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『常磐立体橋と湯本跨線橋』(平成29年3月15日市公式Facebook投稿)

登録日:2017年3月15日

いわきの『今むがし』Vol.66

写真1-1 八仙踏切を通る常磐線の蒸気機関車〔昭和20年代 秋山五郎氏提供〕
写真1-2 閉鎖された八仙踏切と常磐立体橋〔平成8 (1983)年頃 菅波晋氏撮影〕
写真1-3 解体が進む常磐立体橋。奥の橋梁が湯本跨線橋〔平成29(2017)年3月 いわき市撮影〕

組写真1 踏切は、鉄道と道路の通行を調整させるために生まれたものです。現在は踏切では列車優先であり、列車が来れば遮断機が下り、あるいは警報機が鳴り、また無人踏切でも車も人も踏切の前で停止しなければなりません。
 このルールを無視して踏切を横断すれば、車も歩行者も大きな事故に遭う可能性が高くなります。公共性の高い鉄道運行を守るためにも、列車優先の原則は厳守となります。この法則は明治20(1887)年までに確立されました。
 昭和時代初期から道路交通の主役は自動車となり、これに伴って、交通事故が増え、しかもスピードが出ることから死傷者も増えていきました。踏切では列車と自動車の事故が目立つようになっていきます。常磐線の石畑踏切では昭和5(1930)年3月、列車と自動車の衝突事故が発生し、死者2人、重傷者3人を出しました。踏切番が遮断機を降ろしたにもかかわらずの惨事となったのです。
 その後、昭和6(1931)年には、常磐線平駅付近の古鍛治町に初めて自動警報機が設置され、次第に設置個所数を増やしていきますが、交通量の激しい場所では、踏切番人を設置していても事故が発生するようでした。
 湯本駅周辺にも北側に八仙踏切、南側には石畑踏切があり、それぞれ湯本市街と国道6号を結ぶもので、石炭貨車の入れ替えが激しいことから、踏切が開いている時間が限られ、渋滞が常態化して、“開かずの踏切”と呼ばれ、不評をかっていました。
 昭和30年代に入り、交通量が激増したことから昭和33(1958)年から駅周辺の立体化が検討されましたが、いずれの踏切も踏切近くに湯本川や丘陵地が控えており、立体化の可否やその手法をめぐって難航視されました。
 これを後押ししたのが、昭和36(1961)年11月に公布・施行された「踏切道改良促進法」でした。昭和36年における全国の踏切事故は約5,500件。交通事故全体からみれば数こそ少ないものの、昭和29(1954)年の事故発生件数約3,800件に比べ増加傾向を示し、しかも大規模事故になる可能性があったことから、踏切の交通量などに応じて、踏切の立体交差化、踏切保安設備の整備・踏切部分の拡幅・踏切信号機や踏切道予告標の設置などの構造改良を実施することにより交通の円滑化を図ろうというものでした。
 湯本駅周辺では、検討の結果、昭和35(1960)年から八仙踏切の陸橋化が進められ、常磐市や市議会都市計画特別委員会が中心となって事業主体である県と協議して計画を立てました。
 しかし、この踏切に接する黄金町、横町、桜本町の商店街が「常磐市立体交差橋建設場所移転促進期成同盟会」を発足させ、県議会に対して、異論を唱える「立体交差橋建設場所変更の件」の請願書を提出します。“立体交差橋の建設によって、踏切の反対側にある台ノ山や八仙に住む炭鉱住宅の消費者が直接表町(おもてまち)の商店街に流れてしまうので、場所を変更してほしい”というものでした。県議会は昭和36年9月開会の定例会でこれを否決。同年11月に3か年事業として着工しました。
 昭和37(1962)年時の八仙踏切横断は5,952人、自動車が3,509台で、近くの上町踏切と石畑踏切ともに同様の状態で、いずれかの立体化は必至の状況になっていたのです。
 工事は八仙側から始められたものの、湯本市街側では反対運動が継続していて、事態は膠着状態になりかけたとき、品川白煉瓦工場が公害の懸念と立体交差の土地譲渡のため、工場移転(西郷地区への移転)が可能となりました。県・市は昭和39(1964)年4月、市街地の降り口を南側にずらす変更案を関係者に示し、同年8月、受け入れられたことから、以降、移転家屋の敷地手当などに手間取りながらも、解決をみて、工事は順調に進みました。
 こうして、常磐立体交差橋(国道取り付け道路480m、鉄道交差・市街地県道220m、幅員12m、両側1.5m歩道)は、予定から2年遅れの昭和40(1965)年11月に開通。その後、市街地内における県道などの取り付け道路の整備などが行われました。

