コンテンツにジャンプ

『平字旧城跡』(令和2年9月9日市公式SNS投稿)

登録日:2020年9月9日

いわきの『今むがし』Vol.141

 磐城平城の三階櫓図〔『写真 磐城百年史』から引用〕

1 新政府軍と奥羽越列藩同盟の諸藩が戦った戊辰戦争は新政府軍の勝利で終わり、全国の城や櫓(やぐら)、門、武家屋敷などは、新政府軍の所有物となりました。
 明治6(1873)年、「廃城令」などによって、全国の城、陣屋はすべて「存城処分」と「廃城処分」に区分され、前者は陸軍省に、後者は大蔵省に委任されました。
 「存城処分」とは、建造物を保存しようとする、後の文化財のような考え方ではなく、陸軍の兵営地として城郭建造物や石垣、樹木などを整理することも含めて選ばれたものでした。
 一方廃城処分では、大蔵省の普通財産に所管替えされ、建物や敷地などが民間に払い下げられました。廃城処分となった城跡のなかには、豪商などによって城郭の全部、あるいは一部が購入された後に、地方公共団体に寄付、あるいは安価で引き渡され、城の復元や公園、学校などになりました。
 福島県において、存城処分となったのは若松城と白河城の二つだけで、いわき地方の城や陣屋はすべて民間に払い下げられました。
明治15(1882)年の北目村(明治16年に長橋村など4か村が合併して平町)図を見ると、旧城跡には家屋がなく、畑地や草地へ転用されたことがわかります。内堀も湿田に生まれ変わっています。明治30(1897)年2月、日本鉄道磐城線(現JR常磐線)が開通し、平(現いわき)駅が開設されたとき、すでに堀はなかったのです。
 旧藩主・安藤信勇は、明治政府の命によって東京へ戻りました。その後、明治23(1890)年2月、旧平藩士・味岡礼質(のりかた)から安藤信守(明治5〔1872〕年に信勇から家督相続)へ、「旧城跡28番地」の宅地が譲与されています。
 安藤信守は、明治38(1905)年9月に旧城跡28番地から平窪村大字中平窪へ転居していることから、安藤信勇は最晩年、旧城跡に住んでいたことが考えられます。(明治41〔1908〕年に死亡)
 安藤家の私邸は、その後関係者によって何度か改築され維持されてきましたが、令和2(2020)年度からスタートした「磐城平城・城跡公園」整備事業の一環として取り壊され、跡地に体験学習施設が建てられることになりました。
 

