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『久之浜海岸』(令和2年10月29日市公式SNS投稿)

登録日:2020年10月29日

いわきの『今むがし』Vol.143

高潮による久之浜海岸の防潮堤決壊〔昭和32(1956)年、長谷川達雄氏撮影〕

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 久之浜海岸は、長きにわたり高潮被害に苦しめられていたため、防潮堤改修建設に際しては、試行錯誤が繰りかえされてきました。
 記録によれば、久之浜海岸の高潮対策が本格化されたのは、明治28(1895)年10月の暴風雨に伴い砂が収奪され、翌年2月の高潮は東町や中町で家屋約20戸が流失したためでした。県は2か年で、被災海岸部を中心に仙台石を布石しました。
 以来、明治38(1905)年3月の東町付近における高潮被害、昭和9(1934)年1月から3か月続いた高潮被害と砂浜流失の被害のたびに防潮堤を築きましたが、打ち破られ、苦悩は続きました。
 これまでにない災害に見舞われたのは、昭和32(1957)年3月の高潮で、「災害救助法」が適用される事態となりました。高潮は3月8日から次々に押し寄せ、16日には字南町、中町、東町の防潮堤が決壊、昭和19(1944)年に築造された防潮堤にもいたるところに亀裂が入りました。高潮が収まった19日までの間、復旧に当たった消防団員や自衛隊員、婦人会などは約延べ1万4,000人に及び、罹災者666人、建物被害39棟、浸水家屋92戸に上りました。
 この後、復旧工事がなされましたが、昭和40(1965)年3月の高潮で字中浜、南町地内の防潮堤が決壊したため、翌年に高さ6.2m(20cmかさ上げ)の防潮堤に改修され、海岸前面には波消しブロックが施されました。
 久之浜町の防潮堤近くに住む方は、昭和40年11月22日付『福島民報』で「私の家なんど、1年に2回ぐらいは波をかぶってきた。ひどいときなどは“波が来たぞー”というので、屋根にのぼったところ、胸まで水が来た。堤防があるとはいえ、年々ひどくなるし、将来はここにいらんねぐなると、みんな覚悟してんでねぇべが。むかしは砂浜があっていいところだった」と語っています。高波、高潮と砂の移動で、年々海岸線が後退、明治時代から100m以上も海岸が浸食されているといいます。
 また、同新聞は、「国、県の手で急ピッチに再建が進められているが、(中略)問題は砂の移動。高潮のたびに砂が持ち去られ、堤防の下がえぐられる。これではいくら補修をしてもいつかは倒されてしまう。県河川課でも恒久策を考えなければと専門家に調査を依頼しているが、さっぱり原因がつかめず恒久策も立てようがないという」と、解決の難しさを報じています。
昭和47(1972)年8月にいわき地方を襲った台風13号でも、久之浜町田之網地内の波立海岸に接する国道6号の数か所が崩壊。応急工事で対応しましたが、建設省と県は海岸保全の抜本解決を図るため、海岸に沿って水深3m前後の地点にコンクリートブロックを積み上げて50mの間隔を置くという離岸堤建設を行いました。1基の波消しブロック(三本足や三角形など)の大きさは高さ3.5~4mで、重さ12~16t。これを沖に並べて組み合わせ延長100m(海面上1.5~2m)の離岸堤(この場合、離岸堤式ヘッドランド工法)を築造する。1基に付き必要なブロックは750個で、1個を築造するのに1年を要する大工事でした。
 沖から押し寄せる波が離岸堤で阻止され、離岸堤と離岸堤の間から入って来た波が、引き返す時には、運んで来た砂を置いていくという仕組みでした。
 計画施工区間は波立海岸から大久川河口までの延長2.3km。皮切りとして昭和50(1975)年度、波立海岸沖に1基目がまだ建設中であったにもかかわらず、波立海岸の砂浜が30mから60mに広がり、計画推進に弾みがつきましたが、施工されていない区域で砂浜が減少する報告もされています。
 市街地前に位置していた海水浴場(現在は廃止)の久之浜海岸では、景観に配慮しながら海岸浸食を防ぐ工法が検討され、離岸堤に加えて平成2(1990)年度から平成5(1993)年度にかけて緩傾斜堤が施工されました。
 東日本大地震では、この緩傾斜堤の存在が大津波を呼び込んだという指摘とともに建設そのものについて問題提起されました。しかし、建設時このような大津波の来襲は想定外であり、海岸浸食や景観が重視されていた時期の施工でした。