写真2-1 工事中の常磐立体橋から見る湯本市街〔昭和40(1965)年 常磐市撮影〕
写真2-2 常磐立体橋から見る湯本市街〔昭和61(1986)年 いわき市撮影〕
写真2-3  湯本跨線橋から見る湯本市街。右側が解体中の常磐立体橋〔平成29(2017)年3月  いわき市撮影〕

組写真2 完成から半世紀、常磐立体橋は、道路交通化の円滑に寄与してきましたが、丘陵地が控えていたことから、国道6号側とT型で接続するという、不便さがありました。
 この間、湯本市街地東域においては、21世紀の森公園のいわきグリーンフィールドやいわきグリーンスタジアム、いわきゆったり館、国道49号バイパスの建設などが進ちょくし、これら施設や道路との円滑なアクセスが求められるようになりました。
 このため、県は平成18(2006)年度から、これまでの「常磐立体橋」南隣の位置に鉄道だけでなく、国道6号と立体交差化し、直線で丘陵地トンネルを穿(うが)つ都市計画道路「三函-台山線」(湯本跨線橋を含む総延長511m。主要地方道いわき-石川線)の整備に着手。平成28(2016)年7月に延長126mの「湯本跨線橋」が開通しました。
 開通式にはテープカットやくす玉割りが行われ、湯本第一小学校の鼓笛隊が軽快な演奏を披露するなか、関係者や地域住民などが渡り初(ぞ)めで新しい橋の感触や橋からの眺めを楽しみました。
 現在は、引き続き旧立体橋の取り壊しや新しい立体橋の周辺整備が進ちょく中です。
 かつて“開かずの踏切”と呼ばれていた「八仙踏切」。踏切から立体橋に変わり、さらに道路整備で新たな立体橋となって、利便性が向上するなか、踏切に接続して湯本川に架かっていた八仙橋は、平成時代初期まで残っていましたが、河川改修によって取り払われ、踏切道路をしのぶ手がかりは消えてしまいました。

参考地図

10 参考地図 

その他の写真

3 国道6号に架けられる八仙橋の工事を国道北側から見る(昭和38年2月、渡辺清一氏提供)

3 国道6号に架けられる八仙橋の工事を国道北側から見る(昭和38年2月、渡辺清一氏提供) 

4 国道6号、湯本川、常磐線を北側の八仙橋上から見る(昭和39年、いわき市所蔵)

4 国道6号、湯本川、常磐線を北側の八仙橋上から見る(昭和39年、いわき市所蔵) 

5 湯本川に架かる八仙橋と常磐線踏切を東側の八仙立体橋から見る(昭和39年、いわき市所蔵)

5 湯本川に架かる八仙橋と常磐線踏切を東側の八仙立体橋から見る(昭和39年、いわき市所蔵) 

6 湯本町八仙跨線橋を湯本市街側から見る(昭和40年、いわき市所蔵)

6 湯本町八仙跨線橋を湯本市街側から見る(昭和40年、いわき市所蔵) 

7 常磐線八仙踏切の廃止を東側の八仙立体橋から見る(昭和41年1月、いわき市所蔵)

7 常磐線八仙踏切の廃止を東側の八仙立体橋から見る(昭和41年1月、いわき市所蔵) 

8 常磐立体橋と国道6号を北側から見る(平成8年3月、いわき市撮影)

8 常磐立体橋と国道6号を北側から見る(平成8年3月、いわき市撮影) 

9 常磐線と湯本川に架かる橋台(平成16年、菅波晋氏撮影)

9 常磐線と湯本川に架かる橋台(平成16年、菅波晋氏撮影) 

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電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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