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『平字一町目』(令和5年9月20日市公式SNS投稿)  

登録日:2023年9月20日

いわきの『今むがし』Vol.177

■図 平市街の地籍図から見る土地利用図(明治18年) 〔『福島の歴史地理研究』から引用〕

■図 平市街の地籍図から見る土地利用図(明治18年) 〔『福島の歴史地理研究』から引用〕

【近代の平本町通り】

 慶応4・明治元(1868)年、徳川幕府は倒れ、明治時代となって、西洋文明を積極的に取り入れた体制が敷かれました。

磐城平藩の市街地機能も全国の藩と同様に変容の道をたどりました。鈴木貞夫氏が『福島の歴史地理研究』によって表した明治時代の地籍図復元図をみると、戊辰戦争による焼失などで城郭跡を含む高台や平地の武家屋敷は主を失い、空き家や畑に転じており、武士機能の衰退は明らかでした。

これに比べ、一~五町目の商人機能は引き継がれている様子が読み取れます。

  人々の往来は江戸時代を引き継ぎ本町通りに依っており、官主導の新しい産業の必要性が地方にも伝わって、いち早く明治7(1874)年11月には三町目にいわき地方初の勧業資金の貸し付けを目的とした開産会社(後の磐城銀行の地)が開設されました。さらには、明治12(1879)年には二町目に県内から広く株式を募って設立した磐城丸回漕会社と、新しい形態の会社が設置されました。一方で、この時期は、戊辰戦争や明治3(1870)年に発生し約400戸を焼いた大火事、さらには明治39(1906)年2月に約600戸を焼いた大火事で、そのたびに市街が大損害を被りました。これら被害は町民に大きな教訓を遺しました。すなわち、耐火性の高い建物による建て替えや水利の重要性を認識させたのです。

 これ以降、老舗の商店は外装に耐火に配慮した蔵造りにも似た煉瓦を施した建物造りが一般化していくことになりました。しかし、この流れは、大正12(1923)年9月に発生した関東大震災まででした。煉瓦付造りの建物が相次いで倒壊したからです。以来、耐火煉瓦造りの建物造りはかげを潜めることになり、コンクリート造りの建築に移行していきました。

 平本町通りは、明治時代中期以降の湯本や内郷、好間における石炭開発に連動して鉄道建設が始まります。明治30(1897)年2月には、石炭輸送を安定的に東京へ運ぶことを目的とした日本鐵道磐城線(現常磐線)が開通して平(現いわき)駅が開設されると、消費都市、商業都市としての機能を強めていきます。

商業状況が著しく流動するなか、平商店街の業種別を、年を追って把握することは困難ですが、大正12年に営業税50円以上を納めた、いわき地方の会社、事業所、商店などが、『福島県営業別銀行・会社・商店要覧』(『いわき商業風土記』所収)に掲載されており、業種立地の状況と本町通りの活況をうかがうことができます。

これによると、本町通りでは、呉服商7店が最も多く、次いで荒物5店、薬舗4店、銀行、酒・醸造販売、請負、米穀、旅籠、魚問屋、雑貨がそれぞれ3店、材木、金物、小間物、砂糖、製油兼販売がそれぞれ2店、料理、菓子、漆器、陶器、洋服、文房具、煙草、足袋、銃砲、印刷、下駄、料理がそれぞれ1店と、業種別に計60店舗が掲載されています。

■地図4  平字一町目~五町目 〔1.8,000地形図 昭和7(1932)年頃〕

■地図4  平字一町目~五町目 〔1.8,000地形図 昭和7(1932)年頃〕

 高度経済成長期以降、マイカーの普及と商業施設の郊外化に伴い、全国の中心市街地では空洞化が進み、特にいわき地方の広範囲にわたって商業圏を持っていた平本町通りでも西隅にある一町目商店街の危機感は強いものがありました。

 昭和55年(1980)7月、駅前大通りから西側の商店街を活性化させようと、関係商店会が集まって「西部地区商店会合同連絡協議会」が発足しました。同協議会では商店街の活性化に関するさまざまな案件が検討され、このなかで再開発ビルの建設についても論議されました。