防潮堤を再建し、手前に波消しブロックを設置〔昭和42(1967)年1月、いわき市撮影〕

2 平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災の大津波は、久之浜町久之浜字町後で5.92mを記録し、海岸部に接した久之浜市街にも大きな被害をもたらしました。
 県は防潮機能を復旧させるとともに防災性の向上を図るため、堤防の強化とかさ上げを主体とする整備を行いました。
 このうち堤防の高さは、1,000年に1度の最大クラスの津波は住民避難を柱とした総合的津波対策のなかで対応することとし、今回の防潮堤築造では数十年から百数十年の頻度で発生している津波水位を対象として設定することとしました。
 具体的には、防潮堤の高さを従来の高さから1~2.5m(地震で沈下した50cm前後分を含め)かさ上げし、T.P(東京湾平均海面のことで、全国の標高の基準となる海水面の高さ)+7.2m(久之浜地区の一部はT.P+8.7m)の高さにするとともに、従来のものよりも厚みを持たせるほか、法面の補強や基礎を深くすることにより、引き波にも耐え得る「粘り強い」構造を施して、堤防強化を図りました。
 市内海岸の建設着工に際しては、平成24(2012)年11月に久之浜海岸で起工式が行われ、このうち久之浜海岸2,139mは平成29(2017)年度に防潮堤かさ上げが完成し、背後には防災緑地が配置されました。


(いわき地域学會 小宅幸一)

 

その他の写真

台風高潮による被害〔昭和47(1972)年10月、いわき市撮影〕

3 台風高潮による被害〔昭和47(1972)年10月、いわき市撮影〕

 

階段状防潮堤の建設〔平成3(1991)年2月、いわき市撮影〕

4 階段状防潮堤の建設〔平成3(1991)年2月、いわき市撮影〕

 

久之浜海岸を襲った東日本大震災に伴う大津波〔平成23(2011)年3月31日、丹野稔氏撮影〕

5 久之浜海岸を襲った東日本大震災に伴う大津波〔平成23(2011)年3月31日、丹野稔氏撮影〕

 

防潮堤かさ上げ工事を前に「ふるさと再発見歩こう会」〔平成25(2013)年5月、いわき市撮影〕

6 防潮堤かさ上げ工事を前に「ふるさと再発見歩こう会」〔平成25(2013)年5月、いわき市撮影〕

 

防潮堤かさ上げ工事〔平成25 (2013)年8月、佐藤貴行氏撮影〕

7 防潮堤かさ上げ工事〔平成25 (2013)年8月、佐藤貴行氏撮影〕

 

防潮堤かさ上げ工事が完了。背後に防災緑地〔平成28(2016)年3月、いわき市撮影〕

8 防潮堤かさ上げ工事が完了。背後に防災緑地〔平成28(2016)年3月、いわき市撮影〕

 

防災緑地が完成〔平成31(2019)年7月、医療創生大学震災アーカイブ室撮影〕

9 防災緑地が完成〔平成31(2019)年7月、医療創生大学震災アーカイブ室撮影〕

 

高潮で久之浜海岸の護岸が崩壊(昭和32年3月16日)

10 高潮で久之浜海岸の護岸が崩壊(昭和32年3月16日)

 

高潮に襲われた久之浜海岸と復旧作業を北方に向かって見る(昭和32年、志賀親氏撮影)

11 高潮に襲われた久之浜海岸と復旧作業を北方に向かって見る(昭和32年、志賀親氏撮影)

 

高潮でえぐられた久之浜海岸の防潮堤と自衛隊応援・遠方に見えるのは波立海岸(昭和32年、志賀親氏撮影)

12 高潮でえぐられた久之浜海岸の防潮堤と自衛隊応援・遠方に見えるのは波立海岸(昭和32年、志賀親氏撮影)

 

高潮被害に襲われた久之浜市街の復旧で自衛隊が応援(昭和32年、志賀親氏撮影)

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久之浜海岸・大久川方面を見る(平成3年2月、いわき市撮影)

14 久之浜海岸・大久川方面を見る(平成3年2月、いわき市撮影)

 

いわき管内海岸復旧事業の合同安全祈願祭と海岸堤防の起工式・かさ上げの7.2mが表示された久之浜海岸(2012年11月、いわき市撮影)

15 いわき管内海岸復旧事業の合同安全祈願祭と海岸堤防の起工式・かさ上げの7.2mが表示された久之浜海岸(2012年11月、いわき市撮影)

 

久之浜防災緑地植樹祭の集合写真(2015年4月、いわき市撮影)

16 久之浜防災緑地植樹祭の集合写真(2015年4月、いわき市撮影)

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