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その30 『いわきおどり』(平成28年8月3日市公式Facebook投稿)

登録日:2016年8月3日

「いわきおどりは、こうして誕生しました」

 今年も8月8日、いわき駅前大通りを会場に「いわきおどり」が開催されます!参加予定の皆さんは、衣装準備や練習にお忙しいころでしょうか?見物予定の皆さんは、当日が待ち遠しいですね♪
 ところで皆さん、いわきおどりの歌詞が何番まであるか、ご存知でしょうか?なんと12番!いわきおどり開催直前の今回は、いわきおどりが誕生したときのことを振り返ります。

 いわきおどりは、市民のだれもが気軽に参加して、楽しく踊れる新しい「いわき民謡民舞」として、昭和56年10月に市制施行15周年を記念して制定されました。

01_天狗おどり・小名浜銀座商店街(昭和53年8月、いわき市撮影):いわきおどりの手の振りは天狗おどりの要素かも? 新しい民謡民舞の制定を求める声は、市発足後10年が経過したころからあったようです。
 昭和50年12月定例市議会では、斎藤隆行議員が、当時の市内の祭りや踊りがどれも市発足前の旧市町村単位で行われていたことに触れ、「かきねを取り除いた合併という姿からみて、(中略)新しいアイデァに富んだ、全市民を網羅した(中略)観光行事というものをぜひお願いしたい」と述べ、これに答えて、田畑金光市長が「いわき市にもそのような市共通のものが必要ではなかろうかということは私も同感で(中略)専門家の皆さん方に集まっていただいて、いわき市全体を統合した一つの共通のものを見出したい」と述べています。
 また、田畑市長は答弁の中で、市内各地に根差した伝統的な祭りや踊りについて「貴重な財産として、これを守るべき」とも述べ、制定を目指す新しい踊りは、合併以前の歴史や文化を尊重しながら進めることを示唆しています。

02_やっぺ踊り・常磐湯本町三函の表町通り(昭和49年8月、いわき市撮影):いわきおどりの左右に揺れるステップはやっぺ踊りの要素かも? 昭和53年11月、市は「いわき民謡・民舞創作調査委員会」を設置し、本格的な調査研究を始めます。22名の委員は、市内の民謡や民舞に関係する団体の代表者や有識者から選ばれ、委員長はいわき市文化団体連絡協議会長の上野英四郎氏が務めました。
 調査委員会による協議や検討は、約1年にわたって行われ、昭和54年12月に市長への答申となりました。
 答申内容は主に、◇作詞は公募。いわきの歴史的背景、未来像、自然環境を十分加味したもの ◇作曲、編曲、民舞は専門家に依頼。リズムは「じゃんがら念仏踊り」を基調とする、というものでした。
 「じゃんがら念仏踊り」がリズムの要素に選ばれた理由については、市民になじみが深いことや、観光面でもアトラクションとして定着していること、激しい太鼓や鉦(かね)のリズムが若者の共感を呼ぶことなどが挙げられました。
 調査委員会の議論はかなり白熱していたようで、当時の新聞紙面では「各界代表の二十二委員から意見が続出、ケンケンゴウゴウの有り様だった」(昭和54年12月7日付『いわき民報』)と報じられています。そこからは、14もの市町村の歴史や文化を尊重しながら1つの踊りを生み出すことの難しさと、その創作に携わった1人ひとりの強い郷土愛が読み取れます。

 歌詞の公募は、昭和56年2月1日から3月末日までの2か月間行われました。全国から109点の応募があり、約1か月間審査が行われましたが、残念ながら入選作品はなく、佳作5点が決定しました。その結果、作詞は、調査委員会によって行われ、決定した歌詞は、以下の通りです。いわきの良いところがたくさん詰まっている内容です!
 一  いわき七浜 太平洋を 抱いて 広さは日本一
 二  北は仙台 南は東京 関の勿来に舞う 桜
 三  みなと小名浜 三崎の空に あがる花火の意気の良さ
 四  湯本ちょいと出りゃパノラマライン 月の丸山 湯の煙り
 五  赤い嶽から夏井の渓谷へ 呼べば 若さがこだまする
 六  雲よ見えるか いわきの平 燃える つつじは松ケ岡
 七  泣くも笑うも幾年月の 愛の灯台 塩屋埼
 八  姿優しく 浄土が池に 映す 白水阿弥陀堂
 九  つづく砂浜 黒松林 おらが自慢の 新舞子
 十  別れ惜しんだ御斉所峠 暮れて河鹿の しのび泣き
 十一 両手合わせて 波立薬師 沖に希望の 陽が昇る
 十二 揃う手振りに 笑顔を添えて いわき人の和 踊りの輪

03_いわきおどり発表会・作曲家三木稔氏への花束贈呈(昭和56年10月、いわき市撮影):後ろに控えているのが民謡歌手の鈴木正夫氏です 歌詞決定後、作曲家の三木稔氏が、「じゃんがら念仏踊り」のリズムに、いわきの海のイメージを重ねて作曲を行いました。レコード収録は、民謡歌手の鈴木正夫氏(2代目、福島県出身)と金沢明子氏が歌を担当して行われました(ちなみに、初代鈴木正夫は、昭和26年の第1回NHK紅白歌合戦に「常磐炭坑節」を歌って出場しています!)。振り付けは、市内の民謡会所属の舞踊家が、小名浜地区の「天狗おどり」や常磐地区の「やっぺ踊り」の要素を加味して考案しました(振りは当時、「左斜め前に一、二、三と歩いてトン(一拍休み)、右へ一、二、三歩してトンとする動作が基本」と説明されました。言葉だけだとちょっとわかりにくいですね…)。
 調査委員会の発足から約3年という長い制作期間を経て、いわきおどりは、いよいよ発表の準備が整いました。

