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『田人第二小学校と同南大平分校』(平成28年8月17日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14713-2602-8513 更新日:2016年8月17日

いわきの『今むがし』 Vol.53

写真1-1(上) 田人尋常高等小学校入旅人分校 〔昭和10(1935)年頃 板津音吉氏撮影〕
写真1-2(中) 田人第二小学校 〔平成3(1991)年 いわき市撮影〕
写真1-3(下) 田人第二小学校南大平分校 〔平成7(1995)年 高萩純一氏撮影〕

1 平成26(2014)年3月、田人町旅人に所在した田人第二小学校が廃校となり、同じ田人町の小学校とともに、新たに命名された田人小学校に統合されました。
 学校沿革によると、田人第二小学校の創立は明治11(1878)年のこと。以来、田人尋常高等小学校入旅人(いりたびうと)分教場(→分校)、田人村立田人国民学校入旅人分校、同田人小学校入旅人分校と改名し、昭和39(1964)年には同田人第二小学校に昇格しました。
 同校の子どもたちは、主に入旅人川に沿って東西に延びる国道289号沿いに点在する集落や、さらにその西方の酪農集落から通学しました。主たる産業を林業に頼ったのは、平地が狭く、学区域のほとんどが豊かな山林となっていたことによるものでした。
 記録の残る校舎整備としては、大正15(1926)年から昭和2(1927)年にかけて全面的に改築されています。その後、一部補修や増築が行われましたが、老朽化のため、平成6(1994)年7月に全面的な校舎改築が行われました。
 同小学校には、二つの分校がありました。
 同校から国道289号沿いに東に向かって約3.5kmの位置に、同校の南大平分校がありました。明治18(1875)年の開校で、当時は黒田小学校南大平分教場と称し、四時川と入旅人川が分岐する場所にありました。周辺の河岸段丘上には家々と畑地が混在し、農業のかたわら四時川沿岸の林野から切り出された木材の集積地として機能していました。
 このほか、学区の南東部には四時川分校がありました。営林署の国有林開発を担う人々の子どもたちのため、当初は茨城県関南(せきなみ)村の小学校分校として昭和17(1942)年に開校したのですが、事業所が福島県に移動したことから、その後校舎も福島県側に建て替えられて田人小中学校四時川分校となりました。昭和38(1963)年には小中学生合わせて35人が在籍していたという記録が残っています。しかし、営林署四時川事業区の閉鎖に伴って、昭和41(1966)年3月に廃校となりました。

写真2-1(上) 廃校となった田人第二小学校で行われた「アートミーティング2016ワークショップ万華鏡」 〔平成28(2016)年8月 市田人支所撮影〕
写真2-2(下) 廃校となった田人第二小学校南大平分校で行われた「アートミーティング2015ワークショップ木彫」 〔平成27(2015)年8月 市田人支所撮影〕

