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『内郷御厩町番匠地』(令和5年2月22日市公式SNS投稿)

登録日:2023年2月22日

いわきの『今むがし』Vol.163

国道6号の混雑緩和のため、並行してバイパスを計画 〔1.25,000地形図 平、常磐湯本(昭和51年測量国土地理院発行〕

1地図1 国道6号の混雑緩和のため、並行してバイパスを計画 〔1.25,000地形図 平、常磐湯本(昭和51年測量)  国土地理院発行〕.jpg  浜街道は、内郷と平の間では明治時代以降、国道(後の国道6号、平成304月からは主要地方道いわき-上三坂-小野線)として役割を果たします。当初、沿線には大字御厩に集落がある以外、人家は見られませんでした。
 しかし、明治30(1897)2月に日本鉄道磐城線(現常磐線)が開通すると、内郷や湯本の炭鉱開発が盛んとなり、これに伴い消費地である平との往来も頻繁になりました。たとえば、大正時代末期に登場した乗合バスは平-湯本では5社に及び、客の奪い合いをして警察署の斡旋を仰ぐという状態となりました。もはや、道路整備は必至の状況となり、湯本-平の改良工事に着手し、平-内郷市街の国道も、未舗装ではあったものの昭和16(1941)年に完成しました。
 昭和28(1953)年には内郷-平が舗装され、沿道に総合磐城共立病院、福島労災病院などが進出、さらに昭和30年代に自動車が社会のさまざまな分野に影響を与えるモータリゼーションが日常生活に浸透すると、内郷-平に事業所や商店などが軒を連ねたことも加わって、交通混雑が激しくなり、特に朝夕のラッシュ時には車が数珠(じゅず)つなぎになる光景が常態化していきます。このため、国道の4車線化と国道と並行してバイパスを建設するする計画が進みます。
 福島県は県失業対策事業によって昭和38(1963)年から内郷駅前から福島労災病院や総合磐城共立病院の裏側を開削して、小島町を経て、谷川瀬のいわき駅前通りまでの延長約4kmのうち、内郷駅付近から北東へ向けて工事を開始しました。
 
昭和41(1966)年のいわき市合併後も事業が継続。用地買収が難航して容易に進ちょくしませんでしたが、昭和46(1971)年からは、都市計画道路内郷駅-平線(内郷バイパス)として谷川瀬から南白土を経て平塩(たいらしお)へ抜ける、延長約8kmの幹線道路として位置づけられ、本格的な工事が進められることになりました。
 
昭和50(1975)年度からは市事業として移管。昭和56(1981)3月には小島町地内および内郷駅前から総合磐城共立病院裏まで開通しました。難関は内郷御厩町番匠地付近に広がる丘陵地を含む約500mの区間でした。この場所は国道49号平バイパスと交差する重要地となることから早期の開通が待たれました。市は昭和63(1988)年度から、この区間の開削事業に取り掛かりましたが、この区間は地すべりの可能性が高く、防災工事も併せて施工する必要となり、歳月を要しました。

道路開削状況を東側から見る 〔平成3(1991)2月 いわき市撮影〕 

 2■写真1-2 道路開削状況を東側から見る 〔平成3(1991)年2月 いわき市撮影〕.JPG

 仔細(しさい)にみると、内郷御厩町を通る都市計画道路内郷駅-平線は開削しなければならない二つの丘陵地を挟んで、その間は低地になっていました。このあたり、番匠地(ばんしょうち)という珍しい字名が付されています。
 道路開削に先立ち、昭和60(1985)年度から平成元(1989)年度にかけて発掘調査が行われ、弥生時代中頃とされる水田跡が発見されました。現行水田の約2m下に現われたもので、この時代の水田は広い低地で拓かれるのが大半で、谷合いで水田が拓かれるのは珍しいことでした。さらに時代が下って古墳時代から平安時代にかけては集落跡が確認され、ここからは金属製品を造る鋳型や「磐城郡印」「常」などのハンコが見つかっています。これらは地名を採って、「番匠地遺跡」と名付けられした。
 また、番匠地地内に設置されていた磐城稲荷神社(通称・番匠地稲荷)は、国道49号平バイパスの交差点に位置していたため、近くの茂木稲荷神社の境内の一角に遷座しました。低地の番匠地を含む2つの丘陵地の区間約1kmは、平成3(1991)3月に開通しました。
 この道路に交差するのが北好間と常磐上矢田町で国道6号常磐バイパスと結ぶ国道49号平バイパスです。このうち北好間-番匠地交差点までは、昭和58(1983)3月に開通(平成71995〕年に全通)。さらに平成10(1998)年度からはバイパス側を跨道橋とする立体化に着手し、平成12(2000)11に開通しました。
 その後、都市計画道路は4車線化されるとともに市道内郷-平線と改称され、従来の国道と並んで、また国道49号と交差して、内郷と平市街、さらには交差点を経て市の東西をつなぐ重要路線として機能しています。朝夕ともなると、交差点は数珠つなぎ自動車で満たされるのが常となっています。