 昭和61(1986)年6月の平日1日と平成3(1991)年6月の平日1日における一町目の歩行者通行量調査を比較すると、は1,587人から1,258人へ減少していました。危機感の増した関係者は、協議を重ねて打開策を模索しました。

 【再開発ビルの建設】

 平成2(1990)年11月には、計画を具体化するための「平本町通りショッピングモール基本計画策定協議会」が発足。さまざまな検討が練られ、公道12mのうち車道は8.6mから4mへ縮小、一方歩道は両サイド各4m、東から西への一方通行、車の速度を下げるための蛇行ライン、建て替えるときはセットバック、などを決めていきます。

 工事は平成4(1992)年7月からスタートし、平成7(1995)年4月に一方通行のショッピングモール開通式を行いました。

 その一方で、昭和61(1986)年3月、平字一町目の住民は、「市街地再開発法」(都市の木造家屋が雑然と密集している区域などを対象に、再開発ビル、公園などを有効に配置することを目的として、昭和44年6月に公布)に基づく「第一種市街地再開発事業」をめざして活動を開始しました。昭和62(1987)年1月には、「平一町目地区市街地再開発事業個人施行準備組織」を立ち上げました。集客力にかげりがみられるなか、街の活性化をめざすには再開発が必須と考えたのです。

 最大の課題となるキーテナントとしては、大手スーパー「西友」に絞り交渉を継続し、昭和63(1988)年7月、双方は覚書締結にこぎつけました。しかし、店舗面積をめぐり既存商業者との調整に手間取ったうえに、平成3(1991)年以降に起こったバブル景気の崩壊で景気は悪化の一途をたどり、計画は行き詰っていきます。

 平成4(1992)年7月、暗転が訪れます。キーテナントの西友が一方的に撤退を申し入れてきたのです。

 このため、関係者はキーテナントを探す一方で、事業計画を変更して平成7(1995)年4月、県に申請。敷地面積0.36㎡に地上15階、地下1階に商業施設、ホテルに加えマンション分譲を入れ込むこととしました。平成8(1996)年3月、再開発ビルの第一期事業が始まり、同年4月には商社(株)ブルーハウスがキーテナントとして決定。市も同年11月、平勤労青少年ホーム、消費生活センターの両施設の入居する方針を決めました。

 しかし、肝心の(株)ブルーハウスは平成9(1997)年1月に自己破産してしまいます。

 (株)ブルーハウスの撤退後、ホテルの出店を前提にキーテナント誘致活動を開始。平成9年4月からは藤田観光(株)に絞って誘致活動を展開しました。

 平成11(1999)年4月には、「市中心市街地まちづくり基本計画策定委員会」が一町目再開発ビルへの公共施設導入(学習施設、高齢者向けの賃貸住宅、子育て支援施設など)を位置づけして事業推進の後押しをします。

 この結果、平成11年12月、地元が中心となって受け皿会社を創設(平成12年に持ち株会社「いわきティーワンビル」を設立)して経営し、藤田観光(株)が資本参加するとともに、同社が全国展開しているワシントンホテルが全面的に運営する形態を確定させました。

 ビルの形態は、住宅棟が17階建て(高さ60m)、ホテル棟が11階建てのT字形ビル。1階から5階までが共通棟として店舗、業務施設、ホテルのロビーと宴会場、青少年ホームを機能拡大した生涯学習センター、消費生活センターの公共施設(4、5階)、立体駐車場が入り、ホテル棟では6~11階の客室、住宅棟では6~17階のマンションが、それぞれ配置されました。

 再開発ビルは平成12(2000)年10月、建設の起工を経て、T字形ビルの形状と平字一町目の頭文字「T」と「一」をもじって「ティーワンビル」と命名されて、平成14(2002)年4月に念願のオープンにこぎつけました。

【一町目における住居地としての機能】

 本町通りにおける商業の空洞化は人口減少に連動し、商業の近代化策を地元民が図っていくという活力も失われていくという衰退の道をたどりましたが、近年、商業地が元々有していた利便性という観点を見直し、中高齢者の居住地としてマンションや高齢者賃貸住宅を建設するなど、自動車移動に頼らない住機能が新たに付加されることになっています。

