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『植田町南町』(平成30年5月23日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:15270-4168-0800 更新日:2018年5月23日

いわきの『今むがし』Vol.95

いち早く完成した植田公民館から見る既成市街の植田(写真左)と畑地の錦町(写真右)〔昭和38年版『なこそ(市勢要覧)』から転載〕

1  市南部を流れる鮫川は、太古から乱れ川となって菊多平野を伝って太平洋へ注ぎ、途中にはいくつもの屈曲をみせていました。このうち、植田市街の東側では流路を変え、古川と呼ばれる小さな河川がありました。今も排水路として名残を見せています。この河川は第55回で紹介した「後宿公園」が造られる以前の「おい坪」(大井坪、大江坪、い坪とも呼称)と呼ばれた沼に流れ込んでいたのです。
 この小さな河川(後の排水路)は錦村と鮫川村(後の植田町)の境となっており、この境を植田市街から越えると見渡す限りの畑となっていました。鮫川右岸に住む錦村の人々にとっては、流路変更で川向うの左岸になってしまったものの、錦村内であったことから耕作地として重要視していました。(地図1参照)
 かつて、農地を少しでも拡大することは、農業を営む住民にとって死活問題にも等しいものでした。新たな耕作地を得ることによって、収入増につながり、生活の向上が期待されたからです。
 鮫川の沿う錦村大字大倉(おおくら)では、大半が耕作地として土地利用され、開発されていないのは鮫川沿岸や海岸周辺だけでした。このため、地域住民は少しでも耕作地を拡大しようと、これら国や県の公有地となる旧河川の活用を図りました。 たとえば、明治35(1902)年1月には、大字大倉の住民11人の連名で、旧鮫川である古川の一部である字川原(かわはら)地内の約7.43haを借用して開墾して成功したことから、払い下げ願を、錦村長を経由して県知事に申請しています。
 これに追随して他の農民も同様に申請。払い下げ者が競合して調整が必要となり、解決が成ったのは大正4(1915)年のことでした。以後もこのような開墾申請が相次ぎました。
 こうして、後の南町の区域は農業用地として長い間、耕作されてきました。たびたび水害に襲われましたが、一方で、肥沃な土地をもたらすことになりました。
 屈曲を解消して直線化する鮫川治水が、昭和31(1956)年度に完成し、高さ20mの鮫川築堤と河川の直線化が施工されると、堤防の内側となった区域では水害の危険にさらされることがなくなりました。
 堤防の内側となった区域のうち、この畑地を市街地として整備するため、勿来市は昭和34(1959)年4月に、「植田第一土地区画整理事業」の事業認可を得ました。

植田町南町の市街-写真左に排水路が見える-〔平成30(2018)年4月 おやけこういち氏撮影〕


2 最初にこの地に移転したのは、当時の勿来警察署でした。古くから街中にありましたが、敷地が狭隘で建物も老朽化していたため、植田第一土地区画整理事業を前提として同事業敷地内への移転計画が進められました。  
 南町への移転過程をみると、地番は錦町字川原(かわはら・後に住所変更で南町一丁目)。庁舎移転先の土地調査では、警察署敷地および道路の所有者は10人、地目は畑。河川改修により位置的には鮫川左岸の植田町側であり、耕作者も植田町が4人、佐糠(さぬか)町が5人、石塚(いしづか)町1人で、いずれも植田町と同じ左岸に住む人たちでした。
かつて、錦村時代では、村内住民の耕作地として重要視されていましたが、時代を経て、川向こうで耕作することの不便を反映して、この時点で耕作は植田町側の住民が担うように変わっていったものと考えられます。
 新庁舎は木造2階建てで、昭和33(1958)年3月に竣工しました。                     
 その後、昭和45(1970)年4月には、いわき南警察署に改称された。建物は昭和63(1988)年10月に鉄筋コンクリート造り3階建てに改築されました。
  植田公民館も街中から、昭和35(1960)年11月に土地区画整理事業区域内(後の南町一丁目)に移転し、木造で改築(昭和53年に同地で改築)しました。
 公民館は市内に36館を数え、このうち旧市部などの大きな地区では、いくつかの公民館を束ねる基幹公民館が存在します。勿来地区では勿来公民館は別にあり、あくまでも基幹公民館は植田公民館です。また植田公民館の3階に入っている図書館は「勿来」と命名されています。昭和30(1955)年に植田、錦、勿来の3町ほか2村が合併して「勿来市」を名乗る際のさまざまな調整によって、このような複雑な事態が生じているのです。                       
 植田第一土地区画整理事業は、昭和40(1965)年7月に完成しました。以後、家屋が密集する地域となり、また昭和47(1972)年には国道6号常磐バイパスが南町の南端を通るようになり、これに伴い接続路が設けられて車の往来が多い区域となっています。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

植田市街(「鮫」の上方は錦町地内) 〔1.50,000地形図 小名浜(明治41年測図)〕

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植田市街 〔1.50,000地形図 小名浜(平成19年修正)〕

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植田町との境となる古川を越えると錦町川原(昭和10年代、鷺酒造店所蔵)

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 鮫川河川敷(後の南町)の農業(昭和20年代末、佐藤清水氏所蔵)

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植田第一土地区画整理事業区域・現南町で中央に見えるのは現在の「いわき南警察署」(昭和30年代、板津弥吉氏所蔵)

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植田第一土地区画整理事業区域の施工後(昭和39年版 『なこそ(市勢要覧)』 から転載)

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 鮫川流域に広がる畑(現南町)(昭和35年11月25日、浅野和男氏撮影)

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市営後宿駐車場(昭和52年10月、いわき市撮影)

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ファクス番号:0246-22-7469