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『後宿公園』(平成28年9月14日市公式Facebook投稿)

登録日:2016年9月14日

いわきの『今むがし』 Vol.55

写真上:鮫川旧河川に残った「おい坪」〔昭和33(1958)年2月 おやけこういち氏提供〕 写真中:おい坪は埋め立てられて、公園へ〔昭和37(1962)年頃 『植田第一地区土地区画整理事業報告書』から引用〕写真下:「おい坪」は埋め立てられ、その後土地区画整理事業によって公園へ〔昭和46(1964)年9月 『植田第一地区土地区画整理事業報告書』から引用〕

1-1 旧河川跡・大井壺(昭和33年2月)

1-2 おい坪を埋め立て、児童公園へ(昭和37年頃)

1-3 後宿公園と遊具(昭和46年9月、いわき市撮影)

 市南部を流れる鮫川は、太古から乱れ川となって菊多平野を伝って太平洋へ注ぎ、途中にはいくつもの屈曲をみせていました。
 植田市街の東方では大きく北方へ屈曲していて、大雨によって水害が起きることがたびたびありました。明治時代以降、少しずつ河川改良は行われましたが、昭和16(1941)年7月の台風では、死者を出し、家屋、田畑など被害は大きく、かつ広範囲に及びました。
 このため、鮫川治水が本格的に検討され、昭和25(1950)年から高さ20mの鮫川築堤と河川の直線化が施工されました。工事は昭和31(1956)年度に完成。これで植田市街は、水害の危険にさらされることがなくなりました。
 堤防の外側となった市街東側に広がる畑地も水害の危険性がなくなったことから、既成市街の一部を含んだ区域の市街地整備に向け、勿来市は昭和34(1959)年4月には、「植田第一土地区画整理事業」の事業認可を得ました。事業は昭和40(1965)年7月に完成。規則的な街路と約750戸の住宅が新たに生まれました。
 この事業が施工される以前、市街(本町)と畑地(当時は錦町大字大倉、現在は植田町南町、本町の一部)を分けていたのは、かつての鮫川の名残、古川と呼ばれた小河川でした。この河川は「おい坪」(大井坪、大江坪、い坪とも呼称)と呼ばれる沼に流れ込んでいました。
 沼は鮫川漁業協同組合が内水面使用権を設定したほどで、魚種が豊富でした。昭和28(1953)年10月27日付の『いわき民報』は、「鮫川漁業協同組合経営の植田町後宿の池(おいつぼ)には、無数の鯉、フナなどが養殖されているので、日々釣り人が絶えない。25日の日曜日は快晴に恵まれ、日本水素の一団と豊間翠ケ丘病院の職員一団がおいつぼの周囲に陣を取っての太公望の情景はまさに対抗釣大会のようだった」と報じています。
 また、沼は古川(後の排水路)を通じて渋川の上げ潮、引き潮の影響を受け、沼には河口付近に住む魚も見られ、「バッ貝」と呼ばれた15~20cmの大きな貝も生息していました。春にはシダレ柳、夏には菖蒲の花が咲き、釣り人でにぎわいました。
 昭和30年頃になると、生活排水が流れ込み、ごみが捨てられ、これまでの機能を果たせなくなります。土地区画整理事業の進ちょくと合わせて、埋め立てして遊園地あるいは駐車場、または防火用釣り場として再開発、というようにさまざまな論議がわき上がるなか、個人に払い下げられ、昭和33(1958)年6月に埋め立てられました。
 その後、勿来市が埋立地の公有化を進め、跡地利用として最終的に児童遊園地型の公園建設を決定。昭和40(1965)年10月にブランコやジャングルジムなどを備えた植田第一児童公園(後の後宿公園)が完成しました。また、周辺には市民からの寄付によってソテツやイブキ、シダレヤナギなどが植樹されました。

後宿公園の市こども元気センターと整備された遊具〔平成28(2016)年9月 いわき市撮影〕

2 後宿公園と市こども元気センター(平成28年9月 いわき市撮影) その後、市は児童公園内に植田児童館を建設する方針を決めました。
 植田児童館のような児童館が建設された背景には、相次ぐ炭鉱閉山により、両親などの労働が必要となり、これら家庭の、いわば後方支援が必要とされたこと、また都市部では女性の社会進出により、放課後における児童の一時預かり(いわゆる「かぎっ子対策」)が求められたことにありました。
 当初は学校がその役割を担いましたが、対応できるのは、一部の学校だけでした。このため、国が昭和38(1963)年に、学校以外の場所において集団で子どもたちの健全な育成を図ることのできる拠点づくりを制度化しました。これを受けて、いわき市は昭和47(1972)年4月、後宿公園内の北西側に社会福祉施設・植田児童館を設置したのです。
 さらに、同年7月には館の南側にプールがオープンしました。
 なお、この制度はその後、学童保育や放課後児童クラブへ受け継がれていきました。
 公園内の東側、円形に見えるカラフルな構築物は、平成12(2000)年に完成した公共下水道植田中継ポンプ場です。建物と接続する植田圧送管は、鮫川を隔てて錦町の南部浄化センターまで結ばれており、このうち鮫川横断区間の延長約450mは、下水道施設としては当時全国でも珍しい、深さ10~17mで鮫川を潜る川底のトンネルとなっています。
 平成23(2011)年3月に発生した「東日本大震災」では、植田児童館は存続できないほどの被害を受けました。建物が除却された後、平成28(2016)年3月に建設されたのが、子育ての支援拠点となる「こども元気センター」です。併せて、公園内の屋外運動施設や公園内遊具の整備が行われ、ふたたび子どもたちの元気な歓声が戻ってきました。

概要地図

周辺地図

その他の写真

3 おい坪のかたわらに立つ植田公民館 (昭和30年代初期、おやけこういち所蔵)

3 おい坪のかたわらに立つ植田公民館 (昭和30年代初期、おやけこういち所蔵) 

4 おい坪で魚釣り。周囲は見渡す限りの畑地(現在の植田町南町)(昭和31年2月、浅野和男氏撮影)

4 おい坪で魚釣り。周囲は見渡す限りの畑地(現在の植田町南町)(昭和31年2月、浅野和男氏撮影) 

5 植田児童館のプール建設を南側から見る(昭和46年6月、いわき市撮影)

5 植田児童館のプール建設を南側から見る(昭和46年6月、いわき市撮影) 

6 植田児童館とプールを南側から見る(昭和49年5月、いわき市撮影)

6 植田児童館とプールを南側から見る(昭和49年5月、いわき市撮影) 

7 公園側から見る、植田公民館(改築前)(昭和49年11月、いわき市撮影)

7 公園側から見る、植田公民館(改築前)(昭和49年11月、いわき市撮影) 

8 改築中の植田公民館(昭和52年11月、いわき市撮影)

8 改築中の植田公民館(昭和52年11月、いわき市撮影) 

9 植田児童館のプールを東側から見る・遠方に植田公民館(昭和56年8月、いわき市撮影)

9 植田児童館のプールを東側から見る・遠方に植田公民館(昭和56年8月、いわき市撮影)

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電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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