2 田人地区の人口は昭和25(1950)年の8,028人をピークに、昭和35(1960)に7,223人、昭和45(1970)年に4,667人、平成2(1990)年に3,159人と減少していきました。
 特に昭和35年から同45年にかけての人口減少が著しく、この現象をいわき市合併(昭和41年)と直接重ね合わせて、減少の要因を「合併」に求める研究者などがいますが、そのことよりも、田人地区を支えていた、数か所の炭鉱が石炭から石油へのエネルギー革命で一挙に閉山に追い込まれた、それに営林署の直轄事業として大規模な山林開発が終了した、という二大産業が衰退していった時期と重なる、つまり経済的基盤を失ったと考えるべきでしょう。同期間、労働力人口は3,361人から2,353人へ大きくダウンしています。
 この間、主に田人第二小学校の場合、林業の衰退が学校の存続に暗い影を落としました。学校は時代とともに成長する児童を見続けてきましたが、次第に児童数は減少、学校運営が困難として地区民との協議を重ねてきた結果、田人地区内の他の学校とともに統合が図られました。同時に通学する児童がいないため、平成23(2011)年4月から休校の措置を取っていた、同校南大平分校も廃校となりました。
 このような場合、子どもたちは統合校に通う、というイメージですが、同校の場合は、隣接学区の川部小学校への通学となりました。入旅人川や四時川に沿う国道289号の整備が進み、同じ沿線に位置する川部小学校までの時間距離が昔に比べて大幅に短縮されたからでした。
 道路整備は他の面においても、地域を変えていきます。
 常磐自動車道いわき勿来インター(昭和63年3月開通)や国道289号を通じて、都市部から短時間で訪れることができるようになると、南大平地区を中心に道路沿いに飲食店や喫茶店、ギャラリーなどが進出するようになり、地域は新たな動きをみせました。訪れる都市部の人々には、あらためて田人の自然の豊かさや山あいの景観が魅力として映るようになったのです。
 このような機運のなか、生まれたのが、地元民による「どんぐりプロジェクト」が豊かな自然を守り育てる一環として行った「田人の魅力を再発見する集い 森の詩(うた)」でした。平成9(1997)年に始めた、この試みは広がりをみせ、これにギャラリーなどが加わります。こうして、音楽家や彫刻家などが中心となって「田人」という素材を活かした、「『田人の森で遊ぶ』アートミーティング」につながっていきました。現在に続くこの集いの第1回が開催されたのは、平成13(2001)年8月のことでした。
 静かで、ゆったりした時間のなかで流れていく地域全体の日常。夏の一時、ふだんは息を潜めている森や草花や使われなくなった校舎が、にわかに息吹を吹き込まれて立ち上がり、しかもそのにぎわいは、街とはまったく異なる雰囲気をみせてくれます。

<参考>周辺の位置関係

周辺地図 

その他の写真

3 四時川分校全景 (昭和30年代、板津弥吉氏撮影)

3 四時川分校全景 (昭和30年代、板津弥吉氏撮影) 

4 四時川森林軌道と軌道を道路代わりとする人々(昭和30年頃、板津弥吉氏所蔵)

4 四時川森林軌道と軌道を道路代わりとする人々(昭和30年頃、板津弥吉氏所蔵) 

5 廃止となった森林軌道跡を通学路とする四時川分校の子どもたち(昭和30年代、板津弥吉氏撮影)

5 廃止となった森林軌道跡を通学路とする四時川分校の子どもたち(昭和30年代、板津弥吉氏撮影) 

6 田人第二小学校・国道289号整備以前(昭和49年、板津弥吉氏撮影)

6 田人第二小学校・国道289号整備以前(昭和49年、板津弥吉氏撮影) 

7 田人第二小学校改築落成記念式典(平成6年7月、いわき市撮影)

7 田人第二小学校改築落成記念式典(平成6年7月、いわき市撮影) 

8 田人第二小学校南大平分校・本校と合わせて全校児童12人による運動会の練習(平成22年5月、いわきジャーナル撮影)

8 田人第二小学校南大平分校・本校と合わせて全校児童12人による運動会の練習(平成22年5月、いわきジャーナル撮影) 

9 田人第二小学校南大平分校玄関口(平成22年5月、いわきジャーナル撮影)

9 田人第二小学校南大平分校玄関口(平成22年5月、いわきジャーナル撮影) 

10 市立田人第二小学校と子どもたち(平成26年3月、いわき市撮影)

10 市立田人第二小学校と子どもたち(平成26年3月、いわき市撮影) 

11 市立田人第二小学校閉校式(平成26年3月20日、いわき市撮影)

11 市立田人第二小学校閉校式(平成26年3月20日、いわき市撮影) 

12 田人アートミーティング2015・旧田人第二小学校南大平分校(平成27年8月、いわき市撮影)

12 田人アートミーティング2015・旧田人第二小学校南大平分校(平成27年8月、いわき市撮影) 

13 田人アートミーティング2015ワークショップ水鉄砲・旧田人第二小学校南大平分校(平成27年8月、いわき市撮影)

13 田人アートミーティング2015ワークショップ水鉄砲・旧田人第二小学校南大平分校(平成27年8月、いわき市撮影) 

お問い合わせ

総合政策部 ふるさと発信課
電話番号:0246-22-7402
ファクス番号:0246-22-7469

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