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『小名浜支所』(平成26年7月23日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14551-8396-1128 更新日:2014年7月23日

【いわきの『今むがし』 Vol.2】

【磐城市役所(現いわき市小名浜支所)庁舎から見る鹿島街道(昭和30年代、比佐不二夫氏提供)】

昭和30年代の鹿島街道

 平と小名浜を結ぶ道路は鹿島街道と呼ばれ、“九十九(つづれ)折(お)れ”と評されるほどの悪路でした。もっとも、平と小名浜を往来するルートは、湯本経由の大原街道や泉経由の鉄道が機能していたことから、それほど重要視されていなかったのです。
 昭和9年(1934年)6月14日付の『磐城新聞』には、「両町(平-小名浜)間の自動車往来は迂回と凹凸(おうとつ)(が)激しい為、片道約四十分を要する鹿島道路をガタゴトやっているという非現代的なもの」と実情が紹介されています。
 それでも、大正時代末期から自動車が登場したのを背景に、昭和4年(1929年)4月6日付の『磐城時報』では「物資輸送並(ならび)に夏期における海水浴客の連絡運輸の便をはかるため、平町を起点として飯野、鹿島、玉川の各村を貫通して小名浜町に至る幅四間(約7メートル)の自動車専用道路はいよいよ実測も終了し、近く認可申請の手続きを取ることになったが、この専用道路が開通することになれば、平、小名浜間はわづ(ず)か二十分内外の短時間に依(よ)って連絡されることになり」、と期待を込めて報じられています。
 当時は小名浜商港が決定し、船運を利用した道路交通が注目され始めた時代。平と小名浜を結ぶ道路の整備は、随分前から考えられていたことがうかがえます。
 さて、写真は磐城市役所(現小名浜支所)2階のバルコニーから撮影したものです。それまでの道路は曲がりくねって本町通りにつながっていたのですが、新たに市役所前と本町通りの間を直線で結ぶ現在の道路に付け替えられたのです。新道は昭和32年(1957年)に着工し、昭和38年(1963年)に完成しました。
 道路沿線には低い家並が続いており、道路を走るバスも自転車も歩く人も、のんびりした感じで写し出されています。

【磐城市役所(現いわき市小名浜支所)庁舎周辺を空撮(昭和38年〔1963〕、いわき市所蔵)】

昭和38年の小名浜支所周辺

 「町村合併促進法」が昭和28年(1953年)10月に施行されました。各種事業が国から地方へ権限委譲されたのに伴い、これを受け入れるのにふさわしい市町村をつくろうと制度化されたもので、「昭和の大合併」というカタチで、全国で町村合併が進められました。
 小名浜を中心として合併対象となったのは、小名浜町、江名町、泉町、鹿島村、渡辺村の3町2村でした。しかし、その合併は困難を極めました。今でこそ小名浜が港湾を中心に大きく発展しましたが、当時は周辺の町村と比較して圧倒的な優位を持ち得ていませんでした。当時、江名町は遠洋漁業の基地として大きな力を持ち、また泉町は旧泉藩の中心で鉄道駅を持ち、発言権を強めていました。このため、市名は揉めに揉めました。
 このため、市名について、周辺町村は「小名浜市」となることに反対したのです。このため、関係者は将来のいわき地方の大合併を見越し、「磐城市」を提案し、ようやく賛同を得ました。
 では市庁舎は、というと、すでに小名浜町が昭和29年(1954年)1月、後に花畑町となる土地区画整理事業の区域内に新庁舎を建設済みだったのです。それまでの庁舎は明治時代に建設されたもので、移転や改修を施しながら使用しており、市制施行で庁舎が置かれることを想定して移転改築しました。市名について周辺町村が「小名浜市」に賛同しなかったのは、小名浜町がいち早くこの既成事実をつくったことに反発したからなのです。
 新市は「磐城市」として昭和29年4月に発足しましたが、市名変更の論議はその後も続きました。
 写真は昭和38年(1963年)、磐城市役所(現小名浜支所)周辺を空撮したもので、本町通りの西方上空あたりから北東方向を見ています。中央に見えるのが市庁舎(現支所)、中央を縦に通じているのが県道小名浜-平線です。写真右隅には移転前の小名浜第一小学校が見えます。市庁舎の北側には、土地区画整理事業によって新たに設けられた街区が拡がっています。
 今とは違って周囲にはまだ畑や田が多く、市庁舎が郊外の一角を占めていたことがわかります。

