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『錦町蒲田、ウツギサキ、鵜ノ巣』(令和4年4月20日市公式SNS投稿)

登録日:2022年4月20日

いわきの『今むがし』Vol.151

国道6号常磐バイパス作鞍横断歩道橋から北方を見る〔昭和51(1976)年頃、佐藤信夫氏撮影〕

1 錦町の中央を南北に通じる国道6号(常磐バイパス)は、交通量の緩和、さらには新産業都市建設構想を支援し、将来の交通需要に見合った道路網体系を確立するため、昭和39(1964)年に計画されました。当時、元の国道は慢性的な交通渋滞となっていて、早期開通が望まれていました。
 昭和42(1967)年8月には、国道6号分岐点の勿来町四沢から佐糠町の県道泉-岩間-植田線接点までの3.6km区間について具体的なルートが決まり、同年10月から用地買収が始まりました。
 路線は錦町の水田地帯を横切ることになりましたが、沿線の住民から異議が出され、用地買収は難航しました。
 中田地区では昭和41(1966)年10月頃から土地区画整理事業の準備に入っていました。上中田の市街が東方へ急速に拡大しましたが、これに伴う道路整備が遅れ、虫食い状態になっていたからです。バイパス建設計画に土地区画整理事業計画が組み込まれ、土地区画整理事業区域内の真ん中に南北1,500m、幅員27.5mの国道6号常磐バイパスの建設が計画されることになり、バイパスにより町が二分されるうえに、農用地が失われる、苦労して購入した家屋敷地が減らさせる、などの反対が相次ぎましだ。
 その後、農業を営む地権者は次第に理解を示すようになり、バイパス建設は進みましたが、新たに持ち家を建てた人々は反対の姿勢を崩さず、昭和51(1976)年以降、土地区画整理事業の意見はまとまらず、事業は進みませんでした。
 その一方で、年々激しさを増す国道6号の交通渋滞を1日も早く解消しようと、昭和45(1970)年6月に常磐バイパス建設期成同盟会が結成されたこともあって、沿線の土地保有者からはようやく買収に応じる機運が出てきました。
 用地交渉が妥結したのは、昭和45年10月のことでした。同年10月、念願の起工式が起点となる勿来町四沢地内、国道6号との分岐点で実施され、昭和47(1972)年12月、計画された全幅4車線を確保しながら、暫定2車線で開通しました。 

北方に移動した横断歩道橋から見る北方の国道6号〔令和2(2020)年11月、小宅幸一撮影〕

 土地区画整理事業の停滞を解消するため、関係者は全体計画を見直しました。その結果、事業全域(103.9ha)を施行するのは困難として、対象区域を市道川部・錦線から北域に絞り、第一工区として位置づけ、この区域の課題であった水害対策解消のため、鮫川水系の二級河川・中田川の流路を変更させることにしました。中田川は河川域が狭いうえに屈曲が多く、都市化が進むにつれて大雨のたびに流域は水害に見舞われていたからでした。  
 こうして、昭和61(1986)年1月、「新中田川河川改修対策懇談会」が結成。協議は平成3(1991)年まで重ねられ、平成3年10月に基本計画の見直しに着手しました。
 この時点までは組合施行による土地区画整理事業をめざしていましたが、河川改修の公共事業施工や国道6号常磐バイパスとの接続、都市計画法に伴う用途区域、すなわち“線引き”の見直しなど、多くの課題があったことから、平成4(1992)年8月、中田地区区画整理事業推進準備会から、施行主体を「組合施行」から「市施行」に変更して2ほしいとの陳情書が提出されました。
これに対し、市は国・県と協議。この結果、「市施行」とすることとし、「勿来錦第一土地区画整理事業」と改称した事業は、これまで検討してきた第一工区を基本として平成7(1995)年11月に都市計画決定され、現在、年次計画で施行されています。
 東日本大震災の復興に際しては、海岸部の須賀集落が防災集団移転促進事業の対象地区となり、この土地区画整理地内の錦町ウツギサキに戸建て住宅が建てられ、同鵜ノ巣には災害公営住宅も建てられました。また、国道6号の4車線化も果たされ、事業進ちょくと相まって錦町の中央部は、大きく変貌しようとしています。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

国道6号線常磐バイパス通過予定地・錦町作鞍地内(昭和42年頃、長谷川達雄氏撮影)

2 国道6号線常磐バイパス通過予定地・錦町作鞍地内(昭和42年頃、長谷川達雄氏撮影)

 

国道6号常磐バイパス作鞍横断歩道橋から南方を見る(昭和51年頃、佐藤信夫氏撮影)

3 国道6号常磐バイパス作鞍横断歩道橋から南方を見る(昭和51年頃、佐藤信夫氏撮影)

 

国道6号常磐バイパス作鞍交差点付近から南方を見る(昭和51年頃、佐藤信夫氏撮影)

4 国道6号常磐バイパス作鞍交差点付近から南方を見る(昭和51年頃、佐藤信夫氏撮影)

 

錦町の錦中学校付近を国道6号バイパス鵜ノ巣歩道橋から西方に向かって見る(昭和51年頃、佐藤信夫氏撮影)

5 錦町の錦中学校付近を国道6号バイパス鵜ノ巣歩道橋から西方に向かって見る(昭和51年頃、佐藤信夫氏撮影)

 

錦町の国道6号バイパスを鵜ノ巣横断歩道橋から南西に向かって見る・現在、横断歩道橋は南方に移転(昭和51年頃、佐藤信夫氏撮影)

6 錦町の国道6号バイパスを鵜ノ巣横断歩道橋から南西に向かって見る・現在、横断歩道橋は南方に移転(昭和51年頃、佐藤信夫氏撮影)

 

国道6号バイパス、安良町をバイパス鵜ノ巣横断歩道橋から見る・現在横断歩道橋は南方に移転(昭和51年頃、佐藤信夫氏撮影)

7 国道6号バイパス、安良町をバイパス鵜ノ巣横断歩道橋から見る・現在横断歩道橋は南方に移転(昭和51年頃、佐藤信夫氏撮影)

 

北方に移動した横断歩道橋から見る南方の国道6号(令和2年11月、小宅幸一撮影)

8 北方に移動した横断歩道橋から見る南方の国道6号(令和2年11月、小宅幸一撮影)

 

錦町作鞍地内の交差点付近から北方向の国道6号(令和2年11月、小宅幸一撮影)

9  錦町作鞍地内の交差点付近から北方向の国道6号(令和2年11月、小宅幸一撮影)

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