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『平鎌田』(令和5年8月9日市公式SNS投稿)

登録日:2023年8月9日

いわきの『今むがし』Vol.174

鎌田付近では、丘陵地を迂回するように浜街道が敷かれ、夏井川には鎌田橋が見える 〔1.50,000地形図 平(明治41年測図) 国土地理院発行〕

1地図1 鎌田付近では、丘陵地を迂回するように浜街道が敷かれ、夏井川には鎌田橋が見える 〔1.50,000地形図 平(明治41年測図) 国土地理院発行〕

 以前、このシリーズでは夏井川の両岸を結ぶ「鎌田橋」「平・平神橋」を取り扱いましたが、今回はこれら橋を渡った左岸の平鎌田(たいらかまた)を紹介します。
 平鎌田を地形的にみると、北側から舌状の丘陵地(通称・鎌田山)が延び、夏井川を大きく湾曲させています。
 丘陵地の先端近くに位置する弘源寺には、「弘源寺貝塚」が発見されています。海岸から約4km離れていますが、かつてはこの近くまで海水が入り込み、この丘陵地は岸辺であったことがうかがえます。
  実は、右岸にも平字鎌田町(かまだ)町、平鎌田(かまた)町があります。どちらも正式な字名で、土地区画整理事業を実施した区域は「字」の付かない町、事業除外の区域は「字」が付かず、しかも「た」と「だ」の違いがあります。またややこしいのは、夏井川左岸の鎌田は元々「字」の上位となる「大字」の範囲で明治22(1889)年に鎌田村は塩村などと合併して神谷村となったのです。したがって、この時点では神谷村大字鎌田でした。いずれにしても紛らわしいことから、大字鎌田を、平市街の人々は「向鎌田(むかいかまた)」と呼称していました。
 江戸時代には川の名称は上流、中流、下流を通じて一つの統一されていたのではなく、地域によって変えられていました。このあたりも「鎌田川」と呼称していましたから、両方に同じ地名があるのも不思議なことではありません。
 『神谷村誌』(志賀伝吉氏著)によれば、この鎌田の由来は、12,3世紀に鎌田氏が一帯を治めたことに求めている。その場所は平第二中学校裏の通称・御殿山と呼ばれた場所で、平第二中学校に居城跡の石碑が立っています。
 平鎌田の丘陵地を最初に穿(うが)ったのは、常磐線でした。明治30(1897)年にトンネルが設けられましたが、ちょうどスピードを出す地点となることから、トンネルに接した踏切では通行者の犠牲が絶えませんでした。現在毎年8月に行われている「夏井川流灯花火大会」は、大正8(1919)年の旧歴7月16日、弘源寺がトンネル付近の鉄道事故で亡くなった人の供養として夏井川に祭壇を設けて弔(とむら)ったのが始まりでした。

現在の平鎌田 〔1.25,000地形図 平(平成18年更新) 国土地理院発行〕

2.■地図3  現在の平鎌田 〔1.25,000地形図 平(平成18年更新) 国土地理院発行〕

 昭和時代まで、江戸時代の浜街道はそのまま国道6号に転用され、少しずつ改良が加えられていましたが、大正時代末期に自動車が登場すると、これまでの道路形態では危険で、抜本的な改良工事が必要となっていきました。
 その手始めとして、行われたのが平字鎌田町から平鎌田に至る道路の屈曲解消でした。以前「平神橋」で説明したように、直線で通称・鎌田山を切り通しで穿(うが)つ道路と橋梁設置は昭和12(1937)年に完成しました。
 しかし、昭和20(1945)年に平市街がアメリカ軍による空襲で焼失したのを機に、新たな国道開設が計画されます。これまでの国道であった本町通りの南方に、新たに道路が建設され、再度、「平大橋」が架けられ、丘陵地を再度、今度は斜めに横断して、平鎌田の東側で従来の道路と合流する新たな国道が完成しました。昭和42(1967)年3月のことでした。
 丘陵地には、昭和25(1950)年に平市と神谷村が合併するに際し、合併条件として神谷村内に中学校を設置するという取り交わしに即して、平第二中学校が設置されました。さらに、昭和41(1966)年4月に昌平學(現いわき)短期大学、平成7(1995)年4月には東日本国際大学が、それぞれ開学しました。
 その後、国道6号(現国道399号)の交通量増加に対応するため、昭和50年代に4車線化、さらには平成19(2007)年には、右折レーンの設置などによる鎌田交差点の改良工事を、それぞれ施工しました。
 平地と丘陵地が織り成す地形を活用した平鎌田の景観は、交通の要所、若者の群像、昔からのたたずまい、川向こうの平市街との微妙な距離感など、さまざまな“顔”を見せてくれます。