【小名浜支所から見る鹿島街道(平成8年〔1996年〕、いわき市撮影)】

平成8年の鹿島街道

 小名浜と平を結ぶ道路の整備は、自動車交通が本格化した昭和時代初期からの大きな課題となっていました。しかし、戦争によって輸入ガソリンが途絶えたことから自動車交通は低迷し、半ば棚上げ状態となったまま、戦後を迎えました。
 戦後、安価なガソリンが輸入されるようになり、また昭和30年頃から国産車も生産されるようになって、課題となっていた県道小名浜-平線(通称・鹿島街道)を整備する機運が高まりました。
 しかし、昭和28年(1953年)から失業対策事業として工事に着手したものの、当初は財源不足と国道未指定などの影響を受け、遅々として進みませんでした。工事が進展したのは、いわき地方における産業発展の重要性が理解されるようになった、昭和30年代半ば過ぎからでした。昭和39年(1964年)4 月に全通、昭和41年(1966年)5月に舗装工事(当時は、道路舗装は別に施工されていたのです)が完了しました。
 これによって、両市街の時間的距離は一気に縮まりました。それまでは40分から50分を要していたのですが、半分の時間で行くことができるようになったのです。沿線には田と畑が広がるばかりで、まさに遮るものがないという感じでした。
 平市街を貫く幅員30メートルの駅前大通り(新川に架かる菱川橋まで)は「平戦災復興事業」として行われましたが、一方、小名浜では北方や西方に市街が拡大する契機となり、道路の東側には農業協同組合や商工会館などが進出。次第に都市街路としての体裁を整えるようになりました。 
 さらに、昭和35年(1950年)度から始まった「小名浜第二土地区画整理事業」(面積89.8ヘクタール、~昭和62年度まで)によって道路西側(写真向かって右側)の延長240メートルが整備対象区域となったことにより道路幅については20メートルが確保され、東北電力、電報電話局などが相次いで進出しました。

【小名浜支所から見る鹿島街道(平成26年〔2014年〕7月、いわき市撮影)】

現在の鹿島街道

 昭和41年(1966年)5月に、舗装2車線で全通した県道小名浜-平線(通称・鹿島街道)は、当初こそ円滑に機能していましたが、わずか数年で交通渋滞を引き起こすようになりました。
 自動車保有が爆発的に増えたこと、沿線に新しい商業施設や住宅団地ができたこと、国道6号常磐バイパスが南から延伸し道路に流れ込んだこと、いわき地方の産業が活発化したことなど、いくつかの要因が考えられますが、なによりも建設とともに始まった高度経済成長がこれらの要因に反映されたことは明らかでした。
 福島県やいわき市は4車線化に取り掛かりましたが、沿線の急激な発展により店舗・事業所・住宅が進出していたことから、用地買収や補償など、道路拡幅には幾多の難関が控えていました。
 それら課題を乗り越えて、平成15年(2003年)度までに平地区起点側を除き、小名浜岡小名までの4車化が完了。平成16年(2004年)度からは、小名浜花畑町から本町通りまでの876メートル区間(花畑工区・事業認可22年度)で幅員27メートルとする拡幅事業に取り組みました。
 この花畑工区については、市が「いわき市の景観を守り育て創造する条例」に基づいて景観形成重点地区に指定、小名浜のシンボルロードとして位置付けています。
 この工区では、一定規模を超える建物を新築する、あるいは屋外広告物を設置する場合など、市と地域の皆さんが協働で、より良い景観を得るための景観形成基準を設けることにより、特徴的で統一感のある沿道景観づくりをめざそうとするもので、市の助言や指導を通じて話し合いながら事業を進め、魅力アップにつなげることとしています。
 現在、平成27年(2015)度末の完成に向けて工事が進められており、まもなく、新たな都市空間が生まれることでしょう。

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総合政策部 ふるさと発信課
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