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『窪田町通り』(令和2年3月25日市公式Facebook投稿)

更新日:2020年3月25日

いわきの『今むがし』Vol.136

1-1 窪田町通りと勿来軌道窪田停留所交換場(現三丁目付近)〔明治時代末期〕

1-1 窪田町通りと勿来軌道窪田停留所交換場(現三丁目付近)〔明治時代末期〕

 窪田は、中世に国魂館(くにたまやかた)を中心として発達し、江戸時代からは菊多地方における政治・経済の中心地となりました。
 『山形県・福島県の統計』によると、明治20(1887)年12月の調査では、石城郡の生糸仲買商人が平町に5人、窪田村に12人が登録されており、窪田の繁栄がうかがえます。
 近代化をもたらした日本鉄道磐城線(現常磐線)の勿来駅が明治30(1897)年2月、窪田から4kmほど離れた旧浜街道関田宿近くに開設されたため、駅から離れた窪田は衰退しました。“窪田の住民が敷設を反対したから、鉄道が来なかった”という説がありますが、この説は全国の同様な例とともに、現在は否定されています。
 窪田が経済的に息を吹き返したのは、明治30年代半ば過ぎから窪田市街西方で盛んになった炭鉱開発によるものでした。窪田は消費地として、商業的に発展しました。
明治時代後半になると、鉄道駅と鉄道から離れた市街地を結ぶ鉄道が盛んに敷設されました。明治43(1910)年10月、勿来駅からも、窪田市街を経由して川部村大字小川に至る区間で、沿線の政治家や資産家、炭鉱関係者の出資により敷設されました。まだ自動車のない時代のことでした。(乗合バスや自動車の登場で昭和15(1940)年に廃止)
 お祭りも、商業の発展を反映してにぎわいをみせました。
 「雛市(ひないち)」は旧暦の雛祭りとして、享保14(1729)年3月から始まったとされており、旧暦2月25日に開催されていました。また稲荷神社の例祭も兼ねて行われ、神輿渡御やダルマ市でにぎわいをみせました。毎年10月19日に行われた国魂神社の例祭でも神輿が街を渡御し、大勢の人々が集まりました。
 暮市は旧暦12月25日に開催され、近郷近在から集められた物産が盛んにとりひきされました。
 いずれにしても、窪田市街は江戸時代からの商業地の機能を維持しつつ、炭鉱が繁栄しましたが、昭和20年代まで、現在のように市街が東方に拡大するには至りませんでした。
 

1-2 窪田町通り(現三丁目付近)〔昭和時代初期、市川美代子氏提供〕

2 窪田町通りの商店街は炭鉱景気とともに歩みましたが、昭和30年代から40年代初頭にかけて炭鉱が閉山すると、炭鉱関係者を顧客としていた商店は衰退していきました。その後、窪田は狭い範囲で商圏が形成される街へ変容していきます。
 窪田市街の東方、蛭田川に架かる小塙橋と現在の主要地方道日立-いわき線との交差点までの道路沿いには、見渡す限り水田が広がっていました。
 市街地拡大が東方に進まなかったのは、農業が盛んな地域であったことと、窪田市街周辺の地形が影響していました。窪田市街は、大高や酒井から続く台地の縁上に発達した集落であり、台地下の低地は水田として土地利用されて、低地は宅地として転用しにくかったからです。
 昭和28(1953)年4月、道路沿いに勿来高校、昭和33(1958)年6月に「勿来ガス開発(株)」が設立、次いで電話局が開設され、市街地化が進みました。
 また、昭和36(1961)年に十條製紙(株)(現日本製紙(株))の工場が進出することが決まり、工場予定地内となる田ノ口集落17世帯の移転先として宅地整備されました。さらにマルト窪田店が昭和39(1964)年9月に開店し、住宅地として整備されていきました。
 こうして、かつて水田が一面に広がっていた区域は、沿道がすべて市街化して現在に至ります。
(いわき地域学會 小宅幸一)

 

