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『平市街南部100年(今むがし100回記念)』(平成30年8月9日市公式Facebook投稿)

登録日:2018年8月9日

いわきの『今むがし』Vol.100

新川流域の洪水-水没した遠くの小屋が後の大黒屋(現平字中町)付近。第1回国勢調査が行われた日で、「国勢調査水害」と呼ばれました-〔大正9(1920)年10月、真木隆四郎氏撮影 〕

写真01 新川流域の洪水 水没した遠くの小屋が後の大黒屋(現平字中町)付近。第1回国勢調査が行われた日で、「国勢調査水害」と呼ばれました。〔大正9(1920)年10月、真木隆四郎氏撮影 〕

 いわきの今と昔を写真と文章で綴るこのシリーズが、めでたく(?)100回を迎えます。
 今回は、今と昔を比較しながら歴史をたどることの意味について、考えてみましょう。
 ご承知のように、いわき市は昭和41(1966)年10月1日に14市町村が合併して誕生しました。それまで14市町村がそれぞれに歩んできたまちの歴史が一つの枠のなかに合流したことになります。よく「いわきは一つ」という言葉がありますが、14市町村の単位以前には35市町村(昭和30年前後に行われた「昭和の大合併」の直前)、さらにさかのぼると、215町村(明治22年に行われた「明治の大合併」の直前)、それ以前には、もっと多くの村が存在し、営々と地域の営みをつないできたわけですから、スローガンとしての意味合いでは理解できますが、実際には合併後半世紀で一つに成り得ると考えるのは不遜なことではないでしょうか。(もっとも、歴史をまったく度外視してモノゴトを考えようとすれば、話は別ですが…)
 本来、一般的に行政の事務は継続されていると思われがちですが、いわき市の場合、写真データに限ってみれば、いわき市合併以前については、ほとんど引き継がれていません。
なぜならば、写真の重要性が認識されていなかったからです。合併後、合併前を対象とした事務整理のなかで、多くが失われていってしまいました。
 もっとも、それはいわき市に関する写真に限らず全国の傾向でもあります。
 その典型的な例が戦争中の文書です。戦争が終わって日本がアメリカに占領されることが決まると、戦争遂行に関する文書は証拠隠滅のため、ほとんど焼却処分にしてしまったのです。いわき地方の場合は、焼却されるか、すでに廃止されていた炭鉱の坑口がその捨て場となりました。
以来、日本にとって文書を“歴史的に”取り扱う慣習を失ったのです。
 さて、今回取り上げたのは約100年前の写真で、平市街南端の新川流域(現新川緑地)の洪水被害を撮影したものです。100年前の写真をみるとき、水没して何も見えない部分が見渡す限りの水田だったことを知らなければ、建物が水没してしまったと見間違うかもしれません。
 

物見ケ岡から見る

  フイルムや現像処理が高価だった時代、1枚1枚がとても貴重で、シャッターチャンスはごく限られる、という考えが撮り手の気持ちのなかにありました。
 合併後、市報である『広報いわき』は月1回の割合で発行されており、これまでに撮影されたコマ数は、約50万点に及びます。これを年別にみていくと、フイルム時代は年間数千枚で推移しましたが、平成20(2008)年あたりから、デジタル化に伴いコマ数が増え、現在では年間3万コマ前後に達しています。
 おそらくは、被写体を撮影するスタンスがまったく異なるからで、いつでも消去できることが、何度もシャッターを押す行為に結びついているのでしょう。
 しかし、厄介なことに、いつでも消せるという安易さが、整理しきれないという“放棄”を生むことになります。後で整理するという考えが、後で整理するのは面倒につながっていくのです。しかも、消去したら、容易に復活できない、というかわからなくなってしまうという懸念が整理を躊躇(ちゅうちょ)させるのかもしれません。
 今話題になっている、国の文書扱いが雑になっていくのもこうした背景に由来するものでしょう。いくつもの似た文書が職務権限に応じて、少しずつ別々に管理されながら、結果として膨大に残されてしまうのです。
 さて、100年前に続く写真として出現するのは、まず市民から寄せられた写真です。前述したように行政が撮った写真はほとんどありません。それでも、合併後はいわき市が撮った写真も登場します。
 これら写真を並べて見るとき、比較の決め手になるのは遠方に見える山の稜線です。撮影する場所が少しずつ違っていますが、100年の過程を視るとき、私たちは激動の時代を歩んできたことがわかるでしょう。
(いわき地域学會 小宅幸一)

昭和27(1952)年7月、松本正平氏撮影・松本正夫氏提供

〔昭和27(1952)年7月、松本正平氏撮影・松本正夫氏提供〕 

昭和36(1961)年、桃井広也氏撮影

〔昭和36(1961)年、桃井広也氏撮影〕 

昭和50(1975)年、いわき市撮影

〔昭和50(1975)年、いわき市撮影〕 

昭和54(1979)年10月、いわき市撮影

〔昭和54(1979)年10月、いわき市撮影〕

平成5(1993)年3月、いわき民報社撮影

〔平成5(1993)年3月、いわき民報社撮影〕

平成15(2003)年7月、いわき市撮影

〔平成15(2003)年7月、いわき市撮影〕

平成28(2016)年10月、いわきジャーナル撮影

〔平成28(2016)年10月、いわきジャーナル撮影〕

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電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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