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『 渡辺町田部』(令和5年2月9日市公式SNS投稿)

登録日:2023年2月9日

いわきの『今むがし』Vol.162

クランク状の道路角に位置していた元旅籠「角屋」 旧宿場を北方に向かって見る。〔昭和62(1987)年5月 高萩純一氏撮影〕

1 ■写真1-1  クランク状の道路角に位置していた元旅籠「角屋」旧宿場から北方を見る(昭和62年5月、高萩純一氏撮影) 泉城下から西3Km余、江戸時代に浜街道の宿場として新田宿が開設されました。
 初田村と渡部(わたなべ)村との境に新たに設けられたことから新田の名が付された両村の合宿で、月のうち前半は北側に位置する初田(通称・下町)、後半は南側に位置する渡部(通称・上町)が宿屋を勤めていました。宿は他の宿場に比べて小規模で、文政3(1820)年に発生した火事では家屋とともに厩屋18が記録されています。泉城下から湊のある小名浜、さらには中通りとの分岐など交通の要所で、厩屋の数も宿の規模の割には多く保有されていました。角屋、はま屋、まつ屋、久保木屋、井桁(いげた)屋などの屋号を持つ旅籠(はたご=旅館)や木賃(きちん)宿、一膳(いちぜん)めし屋、鍛冶屋などの商家が沿道に軒を並べ、繁昌していたことが伺えます。
 天明6(1786)年、泉崎村の大馬金蔵がお伊勢参りの際、最初に泊まったのが新田宿で、旅籠代は銭200文で、道中他のどこの旅籠代よりも高かった、と『天明六年伊勢参宮道中記』に記しています。一般的に旅籠代は1泊数十文でした。宿場の通りは出入口、さらには宿場の途中で、それぞれ鍵の手のように屈曲しています。具体的には、宿南入口から北へ300m行って右へ90度近くに折れ70m、さらに90度近く左に折れ300m北へ進み、右へ90度近く折れて、宿の北口へ、という状況です。これは有事に際し、敵の侵攻を防げるよう視界を遮るための措置でした。
 明治3(1870)10月、渡部村と初田村が合併して、村名の一字ずつを採って田部村が誕生しました。明治4(1871)年では初田村31戸、渡部村28戸でした。さらに、明治22(1889)年に実施された「明治の大合併」によって、田部村ほか6か村が合併して渡辺村となりました。村役場や小学校などの施設は旧田部村および周辺に置かれました。通運の一大変革となる日本鐵道磐城線(現JR常磐線)は明治30(1897)2月に開通し、泉に駅が置かれたことから、田部は交通体系から取り残されていくようになります。それでも、最寄りの往来は明治時代以降、浜街道が転じてそのまま国道に位置づけられたことから、田部を通るルートはバスやトラックにとって運転手泣かせのクランクでした。
 
20年代後期、国道6は泉町滝尻地内に新設されると、これまでの道路は幹線ルートからも外れていきますが、クルマ社会の到来で、主要地方道常磐-勿来線として位置づけられ、国道のう回ルートとして往来が激しくなっていきます。

新田宿を見聞・「新田宿・まぼろしの浜街道新田坂をゆく」の参加者 元旅籠「角屋」の前。〔平成10 (1998)年11月 いわき市撮影〕

2 ■写真1-2  新田宿・まぼろしの浜街道新田坂をゆく(2)(平成10年11月、いわき市撮影)

