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『品川白煉瓦湯本工場』(平成29年11月15日市公式Facebook投稿)

更新日:2017年11月15日

いわきの『今むがし』Vol.82

工事中の品川白煉瓦湯本支工場-当時、湯本駅前は街外れであったため、広大な敷地確保は容易だった-〔明治38(1905)年〕

20171115-1 明治30(1897)年2月、水戸と平(現いわき)を結ぶ日本鉄道磐城線(現JR常磐線)が開通しました。常磐炭田で採掘される石炭を、安定かつ迅速(じんそく)に東京市場に積み出すことが目的でした。
 湯本駅は、鉄道開通と同時に既成市街の南方に設けられました。開設当時は駅周辺に人家はありませんでした。隣駅である泉や綴(現内郷)の距離をできるだけ均等にするため、さらには、石炭貨車を駅に留置するための側線を敷く用地が必要だったからです。
 駅前の空地に進出したのが、品川白煉瓦(しながわしろれんが)(株)湯本支工場(→湯本工場)でした。日清戦争(明治27-28〔1894-95〕年)以降、冶金(やきん)・化学工業を中心として発達がめざましく、建築用の「赤煉瓦」とは別に、製造過程で必要な高温部の耐火煉瓦、いわゆる「白煉瓦」の需要が高まっていたからです。
 いわき地方では、赤井村から内郷村にかけて粘土層と石炭層が併存していることから、品川白煉瓦(株)は石炭および粘土の採掘とこれを精製する煉瓦工場として、製品を海上輸送するため、小名浜字元分(もとわけ)の元磐城硝子(がらす)会社小名浜工場跡地に明治28(1895)年に操業を開始しました。
 しかし、湯本駅が開設されたため、海上輸送による危険性を避け、かつ安定的に製品輸送できる陸上交通のできる鉄道輸送に切り替え、明治39(1906)年に小名浜工場を閉鎖、大正5(1916)年6月に廃止としました。
 この間の明治39(1906)年5月、品川白煉瓦(株)は鉄道輸送に便の良い湯本駅前に、工場を完成させたのです。
 赤井村や田人村には品川白煉瓦(株)が直接経営する炭鉱も保有しており、燃料調達には便利でもありました。加えて、湯本村当局や関係者が敷地買収に支援したこと、当時工場進出地は街外れにあって敷地買収が容易なうえに駅に隣接して鉄道輸送に便利だったことが、進出の要因として挙げられました。
 

工場から商店街へ変貌して半世紀〔平成29(2017)年11月、いわき市撮影〕

20171115-02 一般的に昭和30年代までは、原料調達地と生産工場はいわき地方のように接近しているのが利点となっていましたが、これ以降、燃料は安価な石油へ、原料は安価な合成原料や輸入原料へ、それぞれ転換されて、交通体系は港湾整備が重要な要件となりました。
 同時期、湯本町側にとっては、駅前改造が重要な課題となっていきます。具体的には、天王崎通り(現主要地方道常磐‐勿来線)を拡幅するため、品川白煉瓦(株)湯本工場の一部が道路敷地にかかるようになりました。常磐市は、昭和29(1954)年秋には都市計画法に基づく「湯本駅前土地区画整理事業」に取り掛かり、通称・黄金(こがね)町の市有地を移転候補として工場側と折衝して敷地の一部を取得し、全体計画は昭和36(1961)年12月に完成しました。
 しかし、駅前整備が完了した後、今度は湯本駅と温泉地を有機的に結ぶため、工場そのものの移転問題がクローズアップしていきました。
 品川白煉瓦(株)にとって地元依存の要件は薄れ、一方施設の老朽化も進んでいましたが、交通の利便性などの理由により地元に残り、昭和44(1969)年4月に湯本工場を常磐岩ケ岡町岩崎の岩ケ岡工業団地へ移転させて、現在に至っています。
 空地となった跡地(2万8,100㎡)は整地され、道路等が整備されたうえ、123区画(2万1,100㎡)が分譲されました。その中央の道路は「一番町通り」と名づけられ、以後、昭和時代から平成時代初期にかけて、湯本市街の中心として、警察署派出所、銀行、大型スーパー、喫茶店などの商業施設が立ち並び、にぎわいが創出されました。
 しかし、全国の中心市街地が空洞化するように、一番町商店街も大型スーパーの撤退や喫茶店の閉店などが相次ぐなど、商業機能の郊外化に坑ずることができず、厳しい環境に迫られており、新たな打開策が求められています。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

向山公園より湯本を望む(大正時代、郵便絵はがき、佐々木商店)

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品川白煉瓦湯本支工場付近。上部が常磐線(明治時代、ホテル斎菊所蔵)

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品川白煉瓦湯本支工場を常磐線側から見る(明治44年頃、郵便絵はがき、清光堂支店)

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湯本駅、品川白煉瓦工場、常磐炭鉱台ノ山、八仙炭鉱住宅を台ノ山の高みから見る(昭和30年代初め、野木茂氏撮影)

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八仙立体橋建設を東側から見る(昭和40年、いわき市所蔵)

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八仙立体橋建設を台山の高みから見る(昭和41年、いわき市所蔵)

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湯本市街、八仙立体橋を台ノ山から見る(昭和42年)

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湯本市街と品川白煉瓦工場跡の街区造成(昭和44年、角田信孝氏提供)

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品川白煉瓦湯本支工場の名物煙突解体を国道6号から見る(昭和44年2月、いわき市撮影)

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品川白煉瓦工場跡の街画造成工事(昭和44年9月、いわき市撮影)

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湯本一番町商店会(平成10年12月、いわき市撮影)

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電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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