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『新川2』(平成27年10月21日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14551-8440-1093 更新日:2015年10月21日

いわきの『今むがし』 Vol.33

サクラ並木の新川 「昭和時代初期 郵便絵はがき」

昭和時代初期の新川

 今回は前回に引き続き、市庁舎やアリオスの裏側を流れる「新川」ではなく、現在は「新川緑地」と呼ばれている「新川」の植栽や環境を紹介します。
 歴史書や古い写真、古老の話などで親しまれていた旧新川は、江戸時代には夏井川や好間川とともに、城下町・平の外堀的な機能を果たしており、広い境内を持った菩提(ぼだい)院(現在の十五町目駐車場)と新川町の家並みが接していただけで、それ以外の場所では、田んぼの中をゆるやかに流れていました。
 

ヤナギが植えられた新川河畔 「昭和32年(1957年)10月 宇田恒雄氏撮影」

昭和32年10月の新川河畔

 平町では、明治時代末期、新川を憩いの場所にしようと、平町議会に諮(はか)って尼子橋から下流、月見橋までの間、土手の両側約2キロメートルに約1,000本(本数については諸説あり)のサクラを植樹し、花見の名所に育てた場所でした。ちょうど絵はがきが流行したのと同時期で、まさに絵はがきによる紹介が相乗効果をもたらしたといえます。
 

 

 

現在の新川緑地 木々が大きく成長しました。「平成27年(2015年)7月、いわき市撮影」

現在の新川緑地

 大正10年(1921年)4月17日付の『いはらき』新聞は「ずらり新川岸(しんかわぎし)に並んだ朝顔提灯(ちょうちん)に灯(ひ)が入って、五百燭(しょく)の放光機(ほうこうき)が萬朶(ばんだ)(たくさんの枝)の花に照り栄(さかえ)て人足(ひとあし)の繁(しげ)くなった十五日晩の七時頃より、河上から流れ寄る陽気な響きに、桜の気分は漲(みなぎ)る花(はな)陰(かげ)に輝く灯(ひ)を的(まと)に集まる徜徉(しょうよう)の人」と、浮き立つ気持ちでそぞろ歩きする人々の様子を報じています。
 

 

国産奨励勧業博覧会記念写真帖のなかの「新川畔ノ桜」(大正14年4月、斎藤写真館)

大正14年4月の新川畔ノ桜 昭和時代初期につくられた「平小唄」には「♪花の新川 日暮れの土堤(どて)を 桜吹雪に濡(ぬ)れ濡れ戻りゃ 招きますぞえ街の灯(ひ)が サッサ平の街の灯が」と、その情景を歌に乗せています。
 しかし、新川をめぐる環境が変化していきます。市街が南方に拡大するなか、住宅が河川と接するようになったのです。
 平市は以前から指摘されていた治水対策として、新川の拡幅を随時実施してきましたが、市街に接している状況を考慮し“これ以上の拡幅は困難、新川の南方、沿岸に人家のない古川(現新川)を整備した方が得策”(前回、詳細に紹介)、というように計画を変えていきました。

 

平市役所庁舎と新川の柳(昭和30年代)

昭和30年代の新川柳 憩いの場としての新川は昭和10年代まで続きましたが、昭和16年(1941年)に始まった第二次世界大戦にはサクラの一部が伐採され、次いで虫食いなどで老朽化が進んでいきました。
 一方、昭和11年度(1936年度)から戦争中も細々と施工されていた新しい新川(旧古川)への付け替えは昭和25年(1950年)年2月に完成。これに伴い旧新川という使い分けがされました。
 昭和20年代、旧新川ではかつて満開の桜でにぎわった面影はなく、桜の木も枯れてまばらとなっていきました。さらに、市街地からの排水で汚れていきました。平市は、何度か川の泥上げ、法面補強などを施しましたが、次第に往時の姿を維持できなくなっていきました。

 

新川柳(昭和44年9月、いわき市撮影)

