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『小川郷駅前(1)』(平成26年10月15日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14551-8399-7975 更新日:2014年10月15日

【いわきの『今むがし』 Vol.8】

【小川郷駅前における自転車専用駐車場のオープンテープカット〔昭和53年(1978年)5月 いわき市撮影〕】

昭和53年の小川郷駅前

 昭和30年代から40年代にかけて、高校の進学率が上がり、また通勤や買い物の範囲が広がるようになると、鉄道利用が増え、駅まで自転車を利用する人も増えていきました。これに伴い、駅前には無造作に置かれた自転車が目立つようになり、美観を損ねるばかりでなく、通行の妨げとなったことから、自転車置場の設置が急務となりました。
 市はこれに対応するため、常磐線と磐越東線の各駅前に自転車専用の駐車場を設置する計画を進め、昭和52年(1977年)度には、泉、草野、湯本、植田、昭和53年(1978年)度には、四ツ倉、小川郷、川前、内郷、久ノ浜、勿来、そして昭和54年(1979年)度には、湯本、平、昭和55年 (1980年)度には赤井、というように、それぞれ用地確保が可能となった駅前から順次設置し、その後も主要駅には複数の専用駐車場を整備していきました。
 写真は、小川郷駅前の南側に設置された自転車専用駐車場におけるオープンテープカットの場面です。関係者が集まった背後には、駅舎が見えます。
 ところで、皆さん、駅舎の背後に巨大な建物が控えているのにお気づきでしょうか。
 これは、粘土を貨車に積み込むための施設なのです。
 平上平窪から四倉町駒込にかけてセメントの原料となる良質な粘土が分布しており、磐城セメント株式会社(後に住友セメント株式会社)がこれに着目して、四倉工場と大越工場で生産するセメントの原料として使うことにしたのです。
 昭和37年(1962年)には、粘土採掘作業所のある平上平窪字大沢から駅までの約3キロメートルの間に架空索道を敷設して、駅に設置された長さ50メートル、高さ 20メートルの巨大な積込場に運び込み、その下に新たに配置された側線上の貨車十数両に一挙に積み込めるシステムとなっていました。
 小川郷駅は開設から昭和20年代まで石炭の取り扱いでにぎわったのですが、今度は粘土の運搬でにぎわいを見せるようになりました。

【小川郷駅と平上平窪・四倉町駒込を結んでいた、粘土輸送のための架空索道〔昭和42年(1967年)10月、いわき市撮影〕】

昭和42年当時の写真

 話は自転車専用駐車場から粘土輸送へ展開しましたが、あまり市民の皆さんにはなじみのない架空索道について、詳しく触れてみましょう。
 索道は「鉄索(てっさく)」とも言いますが、ロープウェイ、ゴンドラ、スキーリフトの総称であり、架空を渡す特徴から、「空中ケーブルカー」と言えばわかりやすいでしょうか。辞書をみると「空中に鋼索(こうさく)(ワイヤーロープ)を張り、それに搬器(はんき)を懸垂(けんすい)して旅客あるいは貨物を載せ、移動させて輸送を行う設備」とあります。
 地形的にみると、深い渓谷を越える、山頂の神社や観光地へ一気に上り下りするなど、いずれの場合も道路を敷設するのが容易でない条件が横たわっており、そこに架空索道が敷設される素地が生まれるようです。
 鉱業の盛んないわき地方においては、いくつかの例が見られました。たとえば山間の八茎鉱山から麓の四倉町玉山まで石灰石や銅などを運ぶ、あるいは田人村(現田人町)の炭鉱から鮫川渓谷を越えて山田村(現山田町)の軽便鉄道中継地まで運ぶ、というように容易に輸送できないような区間に設置されることが一般的で、小川郷駅-粘土山(約3キロメートル)のように田んぼを越えて運ばれることは珍しかったのです。この場合、粘土運搬のための鉄道を敷設することに比べ、買収あるいは借用の面積が少なくて済んだからでした。
 粘土山付近は山あいでしたが、それ以外はほとんどが平地に敷設されており、遠くからも高さ約30メートルの鉄塔とロープとゴンドラの組み合わせによる異様な姿を見ることができました。道路の上空を、田んぼの上空を、川の上空を、鈍い音を響かせながらゆっくり動く姿は、一種の風物詩ともなっていました。
 写真には、その光景が写し出されています。遠方に見えるのは、小川郷駅の粘土積込場で、粘土は駅から鉄道輸送で田村郡(現田村市)の大越工場や四倉工場へ運ばれ、セメント製造の原料となりました。

【小川郷駅前における自転車専用駐車場周辺の今〔平成26年(2014年)9月、いわき市撮影〕】

現在の小川郷駅前

 ピーク時の昭和47年(1972年)には45万tを運び、隆盛を誇っていた粘土採掘でしたが、その後長引くセメント業界の不況に伴って、原料となる粘土採掘量は減少していきました。
 このため、粘土を採掘していた会社は、コスト軽減の一環として貨車輸送からトラック輸送に切り替えることになり、磐越東線小川郷駅の粘土輸送は、昭和60年(1985年)6月に廃止されました。小川郷駅に威容を誇った粘土積込場は、昭和62年(1987年)4月に取り壊されました。
 なお、粘土輸送も大越工場への原料納入の変更に伴って受注が減り、平成2年(1990年)には粘土採掘が中止されました。
 さて、前出の自転車専用駐車場オープンと同じ角度で撮った今の写真です。よく言われることですが、建物が取り壊された後、はてここに何があったのか、とあいまいな気持ちにさせられることがあります。
 しかし、新旧の写真を並べてみると、別な趣きを見せてくれることがよくあります。建物が存在していた写真と比べ、現在の写真では、山の稜線が見えるようになりましたが、どんな感じでしょうか。巨大積込場の存在を知らない世代にとって、新たな感慨を抱くかもしれません。
 現在、跡地は住宅地として生まれ変わりましたが、いずれにしても、小川町の人にとって、巨大な建物と架空索道は忘れられない光景ではないでしょうか。
 振り出しの自転車専用駐車場に戻ります。写真の手前には、今も、通学の生徒を中心に利用されている自転車専用駐車場の様子が写っています。あわただしく自転車を置いて、駅舎に向う生徒たちの姿が見えるようです。

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