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その17 『成人式を振り返ります-前編(2)』(平成28年1月7日市公式Facebook投稿)

登録日:2016年1月7日

「成人式を振り返ります―前編(2)」

昭和43年1月の成人式・勿来地区 昭和41年10月のいわき市発足後、初めての成人式は、昭和42年1月15日、合併前の市町村単位である14地区ごとに、合併前の形態のまま行われました。

(右の写真:昭和43年1月、勿来地区の成人式の様子)

 この年(昭和42年)の新成人は、4,403人と記録がありますが(昭和42年2月号『広報いわき』)、平地区や勿来地区などは満年齢での実施、磐城地区や遠野地区などは数え年での実施、小川地区と好間地区は学齢での実施と、形態が統一されていなかったので、成人式への参加対象者とは一致しないようです。

昭和44年の成人式の様子(勿来支所庁舎前) これらの状況を打開して新市の一体感のある式にしようと、翌年の昭和43年からは、全市で満年齢での成人式を実施するよう統一を図りました。これによって、前年まで数え年で実施していた磐城地区、遠野地区、三和地区、川前地区などでは参加対象者が減りました。

 左の写真は、昭和44年の勿来地区で行われた成人式に出席した晴れ着姿の新成人たちです。(勿来支所庁舎前)

 その後、昭和49年には、現在の形態である学齢での実施に変更されます。初年だけは、昭和28年1月から12月までに生まれた人に、昭和29年1月から4月1日までに生まれた人が対象に加えられました。学齢式に変更になって同窓生が集いやすくなり、「東京など市外に進学、就職した者の参加申し込みが殺到して例年になく多数参加の成人式と」なった、と報じられました(昭和49年1月16日『いわき民報』)。

 「数え年」→「満年齢」→「学齢」と、新成人の対象年齢が現在のかたちに落ち着くまでにも8年間の模索があったというわけです。

 対象年齢の統一が図られる中、開催会場も移り変わってきました。

 昭和43年は、それまで14地区別だった会場が13地区に変更になりました。このころから、成人式には、出席率の低下という新たな問題が生じてきます。

昭和48年の成人式、平市民会館前の様子 昭和47年、市は、会場を平市民会館1か所にまとめました。式は、午前と午後の2回行い、出席対象者を地区で振り分けました。1会場方式は3年間実施し、初年は出席率が上向きましたが、遠方の参加者には移動に時間がかかりすぎることが問題となり、見直されることとなります。

 右の写真は、昭和48年の成人式で平市民会館前の様子です。

 昭和51年からは、平地区、磐城地区(現在の小名浜地区)、勿来地区、常磐地区の4会場での実施に変更します。開催場所以外にも、アトラクションとして、新成人中心の郷土芸能やバンド演奏、先輩の協賛出演、成人記念感想文コンクールなど、様々な工夫を凝らした出席率UP対策が講じられますが、「新成人者は式が終わると、だれからともなく席を去り、最後まで残っていた人はほとんどいなく」なってしまった(昭和51年1月16日付『いわき民報』)そうで、これ以降も市の模索は続くこととなります。

 昭和53年、新成人に不人気だとされたアトラクションは取りやめとなり、同時にこのころから、新成人のマナーが問題視されてきます。会場を訪れても式典に参加せずに場外でおしゃべりをしたり、式典に参加はしても祝辞が聞こえないほど騒がしく出入りも多かったりと、各会場で案内係の職員が困り果てる事態となります。

 この続きはまた次回を、お楽しみにー♪

 〔担当〕市制施行50周年記念誌プロジェクト

このページに関するお問い合わせ先

総合政策部 広報広聴課

電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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