 (いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

都市計画道路内郷駅-平線の磐城総合共立病院裏に広がる丘陵地の開削を東側から見る 〔平成元(1989)年3月 いわき市撮影〕

3■1-1 都市計画道路内郷駅-平線の磐城総合共立病院裏に広がる丘陵地の開削を東側から見る 〔平成元(1989)年3月 いわき市撮影〕.JPG

番匠地遺跡で発掘された水田跡を西側から見る 〔昭和60年代 市教育委員会提供〕

番匠地遺跡で発掘された水田跡を西側から見る 〔昭和60年代 市教育委員会提供〕

都市計画道路内郷駅-平線の番匠地交差点工事を東方に向かって見る 〔平成2(1990)3月 いわき市撮影〕

都市計画道路内郷駅-平線の番匠地交差点工事を東方に向かって見る 〔平成2(1990)年3月 いわき市撮影〕

現在の市道内郷-平線を西方に向かって見る 〔令和3(2021)年7月 小宅幸一撮影〕

■写真1-3 現在の市道内郷-平線を西方に向かって見る 〔令和3(2021)年7月 小宅幸一撮影〕

都市計画道路内郷駅-平線の番匠地交差点工事を東方に向かって見る 〔平成3(1991)年2月 いわき市撮影〕

■写真2-3 都市計画道路内郷駅-平線の番匠地交差点工事を東方に向かって見る 〔平成3(1991)年2月 いわき市撮影〕

現在の市道内郷-平線を東方に向かって見る 〔令和3(2021)年7月 小宅幸一撮影〕

■写真2-4 現在の市道内郷-平線を東方に向かって見る 〔令和3(2021)年7月 小宅幸一撮影〕

 国道49号平バイパス建設を北方の好間側から見る 〔平成7(1995)年6月 いわき市撮影〕

国道49号平バイパス建設を北方の好間側から見る 〔平成7(1995)年6月 いわき市撮影〕

平面交差による開通間近 〔平成7(1995)年8月 いわき市撮影〕

■写真3-2 平面交差による開通間近 〔平成7(1995)年8月 いわき市撮影〕

立体交差による開通間近 〔平成12(2000)年11月 いわき民報社撮影〕

■写真3-3 立体交差による開通間近 〔平成12(2000)年11月 いわき民報社撮影〕

現在の国道49号平バイパス建設を北方の好間側から見る 〔令和3(2021)年7月 小宅幸一撮影〕

■写真3-4 現在の国道49号平バイパス建設を北方の好間側から見る 〔令和3(2021)年7月 小宅幸一撮影〕

番匠地交差点以東の国道49号平バイパス建設を好間方面に向かって見る 〔平成6(1995)年11月 いわき市撮影〕

■写真4-1 番匠地交差点以東の国道49号平バイパス建設を好間方面に向かって見る 〔平成6(1995)年11月 いわき市撮影〕

立体交差による国道49号平バイパス開通〔平成12(1995)年11月 いわき市撮影〕

■写真4-2 立体交差による国道49号平バイパス開通〔平成12(1995)年11月 いわき市撮影〕

現在の国道49号平バイパス建設を好間方面に向かって見る〔令和3(2021)年7月 小宅幸一撮影〕

現在の国道49号平バイパス建設を好間方面に向かって見る〔令和3(2021)年7月 小宅幸一撮影〕

交通の要所として朝夕を中心に混雑する番匠地交差点 〔1.25,000地形図 平(平成18年更新  国土地理院発行〕

交通の要所として朝夕を中心に混雑する番匠地交差点 〔1.25,000地形図 平(平成18年更新  国土地理院発行〕

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