 通称・浜街道は明治5(1872)年に陸前浜街道と命名され、道路整備が始まりました。
 初田宿の近くでは、隘路となっていた新田坂の改修が対象となりました。この坂は難所なうえに急で、新田山峠の御茶屋台
(地元有志が茶屋を再現し、平成101998〕年に「まぼろしの浜街道『新田坂』をゆく」を開催し、これを契機に毎年「新田宿・宿場祭り」などを開催)からは遠く海を臨むことができ、泉藩主が泉から離れるとき、江戸から帰るとき、感慨に浸る場所でもありました。
 江戸時代末期に勃発した戊辰戦争には激戦地となりました。
改修は明治10年代に行われ、現在の峠をう回したルートに付け替えられました。
 旧浜街道の田部周辺は昭和50年代に舗装化されましたが、次いで検討されたのは、田部集落内のクランクを避けるバイパスの新設でした。工事は昭和54(1979)年度から開始。ルートは従来の道路の西側に、人家の両端を半円状に結ぶ延長約1.2kmで、昭和61(1986)年秋に開通しました。途中では県道釜戸-小名浜線がクロスしています。
 田部周辺の公共施設も変化していました。中学校制度の発足と同時、昭和22(1947)年4月に開校した渡辺中学校は昭和38(1963)年3月に廃校となり、代わりに渡辺保育所が開設されました。さて、田部集落とクランクの道路。通過する自動車はすべて新しい道路を通過し、時々通る自動車は大半が地元民です。集落は静かなたたずまいを見せ、まるで時間が止まったよう。それでも家々は昭和、平成、令和と静かに、ゆっくりと、時の姿をまとって移ろっていきます。

 (いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

渡辺公民館入口から南方を見る。写真左に見える建物が旧角屋、自動車が見えるのは、釡戸に至る分岐点 (昭和62年5月、高萩純一氏撮影)

渡辺公民館入口から南方を見る。写真左に見える建物が旧角屋、自動車が見えるのは、釡戸に至る分岐点 (昭和62年5月、高萩純一氏撮影)

 釡戸を経て中通りへ通じる分岐点から北方を見る(昭和52年3月、いわき市撮影)

釡戸を経て中通りへ通じる分岐点から北方を見る(昭和52年3月、いわき市撮影)

元旅籠「角屋」の建物は平成10年過ぎに改築(平成3年9月、小宅幸一撮影)

■写真1-3 元旅籠「角屋」の建物は平成10年過ぎに改築(平成3年9月、小宅幸一撮影)

渡辺公民館入口から南方を見る 写真左に見えるのは旧「角屋」があった跡 (令和3年9月 小宅幸一撮影)

■写真2-2 渡辺公民館入口から南方を見る 写真左に見えるのは旧「角屋」があった跡 (令和3年9月 小宅幸一撮影)

中通りに通じる分岐点から北方を見る(令和3年9月 小宅幸一撮影)

中通りに通じる分岐点から北方を見る(令和3年9月 小宅幸一撮影)

新田宿跡と新田坂 〔1.25,000地形図 磐城泉(平成18年更新)〕

■地図2  新田宿跡と新田坂 〔1.25,000地形図 磐城泉(平成18年更新)〕

旧宿場の面影を残す渡辺町田部の「角屋」(平成10年4月、いわき民報社撮影)

旧宿場の面影を残す渡辺町田部の「角屋」(平成10年4月、いわき民報社撮影)

新田坂の峠の茶屋・まぼろしの浜街道新田坂をゆく(平成10年11月、いわき市撮影)

 新田坂の峠の茶屋・まぼろしの浜街道新田坂をゆく(平成10年11月、いわき市撮影)

渡部診療所を改造して開設された渡辺公民館(昭和60年3月、いわき市撮影)

11 幼児・児童用プール脇の市道中町境-山神北線の側溝新設工事施行中・東方を見る(昭和41年、小名浜公民館提供)

渡辺町(田部・初田)古地図(平成17年2月、いわきジャーナル撮影)

渡辺町(田部・初田)古地図(平成17年2月、いわきジャーナル撮影)

渡辺町の新田坂入口・ふるさとの宝物見物ツアー(平成13年、いわき市撮影)

渡辺町の新田坂入口・ふるさとの宝物見物ツアー(平成13年、いわき市撮影)

渡辺町田部字渡部を角屋から南方に向かって見る(昭和52年3月、いわき市撮影)

渡辺町田部字渡部を角屋から南方に向かって見る(昭和52年3月、いわき市撮影)

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電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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