『小名浜港1号ふ頭』(平成28年4月20日市公式Facebook投稿)
登録日:2016年4月20日
いわきの『今むがし』 Vol.45
広い小名浜海水浴場の東側に設けられた小名浜港1号ふ頭〔昭和32(1957)年 野木茂氏撮影〕
三崎から剣崎まで約8kmの間(小名浜下神白字三崎-泉町下川字大剣)には、昭和時代初頭まで弓形の砂浜が広がっていました。
小名浜は東側に三崎を控え、古くから漁業が盛んでしたが、一方で江戸向けの米の積み出しが盛んに行われるとともに、「東回り海運」の港に指定され、交易の中継地としても機能していました。
さらに明治時代に入り、地元民によって小名浜港を商港として発展させる運動が展開されましたが、陸上交通が優位になったため、容易に認められませんでした。ところが、鉄道運賃の値上げが続き、船の運賃と差がなくなり、加えて船の機能も格段に向上したことから、商港建設の機運が高まり、昭和2(1927)年には、待望の重要港湾に指定されました。
政変によって計画が危ぶまれることもありましたが、昭和4(1929)年度から3,000t岸壁や防波堤の建設を中心とした港づくりが始まり、鮫川の砂利や茨城県の稲田石、阿武隈川河川改修で生じた残土、地元の湯本町の石などが投入され、当時としてはいわき地方の一大プロジェクトとして工事が進められました。
昭和13(1938)年5月には落成式を迎え、ただちに第二期工事となる防波堤の延長や大型船入港のための港湾改造などの工事に入る予定でした。しかし、戦時色が濃くなるなか、国家予算は戦争遂行のための配分が優先されていきます。減額されながらも昭和16(1941)年度からの着工と決まりましたが、これも同年12月から始まった本格的な戦争突入で中断されてしまいます。
戦争は昭和20(1945)年8月に終結。中断していた工事は昭和23(1948)年に再開されましたが、日本全体が戦争で荒廃し、物資不足が深刻な状態になっていました。そこで考えられたのが、廃船となっていた旧海軍の駆逐艦「汐風(しおかぜ)」(全長102.57m、1,215t、大正10年に竣工)を沈船してふ頭の一部とすることでした。汐風は同年8月に沈船。この巨大な“資材”が活かされ、1号ふ頭の二期工事は昭和25(1950)年度、完成に至りました。
昭和20年代半ばを過ぎると、日本経済は回復。物資の大量輸送と船舶の大型化が進むと予測した県は将来性を見込み、単独事業により昭和29(1954)年度から1万t岸壁の建設に着手しました。ふ頭建設は昭和32(1957)年度に完成し、昭和33(1958)6月に開閉式上屋施設の完成と併せて落成式が行われました。
昭和31(1956)年5月には、小名浜港が「関税法」により外国船貿易港として開港指定され、これに合わせた港づくりが本格化していきます。
臨港道路から見る、新しい小名浜魚市場といわき・ら・ら・ミュウの方向 海水浴場と1号ふ頭の付け根あたりは道路や公園、駐車場に変貌しました。〔平成28(2016)年4月、いわき市撮影〕
昭和32(1957)年度からは輸出入用の野積地と倉庫用敷地に当てるため、1号ふ頭西側の海岸埋め立てが始まります。現在臨港道路前の駐車場になっている場所です。この埋め立てにより、長年、地区民だけでなく周辺地域の人々を集客した小名浜海水浴場は、昭和34(1959)年夏を最後に、姿を消しました。
一方、1号ふ頭には、昭和28(1953)年12月に橋型水平引込式クレーンが据え付けられて稼働したのをはじめ、昭和33(1958)年、昭和35(1960)年とクレーンが設置されました。さらに常磐炭田で産出された石炭を海上輸送するため、1号ふ頭に接して西側に新たに石炭専用積み出しふ頭を設置。昭和37(1962)年に貯炭場と石炭専用のクレーンが整備されました。
こうして昭和30年代、1号ふ頭の岸壁にはリン鉱石や硫安(りゅうあん)、工業塩、肥料、石炭などの国内外の船舶が入港し、その積み降ろしで1号ふ頭は次第に手狭となっていきます。さらに、大型化する船舶への対応も必要となりました。