 特に、T1(ティーワン)ビルの住宅棟(左側)では、6~17階が集合住宅となっており 一町目の人口は一挙に4倍に増えました。

 本町通りの居住者人口は長年減少し続けていましたが、一町目や四町目、五町目で近年急増している時期があります。これは居住用高層ビルが建ったからでした。

一丁目における人口・世帯数の推移表

(いわき地域學学會 小宅幸一)

  その他の写真

 ■地図1 一町目~五町目 〔元和8(1622)年 「岩城平城内外一覧図」の一部〕

 ■地図1 一町目~五町目 〔元和8(1622)年 「岩城平城内外一覧図」の一部〕

■地図2 平町市街全図 〔1.50,000地形図 平(明治41年測図) 国土地理院発行〕

■地図2 平町市街全図 〔1.50,000地形図 平(明治41年測図) 国土地理院発行〕

■地図3 平町全図の一部(平字一町目~五町目) 〔大正5(1916)年4月 清光堂発行〕

■地図3 平町全図の一部(平字一町目~五町目) 〔大正5(1916)年4月 清光堂発行〕

■写真1-1 一町目角から東方を見る 平桜まつり。現在、写真右に「ティーワンビル」が立つ。 〔昭和52(1977)年4月 いわき市撮影〕

■写真1-1 一町目角から東方を見る 平桜まつり。現在、写真右に「ティーワンビル」が立つ。 〔昭和52(1977)年4月 いわき市撮影〕

■写真2-1 平字一町目から西方を見る 〔昭和58(1983)年12月 いわき市撮影〕

■写真2-1 平字一町目から西方を見る 〔昭和58(1983)年12月 いわき市撮影〕

■地図5 平字一町目~五町目 〔1.25,000地形図 平(平成18年更新) 国土地理院発行〕

■地図5 平字一町目~五町目 〔1.25,000地形図 平(平成18年更新) 国土地理院発行〕

■写真1-2 容易に進行しない再開発区域に壁画ペイントの企画 〔平成7(1995)年1月 いわき市撮影 〕

■写真1-2 容易に進行しない再開発区域に壁画ペイントの企画 〔平成7(1995)年1月 いわき市撮影 〕

■写真1-3 平字一町目のTIビルと本町通り 〔令和4(2022)年10月 小宅幸一撮影〕

■写真1-3 平字一町目のTIビルと本町通り 〔令和4(2022)年10月 小宅幸一撮影〕

 ■写真2-2 一町目~三町目のショッピングモール建設を西方に向かって見る 〔平成5(1993)年2月 いわき民報社撮影 〕

■写真2-2 一町目~三町目のショッピングモール建設を西方に向かって見る 〔平成5(1993)年2月 いわき民報社撮影 〕

■写真2-3 一町目の中ほどから西方に向かって見る 年末年始警戒出動式。〔平成10(1998)年12月 いわき民報社撮影 〕

■写真2-3 一町目の中ほどから西方に向かって見る 〔平成7年6月 いわき民報社撮影 〕

■写真2-4 一町目の中ほどから西方に向かって見る 〔平成7年6月 いわき民報社撮影 〕

一町目の中ほどから西方に向かって見る 〔平成7年6月 いわき民報社撮影 〕

■写真2-5 再開発ビル建設予定地 〔平成11(1999)年頃 いわき市撮影 〕

■写真2-5 再開発ビル建設予定地 〔平成11(1999)年頃 いわき市撮影 〕

■写真2-6 T1(ティーワン)ビルを、一町目の中ほどから見る 〔令和4年10月 小宅幸一撮影 〕

■写真2-6 T1(ティーワン)ビルを、一町目の中ほどから見る 〔令和4年10月 小宅幸一撮影 〕

 T1ビル建設(平成13年9月 いわき市撮影)

 T1ビル建設(平成13年9月 いわき市撮影)

 TIビル落成式(平成14年4月 いわき市撮影)

 TIビル落成式(平成14年4月 いわき市撮影)

平字一町目の再開発予定地を高みから東方に向かって見る(平成8年3月、いわき民報社撮影)

平字一町目の再開発予定地を高みから東方に向かって見る(平成8年3月、いわき民報社撮影)

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