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『川部町』(令和4年10月19日市公式SNS投稿)

登録日:2022年10月19日

いわきの『今むがし』Vol.155

上 四時川に架かる四時橋〔昭和15(1940)年頃、鴨勝男氏提供〕
下 一部改築された四時橋〔平成24 (2011)年3月、小宅幸一撮影〕

上 四時川に架かる四時橋〔昭和15(1940)年頃、鴨勝男氏提供〕 「川部」は、明治22(1889)4月に小川、沼部、三沢、瀬戸、山玉の各村が合併する際、人口の多い「小川」と「沼部」の一字ずつを採って「川部」とした合成地名の村名でした。これに伴い、これまでの村は大字として残りました。
 
昭和30(1955)4月、川部村は他の31村と合併し「勿来市」となりましたが、旧川部村内の行政名を付す際、旧村名を外し、大字を残しました。たとえば「勿来市小川町」「勿来市三沢町」というように変えられたのです。
 
さらに昭和41(1966)10月、勿来市は他13市町村と合併し「いわき市」が成立する際、勿来市と同様の方針で臨む予定でしたが、これに先立つ同年7月、勿来市小川町区長などから勿来市小川町だけは「いわき市川部町」と変更するよう陳情書が提出されました。勿来市と合併する13市町村のなかに「小川町」があり、加えて小・中学校や公民館などの公共施設に「川部」が付され、これがなじんでいるという理由でした。
 
これが認められ、現在の「いわき市川部町」となったのです。
 
ともかく、小川は国道289号と四時川の渓口部に位置し、谷口集落が形成され、周辺の石炭産業や林業の取引や消費の場として商店、製材所、川部小学校、川部中学校などが旧国道289号の四時橋を介して川の両側に集落が密集していました。
 
明治43(1910)年には、勿来駅前-窪田-白米(しろよね)まで通じていた勿来軌道が小川まで延長され、交通の便も良くなり、旅客だけでなく、木材や石炭などが運ばれました。
 川部町在住の鈴木善吉・ミエ夫妻は、平成19(2007)315日付『日々の新聞』で往時を語っています。「夏の夕方、この通りは羽幌(はぼろ)炭鉱、八幡炭鉱、小川炭鉱で働いている人でいっぱいになった。どこも遊びに行くところがなかったからね。パチンコ屋だって3軒あっていい金になったし、飲み屋もあった。(中略)炭鉱で朝7時から昼まで働いて5円。炭鉱ら、金遣いも荒くて。あっちの炭鉱とこっちの炭鉱でぶつかって、年中けんかが絶えなかった。戦後、炭鉱が終わって、山(林業)も終わった」。
 

上 商店街に敷設中の水道施設〔昭和20年代、いわき市水道局提供〕
下 静かなたたずまいの川部中心部〔平成25(2013)年月12月、小宅幸一撮影〕

上 商店街に敷設中の水道施設〔昭和20年代、いわき市水道局提供〕 川部地区は昭和30年代以降、これまでの村の中心は急速に勢いを失っていきます。川部村から勿来市へ行政区域が拡大したことと、石炭産業の衰退、林業の不振が重なり、加えて道路整備が進んだことにより、容易に植田や窪田、錦の各地域への通勤、買い物が容易になったことが、商業などの衰退や人口の流出を招くことになりました。
 昭和56(1981)2月に発行された『いわき市勿来地区広域商業診断報告書(昭和54年調査)』には、川部商店街の状況が報告されています。
 同書では、経営実態調査を行っていて、経営動向では、全体で売上高の減、客数の減、経費の増、と経営環境の厳しさがうかがえます。経営上の問題点では「大型店の影響」が72.7%と圧倒的に多いです。道路整備とマイカーの普及が買い物行動を大きく作用していることもうかがえます。今後の経営方針としては「考えていない」が36.3%を()めていました。
 さらに、地区内に通じていた国道289号は昭和62(1987)年、新たに付け替えられ、幹線道路からは外れてしまいました。
 『かわべ-創立100周年記念』では、座談会のなかで「市町村合併になる前には、小川地区に学校があり、役場もありました。そして、川部村の政治、文化、経済の中心地になっていました。ところが、勿来市との合併、さらに、いわき市との合併によって、役場はなくなり、その上、炭鉱の閉山による戸数の激減等があり、町自体がさびれていきました。」と語られていました。
 現在、家並みは残っていますが、いずれも閉ざされていて、静かなたたずまいをみせています。
 

(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

 川部村地内の勿来軌道(明治43年『石城郡誌)』より)

 3 川部村地内の勿来軌道(明治43年『石城郡誌)』より)

石城郡川部村役場(大正時代、鴨勝男氏提供)

4 石城郡川部村役場(大正時代、鴨勝男氏提供)

5川部郵便局(昭和3年、鴨勝男氏提供)

5 川部郵便局(昭和3年、鴨勝男氏提供)

 川部村駐在所(昭和7年12月、鴨勝男氏提供)

6 川部村駐在所(昭和7年12月、鴨勝男氏提供)

四時橋架替工事(昭和10年6月、大平牧夫氏提供)

 7 四時橋架替工事(昭和10年6月、大平牧夫氏提供)

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電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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