不審火発生!!すぐやろう!放火対策!!
登録日:2024年1月17日
1月に入り不審火と見られる火災が多発しています。
湯ノ岳では連続して火災が発生しています。
火の気のないところでの出火
路肩の枯草が燃えた火災現場
「放火されない、放火させない、環境づくり」が重要です!
放火が火災原因のトップ
いわき市では、平成29年から令和4年の5年間、放火(疑いを含む)による火災が火災原因のトップになっています。
令和4年のいわき市での放火火災(疑いを含む)は11件発生しました。
放火は、他人の命や財産などを失わせる可能性のあるとても卑劣で危険な行為です。そして、自分の注意だけでは完全に防ぐことが難しい火災の一つだといえます。しかしながら、放火を防ぐために、一人ひとりが放火火災に対する危機意識を持ち、地域の実情に即して、自主防災会や事業所等が一体となり協力体制をとることで、放火されない・させない環境がつくれます。自分のまわりから放火火災を起こさないように、放火されない・させない環境づくりに取り組みましょう。
放火の起こりやすい時間と場所は?
放火犯は、人通りが少なく、人目に付きにくい時間帯と場所を狙います。
そのため、人目に付きにくい夜間に多く放火火災は発生し、また、住宅地の人目に付きにくい家の周囲や施錠のない車庫や物置内などが標的とされることが多くあります。
車庫や物置などは施錠し、内部に簡単に人が入れないようにすることや、住宅や車庫等に人感センサー付きライトなどを設置し、常に明るくしておくなど、放火をさせない環境づくりに努めましょう。
放火で狙われやすいものとは?
とにかく、夜間には人目に付きにくく、燃えやすいものがある場所は注意が必要です。
様々なものが放火の標的となっています。
ここ数年、毎年のように発生する放火火災の標的として、コンビニの屋外や公園に設置されているゴミ箱があげられます。特にこれらは夜間には人目に付きにくく、中に燃えやすいものがあるので注意が必要です。店舗等のゴミ箱は屋内に設置したり、公園のゴミ箱については、自主防災会等で管理を徹底させることや、撤去を検討することなども必要です。
また、車両への放火では、バンパーやタイヤ、ボディーカバーなどが燃やされた例があります。不用意に車やバイク等を放置しないようにし、ボディーカバーは防炎製品を使いましょう。車両の施錠管理をしっかり行うことも大切です。
放火火災を防ぐために
一人ひとりが注意できること
- 家の周りや、共同住宅などの共用部分には燃えやすいものを置かないようにしましょう。
- ゴミは決められた日時に、決められた場所に出すようにしましょう。
- 物置や車庫には外部から簡単に入ることができないよう施錠をし、できるだけ、常に明るくしておきましょう。
- 車の施錠を確実にし、不用意に車を屋外に放置しないようにしましょう。
- 車やバイクのボディーカバーは防炎製品を使いましょう。
- いざというときに備えて、消火器を備えておきましょう。
事業所等で注意すること
- 店舗などでは、トイレやバックヤード、階段などが死角になりがちです。巡回監視などを行いましょう。
- 陳列方法も配慮し、特に燃えやすいものなどは整理整頓し、不要となったものは適切に処分しましょう。
- 共用ゴミ箱は、できるだけ人目につきやすい屋内等に設置しましょう。
放火されない、させない。安全安心なまちをつくりましょう。
放火火災を防ぐためには、放火されない、放火させない環境づくりが大切です!
地域の住民の一人ひとりが積極的に放火火災に対する注意を払い、さらに、自主防災会や事業所も連携し、地域ぐるみで放火防止に取り組み、安全安心なまちをつくりましょう。
放火は、犯罪です!!
