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『内郷高坂町高坂一、二丁目』(令和5年7月12日市公式SNS投稿) 

登録日:2023年7月12日

いわきの『今むがし』Vol.172

丘陵地になっていた、後の高坂団地 〔1.50,000地形図 平(明治41年測図)  国土地理院発行〕

1.■地図1  丘陵地になっていた、後の高坂団地 〔1.50,000地形図 平(明治41年測図)  国土地理院発行〕

 常磐炭田のなかで、湯本町(昭和29年に常磐市)と並んで炭鉱が密集していた内郷町(昭和29年に内郷市)では、昭和20年代半ば過ぎになると、石炭産業に陰りがみられるようになります。
 大手の常磐炭礦は合理化の一環として、坑口や排水坑の集約を図るようになり、将来的には内郷地区の坑口撤退を相次いで発表したのです。
 昭和30年代に入ると、石炭産業の斜陽化が鮮明となっていきます。熱エネルギー源として、安価な石油に取って代わられるようになったからです。常磐炭礦が内郷地区から撤退するに際して、激減緩和策として常磐炭礦が100%出資して、子会社の内郷炭礦(株)を立ち上げましたが、閉山は時間の問題でした。
 この間、内郷市に所在した中小炭鉱は相次いで閉山に追い込まれ、内郷市は鉱産税の減少、人口減少、商店街の疲弊などと、複合的な苦境に立たされていきます。このため、内郷市は市営ヘルスセンターの開設、公営病院の誘致(市町村組合磐城共立病院→いわき市立総合磐城共立病院→いわき市立医療センター)、牛乳事業の立ち上げなど、多角的な事業を起こし、税の増収策を図っていきます。
 その一つとして計画されたのが、大規模な住宅団地の誘致でした。福島県としても、人口増加策として住宅団地造成による内郷市への支援は必須の課題となりました。
 住宅団地の建設予定地として着目したのが、高坂町の山林(標高70m前後の丘陵地)でした。昭和38(1963)年からは、内郷市と福島県住宅公社が窓口となって山林を買収して、4期(1期=県住宅供給公社、2期=いわき市土地開発公社、3・4期=いわき市)に分けて造成に入りました。面積は約38万平方メートル、計画数は約800区画でした。

現在の高坂団地および周辺 〔1.25,000地形図 平(平成18年更新) 国土地理院発行〕

2.■地図3  現在の高坂団地および周辺 〔1.25,000地形図 平(平成18年更新) 国土地理院発行〕

  高坂団地の分譲は昭和39(1964)年から開始され、一般住宅区画に加え、建て売り分譲、市営住宅、国家公務員宿舎、保育所、郵便局、公園などが規則的に配置されました。
 宅地建設は当初は動きが鈍かったのですが、上下水道の整備はもちろん、都市ガスの敷設や乗合バスの運行開始など、都市基盤整備の進ちょくとともに急速に進んでいきました。
 昭和45(1970)年には、土地分譲・建て売り分譲が完売となり、宅地化が進みました。
 高坂団地の西側には、隣接して常磐炭礦内郷礦住吉坑を引き継いだ内郷炭礦のずり山(高さ43m、標高146m)がそびえていました。内郷炭礦は昭和40(1965)年に閉山となったので、不用な存在となっていて、しかも高坂団地の住宅化が進むにつれて、ずり山の粉じんが洗濯物などを汚すという問題が生じたこともあって、住宅需要が増えるなか、新たな団地づくりが進められました。
 ずり山を均(なら)して金坂団地が始まったのは昭和42(1967)年からで、福島県(1・2期)やいわき市(3期)が主体となって造成が進められました。総面積は約6万mで、初めての大型団地の高坂団地とは異なり、金坂団地の場合は住環境を整備した上での分譲となりました。
 分譲は昭和46(1971)年から土地分譲(約120区画)、県営住宅入居募集が開始され、昭和48(1973)年には完売となりました。字名は高坂団地が「高坂一丁目」、金坂団地の多くが「高坂二丁目」と名付けられました。
 いわき市における住宅団地の建設を追ってみると、初期の大型住宅団地としては、玉川団地と高坂団地が挙げられます。前者が新産業都市の受け皿として、後者が産炭地域の振興策として、それぞれ大きな意味合いを持っていたことがわかります。

(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

■地図2  草創期の高坂団地 「住吉炭坑」は内郷炭礦住吉坑のことで、文字の南に位置する空白部分がずり山だった。 〔1.25,000いわき都市計画図 昭和42年測図  いわき市発行〕

3.■地図2  草創期の高坂団地 「住吉炭坑」は内郷炭礦住吉坑のことで、文字の南に位置する空白部分がずり山だった。 〔1.25,000いわき都市計画図 昭和42年測図  いわき市発行〕

■写真1-1 草創期の高坂団地 〔昭和43(1968)年9月 いわき市撮影〕

4.■写真1-1 草創期の高坂団地 〔昭和43(1968)年9月 いわき市撮影〕

■写真1-2 現在の高坂団地 〔令和4(2022)年9月 小宅幸一撮影〕

5.■写真1-2 現在の高坂団地 〔令和4(2022)年9月 小宅幸一撮影〕

■写真2-1 草創期の高坂団地 〔昭和42(1967)年11月 いわき市撮影〕

6.■写真2-1 草創期の高坂団地 〔昭和42(1967)年11月 いわき市撮影〕

■写真2-2 現在の高坂団地 遠方に雇用促進住宅(現災害公営住宅)が見える。 〔令和4年9月 小宅幸一撮影〕

7.■写真2-2 現在の高坂団地 遠方に雇用促進住宅(現災害公営住宅)が見える。 〔令和4年9月 小宅幸一撮影〕

■写真3-1  草創期の高坂団地 〔昭和42年3月 いわき市撮影〕

8.■写真3-1  草創期の高坂団地 〔昭和42年3月 いわき市撮影〕

■写真3-2 現在の高坂団地 〔令和4年9月 小宅幸一撮影〕

9.■写真3-2 現在の高坂団地 〔令和4年9月 小宅幸一撮影〕

■写真4-1  高坂町の丘陵地造成 常磐線の特急「ひたち」や御厩町、綴町を見る。〔昭和39(1964)年頃 鈴木國男氏撮影〕

10.■写真4-1  高坂町の丘陵地造成 常磐線の特急「ひたち」や御厩町、綴町を見る。〔昭和39(1964)年頃 鈴木國男氏撮影〕

■写真4-2  高坂町 宅地化によって、常磐線を見通すことができない。〔令和4年9月 小宅幸一撮影〕

11.■写真4-2  高坂町 宅地化によって、常磐線を見通すことができない。〔令和4年9月 小宅幸一撮影〕

高坂団地(現三丁目)の造成・遠方に旧常磐炭礦内郷礦住吉坑のずり山(昭和41年 千葉久幸氏撮影)

12.高坂団地(現三丁目)の造成・遠方に旧常磐炭礦内郷礦住吉坑のずり山(昭和41年 千葉久幸氏撮影)

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