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根岸官衙遺跡群公式ホームページ

問い合わせ番号:10010-0000-4832 更新日:2016年4月5日

国史跡 根岸官衙遺跡群(くにしせき ねぎしかんがいせきぐん)

根岸官衙遺跡群とは?

根岸官衙遺跡群は、古代の郡役所である「根岸遺跡」と、その関連寺院の「夏井廃寺跡」からなります。平成17年に国史跡に指定されました。

上空から見た根岸官衙遺跡群

根岸遺跡

所在地:いわき市平下大越字根岸、藤間字トウボウジほか
奈良・平安時代の陸奥国磐城郡の郡役所跡です。
役所の政庁と正倉、豪族居宅などが発見されました。

夏井廃寺跡

所在地:いわき市平下大越字石田ほか
根岸遺跡の北側に隣接する古代寺院です。
塔・金堂・講堂の主要な建物跡や、溝・土塁などの区画施設が発見されました。

いわきの誕生

645年に起こった大化改新ののち、地方は国に分けられ、国には評(こおり)が置かれました。そして、それぞれの国や評には役所が作られました。『常陸国風土記』によると、「白雉四年(653)、多珂国造石城直美夜部と石城評造部志許赤という人が申し出て、助川から苦麻村まであった多珂国造の国を多珂評と石城評に分けたと書かれています。この時にいわき市の大部分は石城評となり、根岸遺跡に役所が作られました。
その後、大宝元年(701)に評が郡と表記されるようになり、石城評は石城郡となりました。8世紀半ばごろには、「磐城」の字が使われるようになったようです。

注:「助川」は現在の茨城県日立市助川あたり、「苦麻村」は現在の福島県双葉郡大熊町あたりと考えられています。

発見された遺構と遺物

範囲確認調査で、郡役所の建物、豪族の屋敷、関連する古代寺院跡の建物の跡などが発見されました。

郡庁(ぐんちょう)

正殿の柱の跡

郡の政治を行う中心の場所です。根岸遺跡では、正殿(せいでん)・東脇殿(ひがしわきでん)・西脇殿(にしわきでん)の三つの建物が中心の広場を囲むように建てられていました。
郡庁の建物はどれも掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)で、屋根は板葺きだったようです。郡庁のまわりは板塀で囲まれていて、その大きさは東西が約65メートルでした。

正倉(しょうそう)

正倉の礎石

税として集めた米を納めておく場所です。根岸遺跡では、北群と南群の2ヶ所に分けて正倉群が造られていました。
最初の頃は掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が多く建てられましたが、8世紀後半頃には頑丈な礎石建物(そせきたてもの)に変化します。礎石建物は、さらに掘込地業(ほりこみじぎょう)という基礎工事をしてから建てられていました。
正倉の南の沼地からは米に付けられていた木簡(もっかん)が見つかっています。木簡には、飯野郷・玉造郷などの郷名が書かれていました。

豪族居宅(ごうぞくきょたく)

豪族の屋敷の跡

郡庁の南側の台地の上で、飛鳥時代から平安時代の大きな建物跡が見つかりました。建物は3回建て替えられていて、徐々に大きな屋敷に変化していったことがわかりました。
郡役所を作った豪族の屋敷と考えられています。

夏井廃寺跡(なついはいじあと)

寺院の塔跡

6世紀に大陸から日本に仏教が伝わってから、各地に寺院が建立されるようになります。いわき地方でも、7世紀の終わり頃、根岸遺跡の北側に寺院の建立が始まりました。寺院の正式な名前がわからないので、旧村名をとって「夏井廃寺跡」と呼ばれています。

捨てられた瓦

発掘調査では、溝や土塁などで囲まれた中に塔(とう)・金堂(こんどう)・講堂(こうどう)の建物のあとが見つかりました。これらの建物は基壇(きだん)という土盛りの上に建てられていて、屋根は瓦葺きでした。

幡を立てるための柱

また、儀式に使う幡(はた)を立てるための太い柱も見つかりました。これは全国でもあまり見つかっていないため、貴重な発見となりました。

根岸官衙遺跡群のこれから

保存管理計画書

史跡を適切に保存管理し、活用していくため、平成20年3月に「史跡根岸官衙遺跡群保存管理計画」を作成しました。

いわき市考古資料館での企画展

活用と整備については、史跡を「歴史的・文化的資産」「地域資産」「教育的資産」の三つの視点からとらえ、情報発信、調査研究、啓発活動、地域づくり、生涯学習・学校教育、および教育文化施設との連携などを図っていくこととしています。

注:写真の無断使用・転載を禁止します

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文化スポーツ室 文化振興課
電話番号:0246-22-7544
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