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『常磐湯本町三函(表町通り)』(平成30年9月12日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:15366-3057-3107 更新日:2018年9月12日

いわきの『今むがし』Vol.102

(上) 表町通り-写真左が山形屋、右が三函劇場入口-〔大正時代、郵便絵はがき〕
(下) 同上〔昭和時代初期、郵便絵はがき〕


写真01-1(上) 表町通り-写真左が山形屋、右が三函劇場入口-〔大正時代、郵便絵はがき〕写真01-2(下) 同上〔昭和時代初期、郵便絵はがき〕 平成27(2015)年7月28日の調査によると、湯本温泉の泉温は58.0度(気温33度時)前後、無色透明で微弱塩味で強硫化水素臭を有し、弱アルカリ性を示しています。自然なカタチによる温泉の湧出量は、毎分数十tにものぼります。
 この温泉の基は、「化石海水」という地下深く、滞留している古い海洋水が地中に閉じ込められて形成されたもので、地温で温められ、陸化したもので、いわば太古の海の名残です。一般的にボーリング掘削で見つかり汲み上げられますが、一定距離の地下を掘削して湯脈にたどりつくという保証はありません。湯本温泉の場合、周辺にいくつもの断層が交錯し、ここを伝って湧出してきたもの、と考えられます。
 湯脈の湧出が特性として認知されるようになると、地域の大きな財産となっていきます。
 湯本は江戸時代にすでに浜街道の宿場としても栄え、宝暦11(1761)年、吉田定顕によって書かれた『磐城枕友』には「四時湯客絶ヘズ、湯女アリ、戸数三百餘(あまり)、繁昌ノ地ナリ」と記述され、にぎやかな様子がうかがえます。                           
 通称・表町通りは温泉旅館、商店、民家が密集し、湯本の繁華街です。写真に見える山形屋旅館には、安永7(1778)年には伊能忠敬、大正10(1921)年には竹久夢二が、それぞれ投宿しています。
 湯本温泉が他の温泉と決定的に異なることは、石炭と“同居”していること、つまり温泉の湯脈が通じている個所は、同時に石炭採掘地でもあり、しかも二つの地下資源が互いに迷惑資源だったのです。
 温泉投宿客が増え、これに伴い温泉旅館が増加し、湯壷の増を招くと、これに起因する自噴の圧力が下がり温泉湧出量が激減する一方、石炭輸送のための鉄道貨物の充実で石炭開発が増え、いわば2つの状況が双方を苦しめることになっていきます。
 大正8(1919)年には、温泉の湧出が止まる事態にまで悪化していきます。炭鉱と温泉の対立は、昭和17(1942)年に石炭増産という国の方針に基づいて、国の仲介に基づき資金投資が行われ、新源泉から揚湯可能となったことで解決をみるに至りました。
 比較写真は、浜街道の「表町通り」の山形屋前から南方の温泉神社方向を見ています。右には、三函(みはこ)劇場(後の三函座)の入口が見えます。
 

(上) 表町通り-写真左が山形屋、右が三函座入口-〔昭和35(1960)年頃、大平喜一氏撮影〕
(中) 同上〔昭和39(1964)年、常磐市撮影〕
(下) 表町通り-山形屋、三函座は姿を消した現在の通り-〔平成29(2017)年、菅波晋氏撮影〕

写真02-1(上) 表町通り-写真左が山形屋、右が三函座入口-〔昭和35(1960)年頃、大平喜一氏撮影〕写真02-2(中) 同上〔昭和39(1964)年、常磐市撮影〕写真02-3(下) 表町通り-山形屋、三函座は姿を消した現在の通り-〔平成29(2017)年、菅波晋氏撮影〕 明治時代以降、表町通りは、銀行や郵便局、警察署、温泉旅館などが並ぶ通りとして、賑わいをみせてきました。
 昭和20年代以降、商業や観光などの面で表町通りの交通量は増え、さらに昭和30(1955)年からの高度経済成長に伴って国民の自動車保有台数は飛躍的に増えていきます。
 従来の幅員6mでは、バス、トラックなど大型自動車が交差するときには商店の軒先すれすれで通るような状況となりました。また、車が店先で駐車している場合は、通過もままならない状況でした。道路に出ている電柱やネオンアーチ、街路灯も通行の妨げとして見られるようになっていきます。昭和35(1960)年には道路交通法が改正されて、実質的に表町通りでは駐車禁止となりましたが、抜本的な解決が望まれました。 このようななか、商店街の結束を図り、「クルマ社会」における商業の発展を検討しようと、昭和35年には、「表町商店会」が湯本商店街のトップを切って結成されます。
 一方で、表町通りの拡幅問題は、昭和30(1955)年に新ルートの国道6号が常磐線の東側に付け替えられて、表町通りを通過する自動車は少なくなり、拡幅の声は立ち消えとなっていきました。
 車が日常生活に深く浸透するようになると、家屋が密集していて駐車場が少なく狭い道路や路地のある市街では不都合が多くなっていきます。また、土地区画整理事業を導入しようにも、ポイントとなる代替地の確保もできず、その間に市街の空洞化が進んでいきました。
 写真に見えていた山形屋旅館は姿を消し、また閉館後、建物の貴重性から国の登録有形文化財として指定されていた三函座も、東日本大震災の被害を受け、惜しまれながら取り壊されました。
 一方、平成7(1995)年10月には、江戸時代末期の建築様式を模した「さはこの湯温泉保養所」がオープンしました。
 街中を歩くと、再開発がされていない分、古い時代の落ち着いた雰囲気をそこここに感じることができます。
(いわき地域学會 小宅幸一)

 

その他の写真

常磐市湯本町の表町通り・松柏館の夜(昭和30年代、長谷川達雄氏撮影)

03 常磐市湯本町の表町通り・松柏館の夜(昭和30年代、長谷川達雄氏撮影)

常磐湯本町の三函座(昭和39年、いわき市所蔵)

04 常磐湯本町の三函座(昭和39年、いわき市所蔵)

常磐湯本町の表町通り沿いに温泉神社方向を見る(昭和40年代、いわき市撮影)

05 常磐湯本町の表町通り沿いに温泉神社方向を見る(昭和40年代、いわき市撮影)

さはこの湯(平成7年10月、いわき市撮影)

06 さはこの湯(平成7年10月、いわき市撮影)

常磐湯本町の表町通り・松柏館付近(平成8年3月、いわき市撮影)

07 常磐湯本町の表町通り・松柏館付近(平成8年3月、いわき市撮影)

湯本町の旧三函座見学(平成19年、菅波晋氏撮影)

08 湯本町の旧三函座見学(平成19年、菅波晋氏撮影)

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