04_いわきおどり発表会テープカット・平レンガ通り(昭和56年10月、いわき市撮影):中央の田畑市長の向かって左側が、翌年4月に友好都市となる撫順市のチョウ副市長です 秋晴れに恵まれた昭和56年10月4日、「いわきおどり発表会」は、午後1時から始まりました。
 まず、交通規制されたレンガ通りの特設舞台で式典が行われ、田畑市長が「3年の歳月をかけ市制15周年を記念して市民待望の立派な『いわきおどり』ができました。みんなで育ててください」とあいさつしました。
 その後、調査委員会からの制作経過報告や、三木稔氏への花束贈呈、作詞佳作入賞者への表彰などが行われたほか、翌年の昭和57年に友好都市となる中国撫順市からの友好代表団も加わったテープカットなどが行われると、鈴木正夫氏が生出演し、いよいよ「いわきおどり」の歌が披露されました。
 午後1時50分、合図の花火が打ち上がると、平民踊愛好会を先頭に、婦人会や小中高校生、企業による踊り手1,520人の列が、二町目のレンガ通りから本町通りを六町目に向けてスタートし、歌に合わせて踊りを披露しました。右に左にリズミカルな踊りは、午後3時30分まで続き、沿道に詰めかけた見物客は1万人にも上ったそうです。

05_いわきおどり発表会・平レンガ通り:いわきおどり発表会・平レンガ通り(昭和56年10月、いわき市撮影):平民踊愛好会を先頭に踊りの列がスタート!見物客が近隣ビルのテラスや階段にまであふれています いわきおどり発表と同時に、市は、市内の学校や団体、企業にレコードを配布するなど、普及に努めました。学校の行事などで踊った記憶がある方も多いのではないでしょうか?制定から今年で35年、だれでもすぐに踊れる振りとリズムで、市民の皆さんに順調に育てていただいて、現在に至ります。
 「ホレ ドンドド ドドドドンワッセ」!皆さんの口ずさむお囃子が聞こえてきそうです。ちなみに、「ドンドド」は、いわき七浜に打ち寄せる雄大な太平洋の波と、いわきおどり制定後にいわきを訪ねて来る無数の人の波を表しています。そして「ワッセ」は、「和」と「盛」や「勢」を表していて、市制15周年を迎えてますます和を大切に、いわきが発展するようにという願いが込められています。

 

その他の写真

06_いわきおどり発表会・平本町通り(昭和56年10月、いわき市撮影):元気あふれる小学生のチームです。体操着にも時代を感じます。

06_いわきおどり発表会・平本町通り(昭和56年10月、いわき市撮影):元気あふれる小学生のチームです。体操着にも時代を感じます 

07_いわきおどり発表会・平本町通り(昭和56年10月、いわき市撮影):そろいの浴衣で踊る企業チームです。後ろにお囃子隊を乗せたトラックが続いています。

07_いわきおどり発表会・平本町通り(昭和56年10月、いわき市撮影):そろいの浴衣で踊る企業チームです。後ろにお囃子隊を乗せたトラックが続いています 

08_いわきおどり・平本町通り(昭和57年8月、いわき市撮影):制定翌年の夏の大会です。この年のみ平本町通りで開催されたので、平七夕まつりの吹流し飾りとの共演が見られました。

08_いわきおどり・平本町通り(昭和57年8月、いわき市撮影):制定翌年の夏の大会です。この年のみ平本町通りで開催されたので、平七夕まつりの吹流し飾りとの共演が見られました 

09_いわきおどり・平レンガ通り(昭和57年7月、いわき市撮影):制定翌年の大会では小名浜のチームはかつての天狗おどりスタイル。当時は、地区大会の後に中央コンクール大会が開かれていました。

09_いわきおどり・平レンガ通り(昭和57年7月、いわき市撮影):制定翌年の大会では小名浜のチームはかつての天狗おどりスタイル。当時は、地区大会の後に中央コンクール大会が開かれていました 

10_いわきおどり・平(現いわき)駅前大通り(昭和59年8月、いわき市撮影):当時の駅ビル(ヤンヤン)から撮影。アーケードの下で観覧する人の姿が見られます。

10_いわきおどり・平(現いわき)駅前大通り(昭和59年8月、いわき市撮影):当時の駅ビル(ヤンヤン)から撮影。アーケードの下で観覧する人の姿が見られます 

11_いわきおどり・いわき駅大前通り(平成7年8月、いわき市撮影):当時の駅ビル(ヤンヤン)から撮影。ペデストリアンデッキがなかったときの大会の様子です。

11_いわきおどり・いわき駅大前通り(平成7年8月、いわき市撮影):当時の駅ビル(ヤンヤン)から撮影。ペデストリアンデッキがなかったときの大会の様子です 

12_いわきおどり(平成4年8月、いわき市撮影):いわきおどりは、今も昔も迫力の生演奏!今年は12番まである歌詞も楽しんでください♪

12_いわきおどり(平成4年8月、いわき市撮影):いわきおどりは、今も昔も迫力の生演奏!今年は12番まである歌詞も楽しんでください♪ 

〔担当〕市制施行50周年記念誌プロジェクト

このページに関するお問い合わせ先

総合政策部 広報広聴課

電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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