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『いわき市アンモナイトセンター』(平成27年1月21日市公式Facebook投稿)

登録日:2015年1月21日

【いわきの『今むがし』 Vol.15】

【大久村役場 いわき市誕生記念聖火リレーの出発式 〔昭和42年(1967年)3月 いわき市撮影〕】

昭和42年の大久村役場

 昭和30年前後の「昭和の大合併」と久之浜町、大久村の関係については、久之浜地区の項で説明しましたが、実は両者の関わりは明治22年(1889年)4月施行の「市制・町村制」まで遡ることができます。
 この「明治の大合併」では、全国的な合併基準として戸数300から500戸が示され、県はこれを目安に地域割りの案を示しました。
 これによると、後に広野村(現広野町)となる区域では、末続村が加えられた範囲として提示されました。県は残る石城郡との境となる村々は、久之浜村を中心とした範囲として想定しました。つまり、現在の久之浜・大久地区の範囲から末続地区を除いた村々が一つの括りとして考えられていたのです。
 ところが、小久村、大久村、小山田村の地域住民から、3村だけによる強い合併要望が出されました。3村合併では260戸と基準を満たしていませんでしたが、海を中心とした地域との合併は考えられない、という理由でした。当時この3地域は豊富な森林資源を有しており、これも説得材料となったのです。これによって、大久村と久之浜村が一つの村になる案はしりぞけられるとともに、この過程で末続地区は久之浜村に加わりました。
 この時点では相容れなかった両者ですが、時代を経て、大久川・小久川流域を通じた交流が深まっていきました。
 その後、久之浜町(明治35年に町制)と大久村はいわき市合併に歩調を合わせるわけですが、合併後、予期しなかったことが生じました。いわき市への合併後、元の市町村の制度や財政を調整する期間となるタッチゾーンを経て、新たに市議会議員を選出する際、人口規模から算定して定員48人に絞られることになったのですが、公職選挙法に照らし合わせて元の市町村単位で選挙をする小選挙区制を採用すると、人口が少ないため、旧大久村単独では一つの議席も得ることができなくなることが判明しました。
 このため、協議が重ねられ、旧久之浜町との合同選挙区とすることになり、これに合せて、支所も久之浜・大久地区を所管するようになったのです。

【後に「露頭観察施設」を建設する大久町大久字鶴房地内において、「海竜の里化石発掘調査団による試掘を開始〔平成元年(1989年)12月 いわき市撮影〕】

平成元年の現アンモナイトセンター建設地

 その発見は、昭和43年(1968年)10月の出来事でした。当時、平工業高校の2年生だった鈴木直さんは、大久川左岸で、今から8,500万年前の中生代白亜紀の地層「双葉層群」に生息していた爬虫類首長竜の脊椎骨や肋骨などの化石数点を発見したのです。
 これまで全国各地で発見された首長竜の化石はほとんどが一部分でしたが、大久川で発見された化石は、その後の調査で全体の7割に当たる骨が発見され、体長6、7メートル、首が長く、頭は小さい、ということが分かりました。
 その後、専門家による研究が進み、昭和46年(1971)に日本地質学会で「フタバスズキリュウ」の和名が提唱され、さらに国際的研究の検証によって、平成18年(2006年)には新属新種の化石であることが判明し、「フタバサウルス・スズキイ」の学名が命名されました。
 昭和57年(1982年)には、フタバスズキリュウの発見地点より南西約3キロメートル地点で、後に「いわき竜」という和名が命名された別種の化石が発見されました。
 これら化石はいずれも海に生息していましたが、陸上に生息していた恐竜・アストロドンの化石も見つかっています。
 このような状況のなか、学術的に貴重な化石発掘地を保護・保存しようという機運が高まり、地元としても「海竜の里・化石の里」をテーマとした地域おこし「海竜の里づくり」が立案されました。
 国としても、昭和63年(1988年)度から「地方が知恵を出し、中央が支援する」という、これまでとは異なる政策「ふるさと創生事業」を推進。全国全自治体が対象となるこの事業には、各自治体でさまざまなアイディアが住民から寄せられましたが、いわき市においては、市民からの公募を経て、平成元年 (1989年)には、教育学術ゾーンとなる大久町大久字鶴房地内には化石露頭観察施設、地域活性化ゾーンとなる同字入間沢には「海竜の里センター」、という二つの核を中心として整備する「海竜の里事業」整備基本計画をまとめました。

【市アンモナイトセンター〔平成27年(2015年)1月 いわき市撮影〕】

現在のアンモナイトセンター

 大久町大久字鶴房地内の試掘調査では大型アンモナイトを中心にサメやクビナガリュウの歯、カモノハシリュウの頸椎(けいつい)など多数の化石が見つかり、化石を現状のまま観察できる「露頭観察施設」建設の“下地づくり”となりました。
 こうした経過を経て、国内初の露頭観察施設を備えた「市アンモナイトセンター」が平成4年(1992年)11月、オープンしました。建物に入ると、巨大アンモナイトなどの化石の数々を、露頭したままの状態で見ることができ、また建物の左側には、同センターの目玉となる体験発掘コーナー(約500平方メートル)で実体験をすることができます。
 一方、市海竜の里センターとしては平成3年(1991年)6月、化石を通した観光・学習・交流を目的に、施設の核となる「太古の広場」(展示室)や物産品のコーナーなどを整備。翌年には巨大恐竜のすべり台を設置しました。さらに平成8年(1996年)には観覧車やドラゴンコースターなどの子どもに親しめる遊具を導入するとともに多目的広場も設けられました。
 化石をめぐるこれらの施設が、太古と今をつなぐ壮大なロマンを感じさせてくれるかどうか、訪れる人にはさまざまな意見があります。
 忙しい日々をおくることを迫られている現代人にとって、“化石の時代”はじっと気持ちを集中させて、想像力を限りなく伸ばして、たどりつけるかどうかの、いわば夢の領域。その時代をほうふつとさせる手がかりは人によって異なります。受け取り方もさまざまです。ちょっとの手がかりでふくらますことのできる人もいれば、形を整えても想像すらつかない人もいます。
 あなたはどのようなカタチで「太古の時代」と関わることができるでしょうか。

このページに関するお問い合わせ先

総合政策部 広報広聴課

電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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