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『小名浜海水浴場』(平成28年5月11日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14627-7885-8892 更新日:2016年5月11日

いわきの『今むがし』 Vol.46

1 「小名浜」小名浜海水浴場・手前は1号埠頭(昭和20年代、小名浜観光協会)

1 「小名浜」小名浜海水浴場・手前は1号埠頭(昭和20年代、小名浜観光協会) 三崎を風よけとして発達した小名浜漁港の西方には、見渡す限りの砂浜が弓なりに広がっていました。
 港が整備される以前、遠浅の砂浜には近海で獲れる魚が揚げられ、夏ともなると海水浴場に仕立てられて、海水浴客を待つように休憩所兼脱衣所(後の「海の家」。昭和2年夏には9軒があったと記録)が建てられました。また、広々とした海を臨める砂浜に沿って新米、吉田屋、錦盛館などの旅館は、大勢の浴客でにぎわいをみせました。
 明治時代末期に発刊された『石城郡誌』には、「風光最も雄偉(ゆうい)にして眸(ひとみ)を放てば大海渺茫(たいかいびょうぼう)と際なく、左は三崎綱取の厳角(げんかく)を望み、右は下川、剣崎と相対す。(中略)加ふるに前面の海は、一帯の遠浅にして抄平かに浪清く、婦人小児と雖(いえど)も此の危険なきを以て、海水浴の好適地。其の名は遠近に高く、毎年盛夏の候には潮客の士女の集ること雲の如し」と明治調たっぷりの紹介がされています。
 砂浜には、水難を防ぐために見張り所を設置し、消防組(現在の消防団)の組員が交代で見張りをしていました。
 浴客は小名浜町民だけではありませんでした。磐城炭礦軌道(湯本‐小名浜)や磐城海岸軌道(泉‐江名)は、ピストン輸送で遠方からお客を運びました。このうち、磐城海岸軌道は、鉄道だけでは運びきれないため、大正12(1923)年夏には、夏季限定で海水浴用の乗合バスを走らせたほどでした。ちなみにこの乗合バスは、いわき地方で初めて走ったバスでした。
 当時の新聞は、海水浴客の輸送を次のように報じています。「磐城炭礦軌道の如きはこの日(7月28日)ばかりは荷運搬のトロリー(貨車)までが客車並の出動に数台を連結する。午後7時までの引続く運転にようやく1,500の雑踏を片付けた」。(昭和10年7月30日付『新いわき』)
 昭和4(1929)年に小名浜商港の築港が始まり、海水浴の存続が危ぶまれましたが、3,000t岸壁の西方に海水浴場を移設する一方で、防波堤が築かれて景観は損なわれましたが、湾内には貸しボートの営業も行われ、“持ちつ持たれつ”の時代が続きました。
 昭和20年(1945)8月、戦争が終わってまもなく、世の中が落ち着いてくると、海水浴場には人々が戻ってきます。昭和26(1951)には、小名浜港1号ふ頭西側に飛び込み台が新設され、より遠く、海に向かって飛び込む勇壮な光景をみることができました。

2 小名浜海岸 小名浜港1、2号埠頭、アクアマリンパーク(平成27年10月、いわき市撮影)