現住建造物等放火罪(刑法第108条),非現住建造物等放火罪(刑法第109条),建造物等以外放火(刑法第110条)の罪が定められています。
消防雑学事典
八百屋お七の放火
恋に賭けた女の一途な可憐さは、後世の人々の涙をそそるに十分すぎるものでしたから、文学、歌舞伎、落語などの素材として取り上げられています。
このことについては後に記すこととしまして、まずは火事のことを・・・
井原西鶴の作品や、芝居、落語のネタにもなっている八百屋お七の放火。
火災発生日時など、諸説があるが、天和元(1682)年1月27日説が有力のようである。
天和元年に発生した大火で焼け出された八百屋太郎兵衛一家は、江戸・駒込の円乗寺前に仮小屋を建て生活を送っていました。
そのうちに、太郎兵衛の娘お七は、寺小姓の左兵衛と人目を忍ぶ仲になるものの、皮肉にも太郎兵衛の家の建て替えが済み仮小屋から、元の場所に引っ越さなければならなくなりました。
その後のお七の胸の内は、いまさらいうまでもありません、、、
そこに現れたのが、ならず者の吉三郎で、彼はお七の耳にささやきました。
「それほどお小姓が恋しいのなら、もう一度、家が火事になれば円乗寺に行ってられるぜ。」
恋は盲目。お七は吉三郎の口車に乗り、自分の家に火をつけ、円乗寺へと駆け出したのです。
この放火が、江戸の中心部を総なめにする大火の元となったという説もありますが、実際は近所の人がすぐに消し止め、ボヤで済んだというのが真実のようです。
しかし、放火は放火。当時は「失火者斬罪令」(延宝6年)があった時代です。
ましてや放火犯人は引回しの上、死罪とされていましたので、お七は天和3(1683)年3月29日、鈴ヶ森で火焙りの刑に処せられたのです。
この時、お七は17歳でした。
ならず者の吉三郎は、お七をそそのかし、火事場泥棒を決め込んでいたところを捕えられ、’’教唆犯”としてお七と同じ刑に処せられたのです。
一方、お七の恋の相手の左兵衛は、このことを知って自害をしようとしましたが果たせず、以後は剃髪して高野山や比叡山を巡り修行につとめ、やがて目黒に戻って西運堂を建立し、名も西運と改めて一代の名僧とまでなりました。
火事の日については諸説ありますが、お七が焼け出された火事については、天和元年12月28日だとするもの、および翌2年の同月同日だとするもの(どちらも記録に残る火災)があります。
焼け出された太郎兵衛(これも市左衛門とするものあり)一家が身を寄せた寺についても、正仙院だとするものがあり、また寺小姓の名にあっては、左平、吉三、生田庄之介といろいろあります。
次にお七を素材とした文学作品などについて紹介します。
お七を題材とした最初の文学作品は、お七が火焙りの刑で処刑された天和3(1683)年から数えて3年後の貞享3(1686)年で、井原西鶴によって「好色五人女」の中に書かれました。
人形浄瑠璃としては、元禄16(1704)年2月、大阪豊竹座で上演された紀海音作の「八百屋お七歌祭文」があります。
歌舞伎狂言に初めてお七が登場したのは、宝永3(1706)年正月、大阪嵐右衛門座で公演された吾妻三八作の「お七歌祭文」で、その後数多くの作品が演じられましたが、中でも黙阿弥作の「松竹梅雪曙」は、安政3(1856)年、市川小団次(四代目)が、市村座において人形振りで見せて、大評判となった作品です。
江戸時代から現代に至るまで、放火は常に火災原因の上位を占めています。
江戸時代、放火の予防・取締り方策として「火附盗賊改」を設けたり、放火に関する町触れを出す一方、寛保2(1742)年、江戸幕府の基本法典として制定した「公事方御定書」、別名「御定書百箇条」の中に、放火・失火に関する罰則を定め、放火犯や失火を罰していました。
次は、「御定書百箇条」に定められた放火に関する刑罰です。
○放火張文の罪(「御定書百箇条」第六三条・火札張文候者御仕置之事)
「遺恨を以て火を可付旨張文又は捨文いたし候者 死罪」
火札とは、相手に遺恨をもって火をつける旨を通告する脅迫状で、これには張文又は捨文(投文)がありました。
○放火の罪(「御定書百箇条」第七○条・火付御仕置之事)
「火付候者 火罪
但焼立申さず候はば引廻之上 死罪
人被頼火付候者 死罪
但頼候者 火罪
物取にて火付候者引廻之地
日本橋、両国橋、四谷御門外、赤坂御門外、昌平橋外」
鈴ヶ森刑場跡
鈴ヶ森刑場跡放火罪には、刑罰に引回しが付け加えられ、また、物取りのために放火した場合は右記の五か所と放火場所ならびに本人居住の町中を引回し、御仕置場に罪状を記した立札が立てられました。 物取りでない放火の場合は、放火場所と本人居住の町中を引回したうえ、処刑しました。
なお、「火罪」とは俗にいう「火焙りの刑」のことで、「死罪」とは「斬首(打首)の刑」で、この刑は、下手人(人を殺し、情状酌量された者が首を斬られる刑)よりは重く、獄門(斬首されてからその首を3日間刑場にさらすという恥辱が付加された刑)よりは軽い刑でした。
(おわり)
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