影)
(上右) ネオンアーチが設置された後の銀座通り(本町通り側から見る) (昭和30年、飯沼晴男氏撮影)
(中) 三田小路入口(写真右)付近の銀座通り(昭和52年、いわき市撮影)
(下) 旧城跡から見る銀座通り(昭和30年代 長谷川達雄氏撮影)
「銀座」という呼び名は、江戸時代に「銀貨を鋳造する場所」を指す言葉に由来します。銀座は江戸と京都に設置され、全国から銀を鋳造する技術者が集められ、にぎわいを見せました。
日本橋周辺の地名として、正式に「銀座」が付けられたのは明治2年(1869)4月のことでした。以後、にぎわいを代表する場所の象徴として“進化”していきます。
最初にこの名にあやかったのは、東京市荏原(えばら)区(現品川区)の戸越銀座(とごしぎんざ)でした。この場合、単に「銀座」を真似たのではありませんでした。大正12年(1923)9月に発生した関東大震災で壊れた銀座のレンガを使用して、舗装道路を施工したことに由来します。
以来、銀座のにぎわいにあやかろうと、その名が全国に広がっていきます。その形態は正式に字名に“出世”した「銀座」の例、さらには通称「銀座通り」として機能している例などさまざまです。
いわき市にも「銀座」の通称名が残っています。その代表的なものが、いわき駅前通りの西側の通り、繁華街を並木通りから本町通りの三町目まで南北に貫く「銀座通り」です。
平市街に「銀座通り」が誕生したのは、昭和6年(1931)頃。当時、カフェーと西洋音楽の組み合わせが最先端の流行でした。かつて「郡役所通り」と呼んだ通りは、郡役所の移転に伴って新しい通称名を欲していました。この通りに、店名や内装を東京・銀座の店にならった、カフェー「バッカス」や同「黒ねこ」などの店が相次いで誕生しました。この雰囲気が「銀座通り」を名乗らせることになったのです。
戦後、昭和20年代の混乱期においては、毎夜8時頃から10時頃まで、銀座通りには果物、野菜、花卉、古本屋などの夜店約30店が出て、いち早くにぎわいをみせました。
昭和20年代末からは新たな装いを見せるようになります。昭和28年(1953)12月、黄色、ピンク、緑の三色ネオンに「ぎんざ」の文字を配した街路灯28基が設置されました。さらに、昭和30年(1955)4月にはネオンアーチが設置されました。
(上) 銀座通りを本町通り側から見る(平成29年1月、いわき市撮影)
(中) 三田小路は2車線の通りとなり、北側は再開発ビル「ラトブ」へ(平成29年1月、いわき市撮影)
(下) 旧城跡から見る銀座通り(平成21年8月 いわき市撮影)
交通量が増大するにつれて、それほど道路幅のない平市街では、銀座通りをはじめとして自動車の往来と買い物との両立が困難な状況になっていきます。これを打開するため、国・県・市は谷口通りの拡幅や国道6号の整備などを行いますが、駐車場不足もあって、通りの混雑は増すばかりでした。
銀座通りでは、藤越や松月堂などの大型店舗や衣料・飲食の専門店がひしめきあい、混雑度を増していきました。
このような状況のなか、昭和45年(1970)8月には、平警察署が日曜・祭日に限り、午前10時から午後6時まで車両通行止めの措置を講じたことがきっかけで、銀座通り商店街は本町通りなど他の商店街と協力して、一定時間道路を人に開放する歩行者天国を実施しました。当時、東京都や旭川市では、増え続ける自動車事故に対し、歩行者を守る交通安全運動が活発化して、その運動が全国に広がっていました。銀座通りにおける歩行者天国は、東北地方では初めての試みとなりました。
昭和46年(1971)に続き、昭和47年(1972)には銀座通りが独自で1年を通して日曜日・祝日に歩行者天国実施しました。昭和49年(1974)7月には通り延長150mにわたって真紅のじゅうたんを敷き詰めての開催となりました。
こうして、市街地においては、自動車最優先の考え方が改められるようになり、いわき中央署は、昭和47年(1972)4月から銀座通りを含む平市街中心部において全面的な24時間駐車禁止の措置を取りました。
市街地から半ば締め出された恰好の自動車を利用する消費者は、次第に郊外の駐車スペースを十分に確保した店舗に吸い寄せられていくようになります。
銀座通りの北側に面した一角は、昭和30年代から大型商業施設を核とした再開発計画が立てられましたが、容易に関係者の調整がつかず、計画は何度も再考されながら浮かんでは消え、歳月だけが流れていきました。この間、商店街の空洞化が進み、銀座通りもかつてのにぎわいが薄れていきましたが、商店会は平成9年(1997)11月には、舗装のカラー化、平成18年(2006)には、いわき駅前賑わい創出協議会が、毎月第一日曜日に銀座通りで「まちなか青空市」を開催するなど、活性化を試みていきます。
銀座通りの趣きが大きく変わったのは、平成19年(2007)10月に再開発ビル「ラトブ」が開業してからで、市立いわき総合図書館の配置がキーポイントになりました。
かつて、再開発ビルにおける成功のポイントとなるのは大型商業施設といわれた時代がありましたが、それが商店街の空洞化で実現性が失せ、唯一無二の存在である公共施設の図書館がその役割を担うようになったのです。
商店街のにぎわいを創出し、利用者の利便性を考慮して、機能移転の際に、それまでの閉館時間を延長し午後9時まで開いている図書館。ラトブが出来て以降、銀座通りの夜は、喧噪と静寂の空間を抱えて更けていきます。
その他の写真
平銀座通りを北側から見る(昭和30年、飯沼晴男氏提供)
銀座通りの歩行者天国(昭和46年、いわき市所蔵)
平銀座商店街の歩行者天国(昭和46年5月、長谷川達雄氏撮影)
銀座商店街を本町通りに向かって見る(昭和49年6月、いわき市撮影)
平銀座通り・平桜まつり(昭和53年4月、いわき市撮影)
銀座通りを並木通りに向かって見る(昭和53年7月、いわき市撮影)
平銀座通り・市消防出初式(昭和57年1月、いわき市撮影)
銀座通りを本町通りに向かって見る(平成7年4月、いわき市撮影)
このページに関するお問い合わせ先
総合政策部 広報広聴課
電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469