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『泉町』(令和元年5月29日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:15591-0670-3831 更新日:2019年5月29日

いわきの『今むがし』Vol.119

上 泉町滝尻字定ノ田で農作業―遠方右側の山は諏訪山。山際を福島臨海鉄道の貨物列車が走る。―〔昭和49(1974)年12月、佐藤茂喜氏撮影〕
下 宅地化が進む泉第三土地区画整理事業区域―かろうじて諏訪山が見える。―〔平成31(2019)年2月、佐藤茂喜氏撮影〕

1 人口・戸数ともに増加の一途をたどっている泉町発展の基礎を創ったのは、泉藩の泉城(陣屋)が置かれたことによるものでしたが、明治時代に入り廃城となったうえに、平などのように交通の要所になかったため、将来性を見通せませんでした。
 その衰退感に歯止めをかけたのが、明治30(1897)年2月の日本鉄道磐城線(現JR常磐線)開通に伴う、泉駅の開設でした。
 といっても、即発展につながったわけではありません。昭和時代の中期までは、小名浜と結んでいた磐城海岸軌道(後に小名浜臨港鉄道、現在の福島臨海鉄道)を経由して、工場で生産された原材料や製品、あるいは港で水揚げされた鮮魚を運ぶ輸送中継地として機能していただけで、旅客駅としては十分な機能を果たしていませんでした。
 市街地そのものは泉藩の町割りを踏襲し、昭和20年代に至るまで密度の低い家屋や町役場、小学校が混在化したままでした。小名浜と泉はあくまでも別な「まち」でした。昭和29(1954)年3月には小名浜町などと合併して磐城市の一部となると、文字どおり、港小名浜の玄関口としての機能が付加されるようになりました。さらに、昭和39(1964)年にいわき地方が「新産業都市」に指定されると、工場進出が相次ぎ、人口が増えていきます。
また、泉町の発展を促進させたのは、昭和28(1953)年に開通した新しい国道6号(現主要地方道いわき・上三坂・小野線)と土地区画整理事業による都市改造でした。

 

 

上 常磐線側から見る、福島臨海鉄道の間にある水田の田植え〔昭和49(1974)年5月、佐藤茂喜氏撮影〕
下 耕作放棄された水田に、震災後、太陽光パネルが設置された〔平成31(2019)年2月、佐藤茂喜氏撮影〕

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 泉市街では城跡や駅周辺の「泉第一土地区画整理事業」が昭和59(1984)年11月に、その区域に南接して「泉第二土地区画整理事業」が昭和62(1987)年11月にそれぞれ完了し、街の様相は大きく変化していきました。
 泉駅の裏口的な存在だった玉露地区も変容していきます。「泉玉露土地区画整理事業」が平成2(1990)年11月に完了して住宅化が進みました。
 泉駅の南北で市街化が進むようになると、平成11(1999)年3月に橋上化に伴う新しい改札口が完成し、さらに同年7月には南北をつなぐ自由通路が完成しました。
 撮られた写真は、いずれも昭和40年代後半。街は変容するさなかでした。日々変わりゆく街は、そのときは何気ないのですが、歳月を経るにつれて、その手掛かりもなくなっていくのが常です。
 今回提供していただいた写真の新旧は、手掛かりとなるものばかりです。
 しかも、その新しい写真のなかには、これから何年か先に変わり得る何かが潜んでいるかもしれません。その点でいうと、新旧対照は“終わりの始まり”なのかもしれません。
(いわき地域学會 小宅幸一)
 

 

 

その他の写真

上 常磐線泉駅西側の小里踏切―写真右方が泉駅、左方が植田駅。奥に見えるのは水素商事(株)の倉庫。―〔昭和49(1974)年12月、佐藤茂喜氏撮影〕

下 泉立体橋の建設に伴い、かつての踏切の場所には泉人道橋が設置―遠方には、県建設の応急仮設住宅が見える。―〔平成31(2019)年2月、佐藤茂喜氏撮影〕

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泉駅前から県道釜戸―小名浜線沿いに西方の小名浜方面を見る―(昭和45年1月、佐藤茂喜氏撮影)

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泉第一土地区画整理事業の泉町駅前道路工事を南方に向かって見る(昭和45年5月、佐藤茂喜氏撮影)

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泉第一土地区画整理事業の泉町駅前道路工事を北方の泉駅に向かって見る(昭和45年5月、佐藤茂喜氏撮影)

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