『勿来港(←九面港)』(令和5年4月12日市公式SNS投稿)
登録日:2023年4月12日
いわきの『今むがし』Vol.166
九面港(現勿来港)は、いわき市の最南端に位置し、隣りの平潟港はもう茨城県 〔1.50,000地形図 小名浜(明治41年測図) 国土地理院発行〕
勿来港は弓なりの菊多浦を南に下って、浜が尽きた所に位置する侍(さむらい)岬と、その南の岬・鵜ノ子(うのこ)岬に挟まれた、丘陵地のⅤ字谷が沈んでできた小規模な溺れ谷、という天然の入り江を利用して設けられたもので、市内の南端に位置します。岬を一つ越すと、茨城県です。
現在は勿来港と呼称されていますが、昭和28(1953)年頃まで九面港(ここづらこう)と呼称されていました。
慶応2(1866)年8月に作成された古文書によると、狭い村域の九面村における人口は167人、家数は37戸を数えた小さな漁村でしたが、米や特産物の運ぶ海運として機能を強く持っていました。常時、船が出入りし、積荷は米、海産物、塩、材木などで18棟の蔵が立ち並び繁華で活気の浜である、と紹介されていました。
明治時代に入って、当初遠距離輸送については江戸時代と同様に海上が主でした。当時、いわき地方で九面港、小名浜港、中之作港が船荷の取り扱いをしていました。
九面港における貨物取り引きをみると、木材類、米、藍玉が移出の主要を占めており、鮫川流域で産する藍(あい)、鮫川の筏流(いかだなが)しによる木材の川運を経由して九面港から遠方へ運ばれていました。移入では塩が多く、千葉県・行徳(ぎょうとく)などから大量に陸揚げされ、馬背で中通りに向けて送られました。
しかし、明治30(1897)年2月、日本鐵道(株)磐城線(現JR常磐線)の水戸-平(現いわき)が開通したことにより、九面港における海上貨物輸送は完全に終止符を打ちました。以後、九面港は、沿岸漁業に頼る漁港としての道を探りました。最初はこのような細々とした沿岸漁業でしたが、漁船の大型化に伴って、沿岸から沖合へ漁業区域が広がるなかで漁港の整備が要請されました。
漁港の背後には海食崖が迫り、農業への転換だけで生計を営む環境にはなかったのです。漁業で生計を営む戸数は、漁業の発達とともに大正14(1925) 年度には38戸、昭和9(1934)年度には46戸と、次第に増加していきました。
九面港の本格的な工事は、昭和13(1936)年度からでした。工事内容は、第6号国道(現国道6号)からの取り付け道路、防波堤並びに岸壁荷揚げ場の構築でした。この工事の安全施工と漁業の発展を祈願して、昭和14(1939)年に港を見下ろす高台に祀(まつ)られた八大竜王碑(はちだいりゅうおうひ)前で「魚霊祭(ぎょれいさい)」が執り行われ、これ以降、毎年4月25日に祭りが引き継がれて、現在に至っています。工事は昭和15(1940)年7月に竣工し、これで30t級5艘程度の碇泊が可能となり、漁港としての体裁を整え、発展の基盤となりました。
港湾施設が整備された勿来港 〔1.25,000地形図 小名浜(平成18年更新) 国土地理院発行〕
昭和20(1945)年8月に長きにわたる戦争は終結しましたが、国内の疲弊は著しく、食料不足が深刻な状態でした。このため、漁業振興は必須の課題となり、増産体制が採られます。
九面港は昭和22(1947)年に福島県管理に移行され、昭和25(1950)年から魚揚岸壁や船曳場を築造するため公水面埋め立てが、次いで昭和27(1952)年度からの防波堤や物揚場の築造、漁港原型の構築が、それぞれ進められました。この間、「漁業法」(昭和25年公布。平成14年に「漁港漁場整備法」へ全面改正)に基づき、九面港は昭和26(1951)年には第一種漁港(利用範囲が地元の漁業を主とするもの)に指定されました。
漁港としての体裁を整えた昭和28(1953)年頃、九面港は勿来港と改称されました。
昭和33(1958)年度には護岸工や泊地浚渫(しゅんせつ)、防波堤のかさ上げなどにより漁港としての充実が図られた結果、昭和34(1959)年に第二種漁港(利用範囲が第一種よりも広く、全国的な利用範囲の第三種〈利用範囲が全国的なもの〉に属さないもの)に昇格しました。
当時、勿来漁港所属の漁船は零細ではあるものの30余隻を擁(よう)し、シラス、コウナゴなどを漁獲していました。その後も、平成時代にかけて係留施設、防波堤灯台、魚市場、漁業用倉庫、新設道路などを計画的に整備・拡張し、漁港としての機能を充実させていきました。
さらに漁船の大型化、漁船数の増によって、港が狭隘(きょうあい)となったことから、湾を隔てた東側へ、腕を伸ばすようなカタチで、泊地や物揚場の設置に必要となる新たな埋立地を施工しました。この工事によって、漁港の形態はU字形に近くなりました。これら漁港および付帯の整備によって、昭和60(1985)年には、勿来漁港の登録船数は125隻、利用船数は149隻を数え、漁業区域は沿岸から沖合に拡大しました。
漁は年間を通じて行われます。コウナゴは1、2月から5、6月まで、シラスは潮流の関係で4月から12月頃まで、タイやスズキは5月から12月、このほかヒラメ、カレイ、アイナメと続きます。しかし、漁民の高齢化、安価な輸入魚の普及、食生活の変化など、漁業をめぐる環境は年を追うごとに厳しさを増していきます。
平成23(2011)年3月に発生した東日本大震災では他港と同様に勿来港の港湾施設も被災しましたが、県事業によって平成29(2017)年度には復旧工事が完了しました。原発事故の影響で水揚げは試験操業の状態が続いていましたが、平成27(2015)年にはコウナゴとシラスに限り勿来港魚市場における取り扱いを再開、現在は、令和3(2021)年4月の試験操業解除を経て、本格操業の定着に向けた操業、鮮魚取り扱いの拡大をめざしています。
(いわき地域学會 小宅幸一)
その他の写真
天然の入り江になっていた、整備前の九面漁港 〔大正時代 郵便絵はがき「磐城」〕
九面漁港 〔『昭和25(1950)年度勿来町勢要覧』から転載〕
勿来港の船揚場 〔昭和35(1960)年12月 二片英治氏撮影〕
勿来港の船揚場 〔昭和35(1960)年12月 二片英治氏撮影〕
勿来港 〔平成15(2003)年 いわき未来づくりセンター撮影〕
勿来港 〔平成22(2010)年11月 丹野孝氏撮影〕
東日本太平洋沖地震に起因する大津波で被災した勿来港 〔平成23(2011)年3月 今泉清次氏提供〕
被災した岸壁と魚市場 〔平成25(2013)年4月 いわき市撮影〕
復旧成った岸壁と魚市場 〔平成30(2018)年1月 いわき市撮影〕
九面港(大正時代 郵便はがき)
勿来港(平成22年11月、丹野孝氏撮影)
勿来港に入港する漁船(昭和44年6月、いわき市撮影)
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