昭和44年9月の新川柳 このため、昭和30年代初めにサクラは伐採され、代わってヤナギが植えられました。
 写真は現在の松村病院西方から上流を撮影したもので、川の左手(枠外)に平市役所(現在は文化センター)、右手に平公民館と平市公会堂(現在は結婚式場)が見える位置です。写真中央には、昭和13年(1938年)に建てられ、当時東北一、二を争う規模といわれた公会堂の威容が見えます。
 この時期は、高度経済成長によって市民生活が豊かになる過程にありました。
 

 

新川暗渠化工事と側道工事(昭和44年10月、いわき市撮影)

昭和44年10月の工事状況 消費拡大に伴い、生活廃棄物が増加しましたが、ごみ収集は追い付かず、河川や山野への投棄が増え、市街化河川の旧新川も抜本的な対応に迫られていきます。また、自動車の増加も著しく、平市街の道路は車であふれるような状況になり、この状況を解決する方策も検討されていきます。
 河川管理者である県や市はこれらを総合的に考え、暗渠化せざるを得ないと結論づけましたが、その跡地をどのように土地利用するかについては、幹線道路、あるいは駐車場、はたまたは住宅地、さらには緑地帯へ、と議論百出となりました。

 

新川川床掘削工事(昭和44年10月、いわき市撮影)

昭和44年10月の工事状況 旧新川を暗渠化した後の利活用方法については、さまざまな意見がありましたが、最終的に緑地帯、一部駐車場、ということで決着しました。
 平市街における下水道整備の一環として計画された旧新川の暗渠化工事は昭和41年度(1966年度)から平市街1.8キロメートルにわたって、直径2.5メートルの大ヒューム管を埋設するもので、昭和44年度(1969年度)まで継続して完了。次いで昭和45年度(1970年度)からは、その上部に新川公園(一部遊園地、市営駐車場・昭和52年10月開場)を設けて昭和48年度(1973年度)に全工事が完了しました。
 平成5年(1995年)9月には、いわき市は建設省のめざす「環境共生都市」(エコシティ)の指定を受けたことから、いわきニュータウンにおける木の街整備に続き、平成6年(1994年)から翌年度までの3年間で新川東緑地を対象に、エコシティ実現のモデル事業として「都市環境基盤整備推進モデル事業」が認定されました。
 

 

新川の暗渠工事(昭和44年10月、いわき市撮影)

昭和44年10月の工事状況 具体的には、「ゆとりと潤いのある快適な都市空間の整備」を十分に考慮しながら、水の循環を促すように雨水が染み込むような透水性の舗装を施し、さらにはトイレやベンチの設置、さらには既存のケヤキに加え、ハナミズキやキンモクセイなどが植樹されました。
 緑地帯は平字尼子町から平北白土字鍛冶淵までの延長2.4キロメートルで、植えられている木や花の種類は100種類以上。ゆっくり歩けば40分はかかりますが、四季折々の雰囲気を楽しむことができます。
 花見の場から時代を経てドブ川へ、そしてふたたび川は“緑地”に変身して、憩いの場へと、時代の風を受け劇的に変化してきた「新川」。カタチこそ昔と違っていますが、そこにしばしたたずんでいると、私たちを日常から離れた異世界へ誘(いざな)ってくれます。
(次回につづく)

その他の写真

新川地中化工事・右側は新築中の大黒屋(昭和44年12月、いわき市撮影)

昭和44年12月の工事状況

新川緑地公園の遊具を東側から見る・背後の建物は大黒屋(昭和46年10月、いわき市撮影)

昭和46年10月の新川緑地公園

新川緑地公園(昭和47年4月、いわき市撮影)

昭和47年4月の新川緑地公園

新川公園のいわきふるさと市(平成4年8月、いわき市撮影)

平成4年の新川公園

新川緑地公園(平成8年6月、いわき市撮影)

平成8年6月の新川緑地公園

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