『永崎海岸』(平成28年7月20日市公式Facebook投稿)
登録日:2016年7月20日
いわきの『今むがし』 Vol.51
1 永崎海水浴場近くを走る、江名鉄道の気動車 〔昭和30年代半ば 比佐不二夫氏提供〕
永崎は、江名や中之作ほど山が迫っていませんが、それでも、背後の丘陵部と海岸の間は狭く、集落が細長く連なっています。
小名浜-永崎-中之作-江名を結ぶ道路も狭く、自動車のない時代、江名港や中之作港にとって鮮魚をどのように円滑に市場に運ぶことができるかが、重要な課題となりました。
まず、輸送手段として検討されたのが、鉄道でした。大正5(1916)年4月に小名浜‐江名を結ぶ「磐城海岸軌道」が開通し、大正7(1918)年8月には泉-小名浜の東商会の軌道を買収して、人や鮮魚などを運びました。昭和時代に入ると、貨物自動車が登場するなか、道路上に敷設されていた線路の補修が必要となりましたが、その費用が捻出できず、昭和5(1930)年以降、小名浜‐江名は休止扱いとなり、昭和11(1936)12月に特許取り消しの措置を受けることになってしまいました。
太平洋戦争が終結した昭和20(1945)年以降、日本は極端な食糧不足に見舞われ、また自動車のガソリン輸入も制限されたことから、鉄道による鮮魚輸送は喫緊の課題となりました。
最初は小名浜臨港鉄道(昭和16年に磐城海岸軌道が改組されて改称)の延伸のカタチで建設される予定でしたが、認められず、江名鉄道として独自の資金を集めて敷設をめざさなければなりませんでした。また、原材料も不足したことから、関係者は中古の橋げたや鉄路を調達し、ようやく昭和28(1953)年1月、栄町‐江名を開通させました。また、会社は機関車や客車、貨車を持てず、管理運営は小名浜臨港鉄道に委託しました。
しかし、皮肉にも、開通した頃ガソリンが全面的に輸入が解禁され、自動車交通の発達と相まって貨物輸送は、貨物自動車主流となっていきます。鮮魚輸送は当初から貨物自動車に奪われ、乗降客もにぎわうのは夏の海水浴客シーズンだけで、鉄道経営は終始苦境に立たされる状況が続きました。
江名鉄道が頼みとする永崎海水浴場の始まりは昭和10年代のこと。遠浅な海岸を利用して浴客の便宜を図る小屋が建てられたことがありました。昭和20年代半ばには、地元の有志が1軒の脱衣所を開設して、海水浴場として注目されるようになりました。
海水浴場として永崎が脚光を浴びるようになったのは、昭和30年代に入ってからでした。昭和35(1960)年を最後に小名浜海水浴場が廃止されたことから、磐城市観光協会では永崎海水浴場を全面的にPR。臨時列車「くろしお号」は中通りからの海水浴客を乗り換えなしで、永崎駅に運びました。最盛期の昭和38(1963)年の夏には、泉‐江名で1日22本のダイヤが組まれたほどでした。
2 永崎海岸と江名鉄道跡を活用した主要地方道小名浜-四倉線の現在 〔平成27(2015)年12月 いわき市撮影〕
永崎海岸の海岸線を通る江名鉄道にとって、最大の危険因子は海からの高潮でした。台風や時化などにたびたび路盤が浸食され、そのたびに江名鉄道は補修のための資金繰りに奔走しました。しかし、赤字続きで、磐城市の支援を受けたものの、とうとう補修費が捻出できず、昭和40(1965)年12月に運輸省へ休止届を提出、昭和42(1967)年11月にそのまま廃止に追い込まれてしまいました。“自動車時代”が本格的に訪れるなか、早晩、廃止の選択しかない状況でした。
後には、莫大な借財が残りましたが、鉄道関係者は光明をみいだします。昭和39(1964)年から平豊間方面から県道磐城-四倉線(現主要地方道小名浜-四倉線)のバイパス工事が始まっていたのです。江名、中之作では山が海岸線まで迫っていて、どのルートを選択するか、まだ決定されていない状況でした。
鉄道関係者は、江名鉄道跡を道路バイパスとして選択するよう要望しました。一方、県としても廃線跡を拡幅するだけで、ルートが確保できることから、用地買収にも容易であると考えました。
こうして、江名駅跡(現在の江名字安竜)から南の小名浜駅まで、ほとんどのバイパスルート(現在の中之作北、中之作南、小名浜港の各トンネルを含む)が江名鉄道跡に重ねられたのです。
以来、かつて江名鉄道の永崎駅を利用した海水浴客は、快適な海岸通りを通ってマイカーなどで永崎海水浴場を訪れるようになりました。海水浴客が増加するにつれて民宿も行われるようになりました。
しかし、平成23(2011)年3月に発生した東北地方太平洋沖地震の発生に伴う大津波で、永崎海岸も大きな被害を受けてしまいました。今、海岸では防潮堤のかさ上げ工事を含む整備が進んでいます。
関係者は、一日も早い復旧・復興を望み、あの活況を取り戻せることを期待しています。
<参考>
その他の写真
3 永崎海岸を竜ヶ崎から見る(昭和30年頃、志賀敦氏撮影)
4 永崎海水浴場を海から見る(昭和30年代、比佐不二夫氏提供)
5 永崎海岸線に沿って走る江名鉄道の気動車(昭和40年1月、米本健一氏撮影)
6 永崎海岸に流れる川畑川に架かる橋梁を走る下りキハ103気動車(昭和41年1月、米本健一氏撮影)
7 上空から見る永崎海水浴場と江名鉄道(昭和30年代後期、比佐不二夫氏提供)
8 永崎海水浴場(昭和30年代後期、比佐不二夫氏提供)
9 永崎海岸・サマービーチクリーンウォーク(平成12年7月、いわき市撮影)
10 永崎海水浴場(昭和61年8月、いわき市撮影)
11 永崎海水浴場前を行く気動車(昭和40年7月、米本健一氏撮影)
12 永崎海水浴場の海開き(昭和52年7月、いわき市撮影)
13 永崎駅に到着する、DD451の海水浴臨時列車(昭和40年7月、米本健一氏撮影)
14 永崎駅に近づくキハ103気動車(昭和40年7月、米本健一氏撮影)
15 永崎海岸・うつくしまみずウォーク(平成10年11月、いわき市撮影)
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