いわき地方(現いわき市)が新産業都市に指定される昭和39(1964)年3月前後から、小名浜臨海工業地帯づくりと相まって1号ふ頭の西方へ、2号、3号、4号ふ頭と急ピッチで整備され、1号ふ頭の役割が変化していきます。
一方、昭和40年代、漁船の大型化などに伴い、1号ふ頭の漁港区への開放が要望されていきます。協議の結果、1号ふ頭の東側が昭和50(1975)年に漁港区に編入され、4基のクレーンが撤去。昭和54(1979)年には東側は漁港区に全面開放されて冷蔵庫が完成しました。また、1号ふ頭の背後にあった物揚場の北側は臨港道路となり、その南側は昭和53(1978)年に「みなと公園」として整備(平成9年にリニューアル)されました。
貨物船の大型化に伴い、貨物取り扱いが、岸壁の水深が大きい新しいふ頭に移行していくと、全国の港湾ではこれらに対応するふ頭造りが進められる一方、これまでのふ頭を対象に、国による官民共同の総合的な港湾空間を創造する「ポートルネッサンス21」が展開され、従来のふ頭における再開発がテーマとなっていきます。
小名浜港では1、2号ふ頭が対象となり、親水空間の創出が大きなテーマとして掲げられました。
“海の幸”が豊富ないわき市は、観光と物産の中核施設として昭和63(1988)年に策定された「第三次市総合計画」に「地場産業振興センター」の建設構想として盛り込まれ、翌年から具体化されていきました。こうして、市観光物産センター「いわき・ら・ら・ミュウ」は平成9(1997)年7月にオープンし、以来、市内外から多くの観光客が訪れるにぎわい空間と生まれ変わりました。
今、1号ふ頭の先端に向かう途中、「汐風」の同艦を紹介するプレートを見ることができます。ふ頭整備前は岸壁の脇に露出していたのですが、親水空間としての整備によって完全に埋められてしまうことから、その雄姿を偲んで平成12(2000)年8月、艦尾付近の真上に建てられたものです。
潮風に当てられながら買い物や港の雰囲気を楽しむ多くの人々。流れゆく非日常的なその時間は、さまざまな歴史の積み重ねの上にあるのです。
その他の写真など
小名浜港修築起工式(昭和4年5月22日)
小名浜港3,000トン岸壁(現1号埠頭)に、日本水素建設の資材を積んだ大興丸が入港(昭和13年4月)
小名浜港修築工事竣工記念式典の会場入口(昭13年5月26日)
埠頭に沈められた駆逐艦「汐風」(昭和23年8月 長谷川達雄氏撮影)
小名浜港1号ふ頭。船体の一部が見える「汐風」(昭和26年7月27日 松本正平氏撮影)
汐風が埋めてある場所を表示(平成28年4月、市観光物産センター撮影)
小名浜港1号埠頭の硫安積込(昭和29年12月、おやけこういち氏所蔵)
小名浜港1号埠頭の橋型水平引込式クレーン・ドリンシャ号(昭和29年12月、おやけこういち氏所蔵)
小名浜海水浴場と1号埠頭(2)(昭和30年代初め、野木茂氏撮影)
小名浜港1号埠頭・韓国向けに硫安の積荷作業(昭和30年代、比佐不二夫氏提供)
小名浜海水浴場と同居する1号埠頭(昭和30年頃、野木茂氏撮影)
小名浜港1号埠頭(昭和30年代、比佐不二夫氏提供)
小名浜港1号埠頭・1万トン級の外航船「姫路丸」が初めて燐光石を積んで入港(昭和32年11月比佐不二夫氏提供)
小名浜海岸から1号埠頭を見る(昭和32年8月、二片英治氏撮影)
小名浜港1号埠頭における撮影会・女性2人(昭和30年代後期、比佐不二夫氏撮影)
小名浜港1号ふ頭の石炭クレーン(昭和42年1月、いわき市撮影)
小名浜港1号埠頭(昭和42年3月、いわき市撮影)
空撮・小名浜港2、1号埠頭を西側から見る(昭和62年8月、高萩純一氏撮影)
いわき・ら・ら・ミュウのオープン・全景(平成9年7月、いわき市撮影)
「汐風」の船尾部分。写真正面に船の歴史を伝えるプレートが見えます。写真右奥に見えるのは「アクアマリンふくしま」(平成28年4月、市観光物産センター撮影)
「汐風」の船尾部分の範囲。背後に見えるのは「いわきら・ら・ミュウ」の建物(平成28年4月、市観光物産センター撮影)
小名浜港1号ふ頭周辺の変遷図
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