その13 『市章・市歌はこうして決まりました(2)』(平成27年11月11日市公式Facebook投稿)
登録日:2015年11月11日
「市章・市歌は、こうして決まりました(2)」編
「市章・市歌は、こうして決まりました(2)」
前回(その12「市章・市歌は、こうしてきまりました(1)」編)から、いわき市制1周年を記念して制定された、市章と市歌の誕生について振り返っています。今回は、市章が決定するまでの経過についてです。
昭和42年3月1日から始まった市章の募集は、5か月間の募集期間を経て昭和42年7月31日に締め切られました。
昭和42年8月9日、市は早速、市章・市歌制定委員会の第5回会議を開催します。制定委員会は、音楽・美術分野の市内専門家7名、市議会議員4名、市職員3名の14名で構成され、昭和42年2月6日の第1回会議で、委員長に当時の市文化団体連絡協議会長の渡辺久氏、副委員長に福島高専音楽講師の若松紀志子氏が選任されていました。
第5回会議では、市章の審査方法と、渡辺委員長を含む市章審査員6名を決定しました。また、選定後の市章については、補作を行わないこととしました。
2日後の昭和42年8月11日、市章審査会を開催します。締め切り日までに寄せられた市章作品は、なんと1,484点!1都2府37県、ほぼ全国から応募があり、県内からは856点、そのうち市内からは690点と、公募は大成功でした。審査会では、このたくさんの作品を第1次審査で80点に、第2次審査で12点に一気に絞り込みました。
市章審査会の結果を受けて、昭和42年8月21日、第6回会議を開きます。まず、審査結果の12点を話し合いで7点に絞り込みました。その後、委員で投票を行って5点を選出、投票数が多い順に入選順位を決定しました。結果、千葉県船橋市の折原正典さんの作品が、入選1席となり、いわき市の市章に決定しました。折原さんは、第一産業株式会社広告美術部に勤務するプロのデザイナーで、それまでにも市町村章や校章、社章などのデザインで17回の入選歴のあるベテランでした。
市章として決定した折原さんの応募原案には、もともと背景色が使われていました。担当職員が折原さんに問合せたところ、使われているのは「古代紫色(こだいむらさきいろ)」ということ、古代紫は日本の伝統色で、その落ち着いた印象から学校旗などにも採用される色でした。市章は募集要領に「色彩は1色」という規定を設けていたので、折原さんの原案は、古代紫色の背景に市章案が白抜きで配置してあり、それは、そのまま旗にできるデザインでした。市章決定後に作られた市旗は、応募原案に忠実に作られたものです。
また、原案はフリーハンドで描かれていたため、都市計画図などを担当していた技術職員が正式に図案化を行いました。
このたび、当時の作図法を初公開したいと思います!(左の画像、下でPDFをダウンロードできます)
三角定規とコンパスがあれば描くことができますので、ご興味のある方はチャレンジしてみてください。A4横置きの紙に、半径K=30ミリメートルで描き始めるのがオススメです。
市章が決定するまでの経過、いかがだったでしょうか?次回は、市歌が決定するまでを振り返ります。どうぞお楽しみに!
あらためて、市章と市歌の良さを味わいたい方は、下の関連リンクからご覧ください。
(市歌は、伴奏のみのバージョンも視聴することができます。パソコンの前でどうぞ熱唱されてください!)
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