その他の写真 

1-3 窪田町通り(現三丁目付近)〔昭和25 (1950)年、いわき市撮影〕

1-3 窪田町通り(現三丁目付近)〔昭和25 (1950)年、いわき市撮影〕

 

1-4 窪田町通り(現三丁目付近)〔昭和40年代、舟生写真館撮影〕

1-4 窪田町通り(現三丁目付近)〔昭和40年代、舟生写真館撮影〕

 

1-5 窪田町通り(現三丁目付近)〔昭和54(1979)年10月、いわき市撮影〕

1-5 窪田町通り(現三丁目付近)〔昭和54(1979)年10月、いわき市撮影〕

 

1-6 窪田町通り(現三丁目付近)〔令和2(2020)年1月、おやけこういち氏撮影〕

1-6 窪田町通り(現三丁目付近)〔令和2(2020)年1月、おやけこういち氏撮影〕

 

2-1 窪田町通り(現四丁目付近)〔昭和20年代、柏原康雄氏提供〕

2-1 窪田町通り(現四丁目付近)〔昭和20年代、柏原康雄氏提供〕

 

2-2 窪田町通り(現四丁目付近)〔平成7(1995)年3月、高萩純一氏撮影〕

2-2 窪田町通り(現四丁目付近)〔平成7(1995)年3月、高萩純一氏撮影〕

 

2-3 窪田町通り(現四丁目付近)〔令和2(2020)年1月、おやけこういち氏撮影〕

2-3 窪田町通り(現四丁目付近)〔令和2(2020)年1月、おやけこういち氏撮影〕

 

3 窪田町通りを西に向かって見る・「勿来自動車」の事務所が見える(昭和時代初期)

3 窪田町通りを西に向かって見る・「勿来自動車」の事務所が見える(昭和時代初期)

 

4 窪田町通りの葬列・山喜屋商店前(昭和3年、市川美代子氏提供)

4 窪田町通りの葬列・山喜屋商店前(昭和3年、市川美代子氏提供)

 

5 窪田町通りの葬列・勿来郵便局から(昭和7年11月、北郷宣弘氏提供)

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6 勿来町四沢の通称「ヘビ山」から窪田市街を遠望(昭和25年度勿来町勢要覧)

6 勿来町四沢の通称「ヘビ山」から窪田市街を遠望(昭和25年度勿来町勢要覧)

 

7 窪田町通りの国魂神社例祭神輿渡御(昭和30年頃、佐々木正勝氏提供)

7 窪田町通りの国魂神社例祭神輿渡御(昭和30年頃、佐々木正勝氏提供)

 

8  勿来町四沢の通称「ヘビ山」からみる窪田市街(昭50年代、佐藤信夫氏撮影)

8  勿来町四沢の通称「ヘビ山」からみる窪田市街(昭50年代、佐藤信夫氏撮影)

 

9 勿来町窪田三丁目方向を西側の町通四丁目から見る(昭和62年7月、高萩純一氏撮影)

9 勿来町窪田三丁目方向を西側の町通四丁目から見る(昭和62年7月、高萩純一氏撮影)

 

10 勿来町窪田町通四丁目、白山を東側の町通四丁目クランク東側から見る(昭和62年7月、高萩純一氏撮影)

10 勿来町窪田町通四丁目、白山を東側の町通四丁目クランク東側から見る(昭和62年7月、高萩純一氏撮影)

 

11 勿来町窪田町通四丁目の稲荷神社付近を東側から見る(昭和62年7月、高萩純一氏撮影)

11 勿来町窪田町通四丁目の稲荷神社付近を東側から見る(昭和62年7月、高萩純一氏撮影)

 

12 勿来町窪田町通四丁目を町通四丁目クランク南側から見る(昭和62年7月、高萩純一氏撮影)

12 勿来町窪田町通四丁目を町通四丁目クランク南側から見る(昭和62年7月、高萩純一氏撮影)

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電話番号:0246-22-7503
ファクス番号:0246-22-7469

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