コンテンツにジャンプ

『新川3』(平成27年11月4日市公式Facebook投稿)

登録日:2015年11月4日

いわきの『今むがし』 Vol.34

本格的な改修が始まる前の新川 堤防上にサクラが植栽されていました。「昭和50年(1975年)4月 高萩純一氏撮影」

昭和50年4月の新川

 拡幅と流路切り替えによって、元の古川は新たに新川となりましたが、河床の堆積は予測以上に進みました。上流からの流域土砂や流域で稼働している炭鉱からの選炭泥が絶えず積み重なり、昭和29年(1954年)以降、毎年のように大雨による堤防決壊や洪水による床上・床下浸水の被害が発生し、その都度応急復旧事業により河床の土砂揚げをせざるを得ない状況でした。
 

 

 

現在の新川 「平成27年(2015年)4月 いわき市撮影」

現在の新川

 抜本的な解決を図るため、県は昭和41年度(1966年度)から河床を浚渫(しゅんせつ)し、昭和44年度(1969年度)から同区間の河川拡幅および堤防の築造工事をスタートさせました。しかし、工事は難航しました。特に平北白土では、耕地整理の減歩、さらには「古川」時代の拡幅に続いて2度も農地が奪われるとして、反対の声が上がったのです。
 その後、平北白土の市街化が急速に進み、水害の危険性が高まったこと、さらには昭和52年(1977年)9月の台風11号の影響では、数か所の堤防から濁流があふれたことから工事促進の機運が高まっていきます。昭和52年12月、当該年度から5か年計画で、国の「河川激じん災害対策特別緊急事業」に指定されたことによって工事は進みます。
 

新川氾濫の尼子橋付近・台風20号時(昭和54年10月、いわき市撮影)

昭和54年10月の新川 対象区間は内郷御厩町から夏井川合流点までの5.7キロメートル。上流側は55.6メートルへ、下流側は64.2メートルへ、それぞれ拡幅するとともに、河床の1メートル掘削、堤防のかさ上げ、湾曲部分の護岸工事を実施する計画でした。これらの河川改修と並行して、一之矢橋、小島橋、梅本橋、菱川橋などの橋梁架け替え工事も行われました。
 事業費延べ47億円余に及ぶ、この大事業は、昭和56年度(1981年度)で終了し、完工記念式典は、昭和57年(1982年)7月に行われました。
 

新川河川改修(昭和56年12月、いわき市撮影)

昭和56年12月の新川 引き続き、昭和57年度からは、3か年事業で河床をさらに1.5メートル掘り下げる工事に取り掛かりました。
 昭和61年(1986)年8月、台風10号に伴う大雨に襲われ、改修前ならば雨量から推して川水が溢れるほどでしたが、この時は堤防が溢水することはありませんでした。河川改修の成果が、大きく証明できた出来事となりました。 昭和時代末期になると、今度は河川環境の悪化が進みました。ふだんは水量が少ないうえに、上流部における林地開発や宅地造成による市街化が進み、生活雑排水が流れ込むようになって、水質汚染が進みました。

 

台風10号水害・新川(昭和61年8月、いわき市撮影)

昭和61年8月の新川 このため、県は昭和62年度(1987年度)から5か年計画で、ヘドロ除去を目的とした河床の浚渫(しゅんせつ)を開始。この事業に合わせて昭和63年度(1988年度)には、平市街地の河川の環境を整えるため、市民が散策したり、川で遊べるような「ふれあいの水辺整備事業」をスタートさせました。
 さらに、市民の間からは、渇水期には時折り異臭が漂うことや、藻や葦に覆われて流れが淀み美観を損ねる、という声が出されたことから、県は平成元年度(1989年度)から、浄化(水質浄化施設の設置)や景観(浮島の設置)に配慮した抜本的な河川改修に取り掛かりました。

 

新川の野焼き(昭和62年1月、いわき市撮影)

昭和62年1月の新川 特に、川幅に関しては、これまでの「拡幅」という発想を大きく転換する考え方に立ち、これまでの23メートルの川幅を6メートルにまで狭め、深さ約0.5メートルに保って流速を速める工事を進めました。
 新川のサクラは最初、「古川」と呼ばれていた時代の昭和17年(1942年)から3年間、県立平工業学校(現平工業高等学校、当時は現市庁舎の位置)の卒業生が卒業記念に植えたものでしたが、河川改修で昭和56年(1981年)に惜しまれながら伐採されてしまいました。
 

 

新川・梅本橋から上流を見る(昭和63年7月、いわき市撮影)

昭和63年7月の新川 この桜並木を復活させようと、県いわき建設事務所が平成3年度(1991年度)から始まった「いこいの河畔事業」の一環として新川右岸(小島町側)約500メートル区間に植栽したのを皮切りに、さまざまな団体が内郷から夏井川合流の間でサクラの植樹をしました。
 新川沿いの自転車・歩行者専用道路は最初に、昭和59年度(1984年度)から昭和61年度(1986年度)までの期間で、1.7キロメートル区間が整備され、その後、平成20年度(2000年度)までに、JR内郷駅から新川沿いに平市街を通り、夏井川河口に至る14.7キロメートルの区間が整備されました。

 

梅本橋から新川上流を見る(平成2年8月、いわき市撮影)

平成2年8月の新川 都市河川でありながら、急峻な湯ノ岳からの水流は時に激しく土砂を運び堆積するという、特異な河川・新川。社会や自然環境などと対立、調和を繰り返しながら、現代に引き継がれてきた新川への眼差しを、多くの人はもっと理解しなければならないでしょう。

 

 

 

 

その他の写真

新川河川改修(平成5年3月、いわき市撮影)

平成5年3月の新川

新川・梅本橋から上流を見る(平成6年4月、いわき市撮影)

平成6年4月の新川

このページに関するお問い合わせ先

総合政策部 広報広聴課

電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

このページを見ている人はこんなページも見ています

    このページに関するアンケート

    このページの情報は役に立ちましたか?