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『川前駅』(平成26年11月26日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14551-8407-4136 更新日:2014年11月26日

【いわきの『今むがし』 Vol.11】

【川前駅を出発する蒸気機関車〔昭和41年10月 堀越庸夫氏 撮影〕】

昭和41年の川前駅

 平(現いわき)と郡山を結ぶ鉄道の計画は、明治時代中ごろに、浜通りで産出する石炭や鮮魚などをいち早く消費地に運ぶ目的で、立案されました。
 東北本線や日本鉄道磐城線(現JR常磐線)が開通すると、次いで、この間をつなぐ鉄道の建設計画が具体化していきました。いくつかの鉄道敷設計画のうち、最も有力だったのは、平と中通りを結ぶ鉄道計画で、大正時代に入ると、郡山と平から順次建設が進められました。大正4年(1915年)3月には郡山- 小野新町(平郡西線)、大正4年(1915)7月には平-小川郷(平郡東線)が、それぞれ開通。次いで小野新町-小川郷の建設に着工。しかし、両駅の間には阿武隈高地が横たわり、急峻な山肌と夏井川が織りなす渓谷を抜けるため、いくつものトンネルや橋梁を築かなければなりませんでした。
 全線が開通したのは、大正6年(1917年)10月のこと。これにより磐越東線と名づけられ、同時に川前駅が開設されました。
 小野新町と小川郷の距離は29キロメートル。この間には夏井、川前の駅が設けられましたが、川前と小川郷の間は16キロメートルと距離が長いため、間に江田信号場が設置されました。それでも高低差が急なため、小川郷駅を出た蒸気機関車が上り勾配で燃料の石炭はもちろん、水の消費も多く、人間でいうならば、ちょうど川前駅で一息つきたいところでした。このため、川前駅には円筒形の大きな給水タンクが設置されるほどでした。
 駅の開設は、川前地区の桶売を中心に広がっている民有林の商品価値を高めることになりました。実はこの民有林は江戸時代には共有林野でした。しかし、明治時代に入り、所有があいまいという理由で官有地に編入されてしまいました。このため、村民が引き戻し運動を展開して、大正元年(1913年)にようやく行政裁判で共有林として認められたものでした。
 木材需要が高まるなか、木々は盛んに伐採されて木炭や木材として駅へ、さらに鉄道を通じて消費地に運ばれました。この結果、村、特に川前駅および周辺に大きな発展をもたらしましたが、この背景には、村民としても山林引き戻しの裁判費用を捻出しなければならないという事情があったのです。

【下桶売字萩-川前駅に敷設されていた森林軌道の初荷〔大正10年頃 赤塚三佐男氏 提供〕】

大正10年頃の森林軌道

 伐採された木材は、山奥から麓までは橇(そり)で、その先は鹿又川に沿う下桶売字荻-川前駅に敷設された人力や馬による軌道のトロッコで、それぞれ運ばれました。山の木々を伐採して運搬するには、莫大な費用がかかることから地元民では対応できず、運搬や製材・製炭を担ったのは、いずれも東京の業者でした。最盛期、木材・木炭関係で稼働していた人は2,000人に達しました。
 駅や駅前も活況を呈するようになりました。駅前には商店が進出。駅は木材や木炭の発送で、福島運輸事務所管内で貨物収入1位になった日もあり、大正11年(1922年)には木炭1万7,042t、木材5,790tを発送しました。
 さらに、大正12年(1923年)9月に発生した関東大震災では、多くの家屋が焼失したため、とてつもない需要が生まれました。川前駅からも木材が送られましたが、送るための貨車が不足して、駅前には大量の木材や木炭が慢性的に滞貨する状況となりました。
 大正13年(1924年)2月の『常磐毎日新聞』には「年額三十万俵を出す川前駅は停滞木炭で山を為し、最近やむを得ず、約四里の山道を越え小川郷迄 (まで)搬出する始末で、運賃は1俵から13銭も取られるので、自然木炭の値も高騰するはやむを得ぬ現象である。殊(こと)に平町の木炭商等は大震災を当て込んでドシドシ買入れた木炭が貨車不廻りのために、そのまま倉庫の中に収めて置くとは気の毒な状態である」と報じられています。
 しかし、活況は長続きしませんでした。大正13年10月の同新聞では「(木材や木炭の)大量生産地である川前方面は平郡線の開通以来、森林乱伐の弊(へい)に陥り、徒(いたず)らに幼樹年木に至る迄(まで)伐採して植林を顧(かえり)みないため、一帯の木炭生産地は最早(もはや)官国有林を除いて全 (まった)くハゲ山となった処(ところ)もある」と報じられています。
 木材資源の枯渇と昭和時代初期の不景気により、川前駅における木材・木炭の取扱量は大きく減少していきました。昭和4年(1929年)には、川前駅から発送された木炭は2,939t、木材は1,848tでした。森林軌道も昭和3年(1928)に廃止となりました。

【川前駅を出発する気動車〔平成26年11月 いわき市撮影〕】

現在の川前駅

 川前駅は、昭和20年(1945年)8月の太平洋戦争後に訪れた混乱期には、薪(まき)の生産によって、一時的な活況をみせました。
 磐越東線としてみても、昭和34年(1959年)には勿来と仙台を結ぶ準急「いわき」が走るなど充実をみせ、昭和30年代後期には、郡山といわきが新産業都市の指定に向けて活動するなか、その間をつなぐ物資の輸送路としても脚光を浴びました。
 しかし、全国の鉄道輸送がそうであるように、自動車の普及や道路の整備によって、川前駅においても、人や物資の輸送は、昭和40年代から減少の一途をたどっていきました。
 人の輸送の面には、マイカーの普及が鉄道利用の減につながりました。準急「いわき」も昭和57年(1982年)に廃止されました。貨物輸送の面では、手続きや集荷などに手間がかかる鉄道輸送を避け、生産地から需要地へ直接運搬できるトラック輸送に切り替えられました。
 鉄道は無煙化を図り、昭和43年(1968年)10月から蒸気機関車に代わって気動車を、さらに貨物輸送にはディーゼル機関車を、それぞれ導入しましたが、自動車輸送には勝てませんでした。
 平均すると3日に1両の割合で貨車を発送するという状況のなか、川前駅の貨物取り扱いは、昭和47年(1972年)9月に廃止されました。次いで旅客利用者の減とともに、駅員の数も減り、平成元年(1989年)3月には無人化されました。
 静かな山間を縫う、“ゆうゆうあぶくまライン”の愛称で呼ばれる磐越東線。高速バス運行の充実で、“時間で旅する”人には縁遠い存在かもしれません。でも渓谷美や山間の何気ない風景が、一幅の絵となって過ぎていく眺めは、“時間感覚”を取り払うことのできる人にとって、この上ないぜいたくな時間かもしれません。

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