2 小名浜海岸 小名浜港1、2号埠頭、アクアマリンパーク(平成27年10月、いわき市撮影) 昭和20年代から30年代初めにかけて、小名浜海水浴場はピークを迎えます。新聞は「昨日(7月27日)、小名浜(海水浴場)は浴客2万5千人の人でうずまり、汽車もバスもすし詰めの超満員。市内はもちろん貸切りバスで中通り方面からの遠来の客、タクシーで乗りつける豪華組、東白川、川前、(小野)新町方面より三輪(自動)車、トラックの貸し切り組もあり、大にぎわいを呈した」と報じていました。(昭和30年7月28日付『磐城日日新聞』)
 昭和29(1954)年から小名浜港1号ふ頭の1万t岸壁建設が始まると、港湾施設のさらなる拡充が求められていきます。すでに大型の船舶が相次いで入港し、ふ頭に設置されていた4台のクレーンは船荷の積み降ろしでフル活動。物揚げにも事欠く状態でした。
 このため、ふ頭の背後に物揚場を設置することになりましたが、まさに小名浜海水浴場の心臓部に位置していたことから、観光・海水浴関係者にとっては新たな海水浴場の選定が課題となりました。
 昭和31(1956)年の磐城市観光協会の会議では、現在の海水浴場の西方500m、砂防堤の西側から日本水素工業の南側にかけた砂浜を新たな海水浴場とすることを決めました。
 しかし、2号ふ頭、3ふ頭の建設計画が示されると、もはや海水浴そのものができなくなることは明らかでした。
 昭和33、34(1958、1959)年の海水浴場は埋立地の先、つまりこれまでよりも南方、かつては沖でしたが、埋め立てに伴う浅瀬を利用して、かろうじて海水浴場が設定されました。
 しかし、昭和35(1960)年になると、例年10軒あった脱衣場は3軒にまで減り、海水浴客もまばらとなり、海水浴場はこの年をもって完全に姿を消すことになりました。
 磐城市役所はこれに代わる海水浴場として、永崎、下川の海水浴場を積極的にPR。下川海水浴場は交通に不便で、藤原川の汚水もあって不人気でしたが、永崎海水浴場は、小名浜海水浴場に代わる存在として認知されるようになっていきました。
 小名浜海水浴場の人垣を見ていた1号ふ頭の付け根あたりに立ってみると、そこは臨海道路やみなと公園に変貌して、手がかりは遠い南富岡方面の山並みしかありません。どうしてもにぎわいを撮りたくなって、南方の「いわき・ら・ら・ミュウ」の2階から今の小名浜のにぎわいを探してみました。

その他の写真

3 小名浜海岸における海岸線の変容(図)

 3 小名浜海岸における海岸線の変容(図)

4 絵はがき「小名浜風景」小名浜海水浴場(1)(大正時代)

 4 絵はがき「小名浜風景」小名浜海水浴場(1)(大正時代)

5 絵はがき「小名浜風景」小名浜海水浴場(2)(大正時代)

 5 絵はがき「小名浜風景」小名浜海水浴場(2)(大正時代)

6 絵はがき「磐城小名浜名所」小名浜海岸(大正時代、樋口商店)

 6 絵はがき「磐城小名浜名所」小名浜海岸(大正時代、樋口商店)

7 小名浜海岸のカツオ大漁(明治時代末期、京屋商店)

 7 小名浜海岸のカツオ大漁(明治時代末期、京屋商店)

8 小名浜海水浴場 (昭和27年7月 おやけこういち氏所蔵)

 8 小名浜海水浴場 (昭和27年7月 おやけこういち氏所蔵)

9 小名浜駅における海水浴客のための臨時改札口(昭和29年7月、斉藤清一氏撮影)

 9 小名浜駅における海水浴客のための臨時改札口(昭和29年7月、斉藤清一氏撮影)

10 小名浜海水浴場(昭和29年8月、おやけこういち氏所蔵)

 10 小名浜海水浴場(昭和29年8月、おやけこういち氏所蔵)

11 小名浜海水浴場(昭和30年頃、野木茂氏撮影)

 11 小名浜海水浴場(昭和30年頃、野木茂氏撮影)

12 海水浴記念撮影・小名浜海水浴場(昭和30年頃、野木茂氏撮影)

 12 海水浴記念撮影・小名浜海水浴場(昭和30年頃、野木茂氏撮影)

13 小名浜海水浴場のアイスクリーム屋とアイスキャンデー屋(昭和30年代初め、野木茂氏撮影)

 13 小名浜海水浴場のアイスクリーム屋とアイスキャンデー屋(昭和30年代初め、野木茂氏撮影)

14 小名浜海水浴場1号埠頭の飛び込み台 (昭和31年7月 宇田恒雄氏撮影)

 14 小名浜海水浴場1号埠頭の飛び込み台 (昭和31年7月 宇田恒雄氏撮影)

15 小名浜海水浴場(昭和32年、二片英治氏撮影)

 15 小名浜海水浴場(昭和32年、二片英治氏撮影)

16 小名浜海水浴場・遠方に工場群が見える(昭和32年、野木茂氏撮影)

 16 小名浜海水浴場・遠方に工場群が見える(昭和32年、野木茂氏撮影)

17 小名浜海水浴場(昭和32年頃、板津弥吉氏撮影)

 17 小名浜海水浴場(昭和32年頃、板津弥吉氏撮影)

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