磐城平城の「一夜城プロジェクト&プロジェクションマッピング」銀座通りから見る〔平成28(2016)年10月、いわき市撮影〕

2 昭和25(1950)年8月に「文化財保護法」が公布され、昔の文化・芸術に光が当たるようになりましたが、一部を除き、城跡などを史跡として位置づける考え方は希薄でした。
 地方経済が戦争の痛手から立ち直るなか、日本各地で空襲や天災で失われた城が鉄筋コンクリートで復元され、街のシンボルとなりました。
 平市においても、昭和20年代後期から平城跡保存運動がおこり、新名所として「平城」の建設が構想されましたが、文化財的な発想ではありませんでした。
 昭和30(1955)年の建設計画をみると、三層櫓の復元に際し、そのなかに産業館や美術館、図書館が盛り込まれていました。
 しかし、平市は昭和29(1954)年10月に周辺の豊間町、草野村、高久村、夏井村との合併を果たしたばかりで余力がなく、建設計画は進みませんでした。
 磐城平城復元の運動は、昭和39(1964)年1月に「平城建設期成同盟会」が発足し、再燃します。この時点においても、文化財という観点は薄く、観光施設としての傾向が強い計画でした。民間団体や有志が建設計画を主導するなか、綿密な計画はなく、市民から寄付を募って計画は進み、市は再建事業に置き去りにされました。
 その理由は、昭和30年代半ば、磐城平藩主・安藤信正像が再建された際に市に打診がなく、建設費の不足を市補助で補ったという不手際があったこと、平市が14市町村合併に奔走していたことが挙げられます。
 民間団体・有志は、市の後ろ盾が整わないままに昭和39(1964)年11月に起工式を挙行し、昭和40(1965)年4月に基礎工事に着手しましたが、資金不足に陥り、3か月で中断することになります。
 磐城平城再建の挫折は、その後長い間、関係者のトラウマとなって容易に歳月の流れをとめることができず、市もまた時局の難題に忙殺され、丹後沢を整備するにとどまりました。
この間、全国的に城跡に限らず歴史的建造物に対する見方が変化し、伝統工法に基づき建物を復元する例が出てきますが、原形で復元しようとすると、建築基準法や消防法などに抵触することになり、期待していたような観光客誘致には不十分である恐れがありました。加えて、埋蔵文化財の発掘調査が義務付けられており、幾つもの制約が待ち構えています。
 平成3(1991)年、文化庁が天守の再建については「史料をもとに忠実に復元しなければ認めない」とし、これが文化財級以外の城再建の考え方にも及びました。市町村としても忠実に再現することにより文化的価値を高め、歴史教育や観光客を呼び込んだ方がブランド力があるという考え方が主流となっていきますが、再建にはその分、ハードルが高くなったのです。
 その後、城跡整備の停滞が大きく動いたのは、これまでにない理由によるものでした。
 それまでの磐城平城跡の所有者が亡くなり「土地が売られてしまうのではないか」という憶測が飛び交うようになった平成20(2008)年頃のこと。この報に接し、危機感を覚えた関係者による保存に向けて、有志による「磐城平城史跡公園の会」が発足(平成22年6月、正式に会が設立)し、いわき商工会議所まちづくり委員会の支援を得て、平成21(2009)年6月、「『お城山の保存と活用』について考えるシンポジウム」を催しました。同年11月には磐城平城の歴史を学ぶ体験学習会「本丸跡を歩く・見る・考える」が本丸跡で開かれました。
 こうした努力により、土地所有者の協力を得て、「平まちなか復興まちづくり計画推進プロジェクトチーム」が中心となり「歴史文化の活用」として本丸跡の周辺を整備するとともに、平成27(2015)年4月から6月、磐城平城跡地を一般公開。期間中は「平城さくらまつり」と銘打って各種イベントを開催し、関係者が磐城平城跡地の公有地化を市に要望しました。
 平成27年11月からは、まちづくり会社「たいらまちづくり」が跡地利用に関する窓口業務やイベント開催時の監督業務などを請け負うようになりました。
 さらに市制施行50周年に当たる平成28(2016)年には、4月から月ごとに磐城平城復元「一夜城」プロジェクトを展開、同年10月には、三階櫓と同形の高さ約13m、幅約11mの巨大看板を“一夜城”として再現し、夜間ライトアップするイベントを行いました。
 市はこのような機運を捉え、本丸跡地の公有地化に向けて準備を進め、平成29(2017)年4月から地権者との交渉、史跡調査に入り、同年8月、磐城平城の公園整備構想を発表しました。
取得する本丸跡地は約1.5ha。「歴史伝承ゾーン」(三階櫓跡地付近)、「文化交流ゾーン」(文化コミュニティーゾーン)、「自然散策ゾーン」(白蛇堀周辺)の3ゾーンから成り、公園整備事業は同年3月に国の認定を受けた「市中心市街地活性化基本計画」(櫓、土塀などの整備を除く)に位置づけられました。
 市はこれら公園整備の完成に向け、現在詳細設計、公園や広場などの施設整備を順次進めています。


(いわき地域學学會 小宅幸一)

 

 その他の写真

磐城平城(明治時代末期または大正初期、小泉屋文庫提供)

磐城平城(明治時代末期または大正初期、小泉屋文庫提供)

 

磐城平城跡を平駅構内から見る(大正時代、郵便絵はがき)

4 磐城平城跡を平駅構内から見る(大正時代、郵便絵はがき)

 

磐城平城建設工事の起工(昭和39年10月、長谷川喜作氏提供)

5 磐城平城建設工事の起工(昭和39年10月、長谷川喜作氏提供)

 

磐城平城跡を平立体橋から見る(昭和40年1月、桃井広也氏撮影)

6 磐城平城跡を平立体橋から見る(昭和40年1月、桃井広也氏撮影)

 

平(現いわき)駅前、住吉屋支店、磐城平城跡を駅前通りから見る(昭和40年1月、桃井広也氏撮影)

7 平(現いわき)駅前、住吉屋支店、磐城平城跡を駅前通りから見る(昭和40年1月、桃井広也氏撮影)

 

磐城平城跡遠景(昭和46年10月、いわき市撮影

8 磐城平城跡遠景(昭和46年10月、いわき市撮影

 

磐城平城の石垣(昭和50年、いわき市撮影)

9

 

平城展(平成元年3月、いわき市撮影)

10 平城展(平成元年3月、いわき市撮影)

 

中断された磐城平城の建設(平成5年、高萩純一氏撮影)

11

 

再建中断したままの磐城平城(平成6年2月、いわき民報社撮影)

12 再建中断したままの磐城平城(平成6年2月、いわき民報社撮影)

 

磐城平城さくらまつり(平成27年4月、いわき市撮影)

13 磐城平城さくらまつり(平成27年4月、いわき市撮影)

 

磐城平城跡から見た平市街とこいのぼり(平成27年5月、いわき市撮影)

14 磐城平城跡から見た平市街とこいのぼり(平成27年5月、いわき市撮影)

 

磐城平城さくらまつり(平成28年4月、いわき市撮影)

15 磐城平城さくらまつり(平成28年4月、いわき市撮影)

 

磐城平城の「一夜城」とフラッグ(平成28年10月、いわきジャーナル撮影)

16 磐城平城の「一夜城」とフラッグ(平成28年10月、いわきジャーナル撮影)

このページに関するお問い合わせ先

総合政策部 広報広聴課

電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

このページを見ている人はこんなページも見ています

    このページに関するアンケート

    このページの情報は役に立ちましたか?