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『小名浜玉川町』(平成31年3月13日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:15524-5413-2717 更新日:2019年3月13日

いわきの『今むがし』Vol.114

(上)玉川団地入口付近の造成〔昭和42(1967)年8月、いわき市撮影〕
(下)玉川団地入口付近の分譲〔昭和45(1970)年10月、いわき市撮影〕

1 「玉川」という地名は複雑な経緯をたどりました。明治22(1889)年に施行された「明治の大合併」で最初に地名として登場しました。10か村による合併でありましたが、このなかには突出した村がなく、いわばドングリの背比べの状態でした。このため、地域一帯を包含するような地名が必要となり、このとき採用されたのが玉川でした。
 しかし、この玉川はもともと正式な地名ではありませんでした。この地名の名付け方には複雑な理由がありました。
 鎌倉時代初期の「新古今和歌集」で、このなかに能因(のういん)法師作の「夕されば汐風こして みちのくの野田の玉川 千鳥なくなり」という和歌があります。昔から六玉川(むたまがわ)が日本にあり、宮城県・野田の玉川はその一つでした。同じ「野田」でも、いわき地方の玉川村を構成する大字野田と縁はなかったのです。
 しかし、これにあやかった当地の「野田の玉川」は風光明媚な一帯をあらわした言葉として人々に流布されました。このため、10か村の合併に際し、これを村名として選びました。
 この玉川村は昭和16(1941)年8月、小名浜町との合併で一旦は消えることとなりました。昭和29(1954)年に磐城市が誕生する際も、地名として浮かぶことはありませんでした。ところが住宅団地づくり計画のなかで、玉川の名が復活することになりました。
 昭和30年代半ばまで、一帯は純農村でしたが、昭和37(1962)年5月、新産業都市建設促進法が公布(同年8月施行)されたのを受け、小名浜地区や勿来地区などの工業地帯の発展を背景とした地域指定の運動を展開するとともに、その受け皿づくりが要請されたのをきっかけに大きく変わっていきます。
 特に、小名浜地区は昭和30年代半ば頃から臨海部を中心に工業化が著しく進み、堺化学(株)、東邦亜鉛(株)、三菱金属(株)などの工場が相次いで建設され、その一環として労働力受け入れのための住宅建築が急がれました。最初は個別の工場進出のための社宅づくりが検討されましたが、それよりも将来の人口増加を見越した、大型住宅団地の建設の方が政策に適っており、現実味を帯びていきました。

(上)玉川団地の入口〔昭和62(1987)年7月、いわき市撮影〕
(下)玉川団地入口の今〔平成30(2018)年12月、いわき市撮影〕

2

 住宅団地建設の対象となったのは、新産業都市エリアの中心に位置し、小名浜と湯本を結ぶ大原街道に近く、小名浜臨海部からも数kmという、交通の利便性にも富む場所で、小名浜北部、岩出(いわで)、住吉、野田、林城(りんじょう)の四つの大字にまたがる地域、17万2,700坪(約59.0ha)でした。
 住宅団地づくりの計画は、新産業都市の指定を受けた磐城市において広域的な土地利用の一環として住宅地需要の充足を図るというコンセプトで、一般住宅1,500戸、6,000人、一部は企業に一括分譲することとし、東西南北に幹線道路を配置、ショッピングセンター、学校、幼稚園、公園の配置できる一般者向けの住宅団地が造成されることになりました。  
 福島県企業局が建設主体となりました。計画は昭和38(1963)年8月に策定され、同年12月から翌年1月にかけて地元住民に対して説明会が行なわれ、まもなく、用地買収、着工に入りました。
 しかし、この住宅団地造成は、いわき地方にとっても初期の事業であったため試行錯誤の連続で、昭和41(1966)年12月で35%分譲したものの、完成率は50%でしかなく、完成時期は遅れましたが、昭和40年代半ば前後の好景気に支えられて、昭和48(1973)年3月にようやく完売となりました。
字名の改称は磐城市が専決処分のカタチで実施し、昭和41(1966)年に誕生したいわき市に引き継ぎました。このとき、団地造成区域について玉川町を大字に付し、さらに新字を東・西・南・北の名で区切りました。
 一方、ハード整備という観点からは、住宅団地建設から約50年、石油危機、バブル景気、低成長期を経て、住宅整備をめぐる考え方は変化するなか、現在では個人住宅建設の際に考慮される、より質の高い都市基盤整備づくりが求められるなか、一部道路幅が十分でない、一区画の面積が近年の区画に比べ必ずしも広くないなど、時代の波が影を落としているともいえます。
そのこと以上に、玉川団地はまちづくりの典型としてその旺盛な活動ぶりが評価されて、数々の栄誉に輝いていることは、多くの人が知るところであり、特筆されることです。
 現在、玉川団地には約1,250世帯、約3,200人が居住しています。
(いわき地域学會 小宅幸一)
 

その他の写真

玉川団地予定地東側を住吉館山から見る(昭和30年代、比佐不二夫氏提供)

03 玉川団地予定地東側を住吉館山から見る(昭和30年代、比佐不二夫氏提供)

 

小名浜野田(玉川団地造成前)を住吉・館山から見る(昭和30年代後期、比佐不二夫氏提供)

04 小名浜野田(玉川団地造成前)を住吉・館山から見る(昭和30年代後期、比佐不二夫氏提供)

 

玉川団地(第1期工事)造成を西側から見る(「IWAKI 1965」より出典)

05 玉川団地(第1期工事)造成を西側から見る(「IWAKI 1965」より出典)

 

空撮・造成中の玉川住宅団地(「IWAKI 1965」より出典)

06 空撮・造成中の玉川住宅団地(「IWAKI 1965」より出典)

 

玉川団地を西側から見る(昭和42年、いわき市撮影)

 

玉川団地造成(昭和42年8月、いわき市撮影)

08 玉川団地造成(昭和42年8月、いわき市撮影)

 

空撮・玉川団地を東側から見る(昭和43年8月、いわき市撮影)

09 空撮・玉川団地を東側から見る(昭和43年8月、いわき市撮影)

 

玉川団地分譲(昭和43年9月、いわき市撮影)

10 玉川団地分譲(昭和43年9月、いわき市撮影)

 

玉川団地入口(昭和45年10月、いわき市所蔵)

11 玉川団地入口(昭和45年10月、いわき市所蔵)

 

空撮・玉川団地を南東側から見る(昭和50年頃、いわき市撮影)

12 空撮・玉川団地を南東側から見る(昭和50年頃、いわき市撮影)

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