(いわき地域學学會 小宅幸一)

  その他の写真

地図2 鎌田付近では、丘陵地を横切るように切り通しで道が開設され、夏井川を渡る「平神橋」が見える 〔50,000地形図 平(昭和26年応急修正) 国土地理院発行〕

3.	■地図2 鎌田付近では、丘陵地を横切るように切り通しで道が開設され、夏井川を渡る「平神橋」が見える 〔1.50,000地形図 平(昭和26年応急修正) 国土地理院発行〕

■写真1-1 鎌田山切り通し工事と、遠方に塩集落 〔昭和10(1935)年頃 磐城国道事務所提供〕

■写真1-1 鎌田山切り通し工事と、遠方に塩集落 〔昭和10(1935)年頃 磐城国道事務所提供〕

■写真1-2 平鎌田の鎌田交差点を平市街に向かって見る 〔令和3(2021)年12月 小宅幸一撮影〕

■写真1-2 平鎌田の鎌田交差点を平市街に向かって見る 〔令和3(2021)年12月 小宅幸一撮影〕

■写真2-1 鎌田山切り通し工事を平に向かって見る 〔昭和10(1935)年頃 磐城国道事務所提供〕

■写真2-1 鎌田山切り通し工事を平に向かって見る 〔昭和10(1935)年頃 磐城国道事務所提供〕

■写真2-2 平鎌田の鎌田交差点を市道側から平市街に向かって見る 〔令和3年12月 小宅幸一撮影〕

■写真2-2 平鎌田の鎌田交差点を市道側から平に向かって見る 平市街に向かって見る 〔令和3年12月 小宅幸一撮影〕

■写真3-1 鎌田の旧街道から鎌田山を見る 〔昭和10(1935)年頃 磐城国道事務所提供〕

8■写真3-1 鎌田の旧街道から鎌田山を見る 〔昭和10(1935)年頃 磐城国道事務所提供〕

■写真3-2 平鎌田の旧道(左)と新道(右)の合流点を平市街に向かって見る 〔令和3年12月 小宅幸一撮影〕

9.■写真3-2 平鎌田の旧道(左)と新道(右)の合流点を平市街に向かって見る 〔令和3年12月 小宅幸一撮影〕

■写真4-1 鎌田交差点から平市街方向を見る・道路査察 〔昭和42(1967)年6月 いわき市撮影〕

10.■写真4-1 鎌田交差点から平市街方向を見る・道路査察 〔昭和42(1967)年6月 いわき市撮影〕

■写真4-2鎌田交差点から平市街方向を見る 〔令和3年12月 小宅幸一撮影〕

11.■写真4-2鎌田交差点から平市街方向を見る 〔令和3年12月 小宅幸一撮影〕

■写真5-1 鎌田交差点付近から北方の草野方向を見る 〔昭和42(1967)年6月 いわき市撮影〕

12.■写真5-1 鎌田交差点付近から北方の草野方向を見る 〔昭和42(1967)年6月 いわき市撮影〕

■写真5-2鎌田交差点付近から北方の草野方向を見る 〔令和3年12月 小宅幸一撮影〕

13.■写真5-2鎌田交差点付近から平市街方向を見る 〔令和3年12月 小宅幸一撮影〕

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